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日蓮大聖人・池田大作

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地涌  

小説「人間革命」1-2巻 (池田大作全集第144巻)

前後
17  今――戸田は、この「師」を失って、三年近くになっていた。そして、一人残された彼にとっては、「師」の遺業を継いで、孤軍奮闘してきた三年間である。
 今の戸田は、牧口に彼が仕えたように、彼と心を同じくする弟子の出現を、心待ちに待っていたのであろうか。
 電車は人びとのさまざまな思いにはかかわりなく、轟々と走っていた。
 夜の十一時近くになると、あの昼間の超混雑の客も少なくなり、夏の夜風が、涼しく感じられる。
 駅々では、疲れた人びとが降りていき、また新しい乗客が車内に入ってきた。
 電車は大崎を過ぎ、五反田に停車した。次は目黒である
 戸田は、まだ何かを思索しているようであった。
 彼は、いつか、彼自身が四十七歳になっていることに気づいた。この夜、山本伸一が十九歳と言った時、戸田は、牧口と初めて会った十九歳の時を思い出したが、現在の彼自身の年齢は、念頭に浮かばなかったのである。
 電車に乗って、自分の青春時代に、さまざまな思いをめぐらした時、牧口常三郎の面影が、ありありと蘇ってきた。そして、その時、牧口が四十八歳であったことに思いいたって、彼は愕然とした。
 ″俺は今、四十七歳だ。山本伸一は十九歳と言った。ともに、ほぼ同じ年の聞きである……″
 彼は、電車に揺られながら、窓外の闇を見つめていた。
 ″十九歳の青年は、いくらでもいる。しかし、牧口先生との出会いの時を、まざまざと思い蘇らせたのは、今日の、一人の青年ではなかったか……″
 彼は、今日の日を考えた。明日は八月十五日である。敗戦の日から満二年の月日が、夢のように流れたことを思い返した。
 この日を、国民は、終生、忘れることはないであろう。屈辱の日とする人もいよう。また、反省の日として、新生日本の、出発の日とする人もいよう。人びとは、それぞれの人生から、この日を年ごとに思い起こすにちがいない。
 戸田城聖にとっては、敗戦のこの日こそ、日本の広宣流布達成への、最大の瑞相であることを、目の当たりに見た日であった。それは悲しく、沈痛な思いをともなってはいたが、敗戦は、まぎれもなく、過去七百年来、日蓮大聖人の教えに背いた歴史の厳然たる帰結であったのだ。
 大聖人の慈悲は、実に逆縁の現証を通して、日本の広宣流布成就の悲願を、まず戸田城聖一人に自覚せしめたのである。彼の自覚の源は、牧口の真の弟子であったこと、そして師弟ともに、敢然と難に赴いたことにあったといえよう。
 今、牧口の遺業を彼と分かつ一人の青年が、四十七歳の彼の前に、出現したのである。仏法が真実であるならば、人類史上、未曾有の宗教革命を断行する人と人との聞に、必ず師弟の宿縁が、存在するはずである。
 ″あの青年は、まだ何も知らない。今は、それでよいのだ″
 戸田は、心にそれを言い聞かせながら、微笑みを含んで目黒駅のプラットホームに降り立った。

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