Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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孫の世代のために駆ける チャールズ英国皇太子

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  光り輝く朝だった。
 「庭をご案内しましょうか?」と、チャールズ皇太子が言われた。
 「ありがとうございます。しかし私は、中でお話ししたいと思います」
 皇太子の私邸であるハイグローブ邸に招かれた折のことである。(一九九四年六月八日)
 話すべきことがあった。皇太子の貴重な時間を、一分でも無駄にしたくなかった。
 イギリス西部のグロスター州。車で行くと、周囲は見渡すかぎり、なだらかな緑の丘と畑が広がっている。ところどころに羊の群れが遊び、牛が草を食んでいた。
 ハイグローブ邸の門を入ると、有機農法の農場があり、花の庭へと続いている。庭は、あえて整然とは刈り込まず、自然の趣をそのまま生かしたイギリス風である。
 「ようこそいらっしゃいました」。玄関まで出迎えてくださった皇太子の声は温かかった。
 お会いした瞬間、「心の深さ」を直感した。
 ノルウェーでの公務から二日前に戻ってこられたばかりだという。長身をダブルのスーツにつつんでおられた。
2  「実像」を伝えたい
 応接の問で、会話が進むにつれて、芸術家のような感受性の豊かさと、哲学者のような探究心をもっておられることが、はっきりわかった。
 「私は、皇太子が勇気をもって信念を叫んでおられることを知っております。社会の改革へ行動しておられる。
 行動すれば、反発もあるでしょう。嫉妬もあるでしょう。名誉を傷つけんとする策謀もあるでしょう。しかし、何があろうと、正しいと信じたことは断じてなすべきです。心ある民衆が支持しています」
 私は、チャールズ皇太子の「実像」を世界の人に伝えたかった。
 皇太子は、現代社会に「人間らしさ」を取り戻そうと、多くの分野で渾身の力を注いでおられる。
 人間にとって大切なのは、知識だけではない、物質や金銭だけではない、大切なのは「心」であり、「精神の価値」だという主張である。
 建築、医学、農業、教育、そして環境問題。あるときは「素人は口を出すな」と言われ、「皇太子の(ひまつぶしの)おもちゃ」と嘲笑されながら、耐えて耐えて、着々と実績を上げてこられた。
 私は長年、その姿を見つめながら、「偉い方だ。できないことだ」と感心していた。
 すぐに喝采が送られるのならば、だれにでもできよう。しかし、批判の嵐のなかで行動を続けるには、本物の勇気がいる。
 たとえば医学である。
 皇太子は、「薬づけ」医療を批判し、「思いやりをもって患者に自信をあたえ、健康になろうという希望をもたせる医療を」とスピーチした。医師会の居並ぶ代表の前で、厳然と。
 患者が何の相談も受けず、物体のように「さっさと病院に運ばれる」現状を、もっと人間的なものに変えるべきではないか、と。
 また、あまりにも多量のエネルギーを使う「工業化された農業」の危険を指摘した。
 これらは多くの国民の「声なき声」を代弁していたと言えようしかし、批判された専門家や業界は困惑し、反発した。
 大衆紙は、いつものように冷やかすだけであり、結果として、改革の妨害になった。
 皇太子が言われた。
 「たしかに、私が今やろうとしていることには、多くの困難があります『勇気』と『決意』をもたないとできません。また他の人の支えも必要です。池田会長のお言葉に感謝します」
 ハイグローブ邸は三階建ての落ちついた建物である。新古典主義と言うのだろうか、正面には装飾がなく、堂々としたなかにも素朴なたたずまいであった。
 私も、多くの建築にかかわってきた。「建築は、人格の表現」とつねづね、思っている。
 皇太子のお人柄が偲ばれた。
 私は「建築」に話題を向けた。
 皇太子は、現代建築には「住む人への配慮」や「美の尊重」が欠けているのではないか、と言われる。
 病院をとっても、「個性のない窓、温かみのない廊下、純粋に機能だけの病室といった、魂の抜けたコンクリートの箱の中では、治るものも治らなくなってしまう。心も、肉体と同様に治療を必要としているのです」と。
 言葉だけでなく、みずから「建築学院」を創立して、″二十一世紀の建築家″を育てておられる。うかがった皇太子の建築観は、すばらしいものだった。
 「私は昔から、自分の周囲の環境に目を向け、観察し、配慮するようにしてきました。『美』を味わいたい──そういう精神の欲求があるのです。
 『美』は基本的な原則です。つまり、時間を超えているのです。いわば宇宙の法則の一つです。私は思うのです。真の文明とは、こういう原則を正しく知り、敬うことなのだと」
 そう語りながら、皇太子の目は、窓の向こうの庭に向かった。
 美を愛し、自然を愛する心が、この庭にもあふれでいた。皇太子みずから十年かかって丹精し、百種を超える花で彩られている。
 皇太子にとって、大地は「生きた魂」である。花にもやさしく「声をかけながら育てる」という。
 すべては生きている──生命と宇宙を貫く永遠の法則を大切にしておられるのである。
 「そういえば、殿下は『建築とは本来、宇宙に内在する秩序を反映すべきである』とスピーチされました。建築学院の開校のさいです。『諸君は、こうした偉大な真理を発見すべきだと私は信ずる』と。
 賛成です。″偉大なる真理″こそが青年の心を育てます」
 「ご理解に感謝します。私の皇太子基金では、多くの分野で活動しています。なかでも一番誇りをもっているのが、青年への教育です。
 教育は、未来への投資です。二十年後、今の青年たちが、たとえばビジネスで成功すれば、経済面で英国に貢献してくれるにちがいありません」
3  「目先しか考えない」悪習
 教育や文化の事業は、結実を見るのに時間がかかる。だからこそ、そういう分野で奉仕する人は偉大である。
 皇太子は、「目先のことしか考えない習慣」が国を駄目にすると厳しく言う。
 指導者は、目先の利益のことではなく、これから生まれてくる孫の世代のことを考えて決断し、行動しなければならないのだ、と。
 そのとおりである。そのとおりであるゆえに──皇太子は茨の道を行かねばならなかった。
 なぜなら、現代社会、とくにジャーナリズムは「その日暮らし」になっているからである。長期の展望に立った正論はなかなか真面目に取り上げられない。
 奇をてらった″刺激的な新説″や、スキャンダルのほうが歓迎されるのだ。
 皇太子が、カナダの芸術祭でスピーチしたとき(八六年)のことである。
 「人間の魂の奥底には、まるで鏡に──鏡のように静かな湖面に──映るように、宇宙の美と調和が映し出されているように思えます」
 「子どもたちにこの点を教える義務があります。なぜかといえば、われわれが切望している世界平和を実現するには、各人の『内なる平和』を育て、それを外ら表していくことでしか達成されないと私には思えるからです」
 これほどの卓説に、メディアが寄せたのは何であったか。
 それは「神秘的なお話」にすぎないとの酷評であり、″鏡″を見たいなら「髭そりのときにすべきだ」という悪意の噺笑であった。(J・デインブルビー『チャールズ皇太子の人生修業』仙名紀訳、朝日新聞社。参照)
 しかし皇太子は、一歩も引かない。
 都市部の餅しい子どもたちが、放課後、地域のセンターや学校で自由に学習できるシステムづくりに奔走した。
 失業し、投げやりになった青年たちのために、就労に必要な技能のための短期コースもつくった。経済的に苦境にあったり、身体に障害をもつ青少年に援助するため、資金集めにも尽力された。
 産業界の指導者と、黒人社会の橋渡しもした。
 「埋もれた才能」を発掘するため、″企業家の卵″を支援するプロジェクトも軌道に乗せた。
 これらのために、みずからスピーチ原稿を書き、セミナーを聞き、説明会を行い、手紙を書き、電話をかけ、募金をし、獅子奮迅の働きであった。しかも、これらは、公務のごく一部なのである。
4  ″百聞は一見にしかず″運動
 皇太子のモットーは「百聞は一見にしかず」。
 企業家や政治家を″スラム街″にみずから連れて行って、「追いつめられた若い人たちに希望をあたえてほしい」と頼んだのである。
 事実ほど強いものはない。
 この″百聞は一見にしかず″運動は、実を結んでいった。
 しかし、それとは対照的に、大衆紙で流される皇太子の情報は、自分たちが勝手につくり上げた悪意のイメージに沿ったものであり、「事実の追求」とは無縁であった。
 ある記者が告白したそうである。「王室という文字が(中略)一面に出ただけで売上げが五万部は違う。ちょっと面白そうな見出しなら一〇万、二〇万と増えて行く。スキャンダルなら何十万部の増加だ」(黒岩徹『物語英国の王室』中公新書)
 卑しい意図から洪水のように流される「虚像」。虚像とはいえ、ひとり歩きするうちに、人々の意見に影響をあたえ、現実にも、はね返ってくる。
 まともな議論のできる土台そのものがなくなっていった。
 こういう理不尽のなかで、チャールズ皇太子は言いわけもせず、ひるみもせず、「自分の責任を果たす」日々を貫いてこられた。
 「イギリスの宝」であるシェークスピアを学ばない若者が多いことを憂えた皇太子のスピーチは、反響が大きかった。
 多くの学校でカリキュラムが変わったという。
 そのシェークスピアは言っている。
  おお、位高く、権力のある者よ! 幾百万もの猜疑の眼がお前を見つめているのだ。
 おびただしい流言蜚語が、偽りだらけの矛盾しあうあら捜しにもとづいて、お前のすることなすことについて言いふらされるのだ。軽薄な才子のやゆがお前を、そのくだらぬ空想の種にして、でたらめ放題の言いぐさでお前の姿をゆがめてゆく。
 (『尺には尺を』、小津次郎・関本まや子訳編『シェイクスピアの言葉』所収、彌生書房)
 私は、申し上げた。
 「要するに嫉妬です。何があろうと、見おろして、毅然と前へ進むべきです。リーダーが毅然として前進しなければ、民衆は不幸です。
 東洋には『聖人や賢人は、ののしられ、非難される。そのことによって、本物かどうか、ためされるのだ』という言葉があります。永遠性の仕事は、同時代には迫害されるものです。しかし、嵐に向かい、嵐を超えてこそ、不朽の事業は、でき上がると信じます」
 僭越であったかもしれない。また皇太子ご自身、かねてから覚悟しておられた嵐であろう。ただ私は、世界市民の一人として、「心ある民衆は強力に支持しています」と伝えたかった。
 率直な私の言葉を快く受けとめてくださり、皇太子は言われた。
 「うれしいお言葉です。
 未来をどうするか。やはり社会の将来を決定づけるのは教育の力が大きい。そして教育で私が大切だと思うのは、変わらない『人間としての道』です。これは数世紀にもわたって、つちかわれてきた基本的な原則なのですから」
 皇太子は、ここでも「時を超えて変わらない価値」を追求しておられた。強い方である。
 ある著作の最後に、皇太子は書いておられる。
 「あらゆるものが、われわれの価値と態度を再検討するように求めている。こうした見方をあざ笑う者の脅しに屈してはならない。彼らの時代は終わったのだ。彼らがわれわれに遺した魂なき混乱を見るがよい」(『英国の未来像 建築に関する考察』出口保夫訳、東京書籍)
 何と力強い宣言だろうか。私は最後に重ねて申し上げた
 「わが道を、『王者の道』を堂々と歩んでください。国民のため、世界のため、伝統の王室のために!」
 皇太子は、私の目を、まっすぐに見つめ、強く強く、手を握りしめてくださった。
 その厳粛なる一瞬の光景は、永遠に私の胸に刻まれている。
 いとまを告げる私を、玄関まで丁重に見送ってくださった。
 私が近くの街テットペリーまで戻ると、光の大空に、赤いヘリコプターが舞っていた
 皇太子が、さっそく次の訪問地オックスフォードに向かっておられたのである。
 偉大なる「戦うプリンス」。その前途が、この空のごとく輝きわたることを願いながら、私は、雲一つないイングランドの青空を見つめていた。
 (一九九七年六月二十九日 「聖教新聞」掲載)

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