Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二節 『ファウスト』  

随筆「私の人間学」(池田大作全集第119巻)

前後
27  果たせるかな、長い長い魂の遍歴の果てに(ゲーテは、その時のファウストの年齢を百歳と言っている)ファウストが到達した境涯は、権力意志の貫徹ではなくて、“人間の幸福は、他者のために働いていくなかにのみある”というものであった。
 それは、大乗仏教の菩薩行、あるいは自行化他の精神にも通じていく、広々した心境であったといってよい。目は見えなくなったが、「心の中には明るい光がともっている」からである。
 盲目のファウストは「最後の仕事で、最大の仕事」である、海岸一帯の大開拓事業を志す。
 そして、最後の独白――。
  おれは数百万の人々に、
  新しい土地を作ってやる。
  堅固でないかも知れぬが、働いて自由に住める土地だ。
   (中略)
  人間叡知の最後の言葉は、こうだ――
  「自由と生命をかちえんとするものは、日々、新しく、
  これを戦いとらねばならぬ」
  だから、ここでは、子どもも大人も年よりも、
  それぞれ危険とたたかって、すこやかな年月を送るのだ。
  おれはそのような人間の、みごとな共同社会をながめながら、
  自由の民と自由な土地に住みたい。
  おれはかかる瞬間にむかって、
  「まあ、待て、おまえは実に美しい」と呼びたい。
  おれのこの世に残した痕は、もはや
  永劫を経ても滅びはせぬ。
  そうした高い幸福を予感して、
  おれは最高の瞬間を味わうのだ。(悲劇第二部第五幕・宮殿の広い前庭)
28  民衆の海の中へ、果敢に身を投ぜずして、偉業の成就も、真実の幸福もありえない。法華経に「三界は安きことなし 猶火宅の如し」(開結二三三㌻)という法理がある。すでに、米ソ両大国の核兵器の保有量は、あの惨劇をもたらした広島型原爆の百五十万倍であるという。まさに「火宅の如し」である。人類の平和と幸福という夢を実現するには、ファウストが雄々しくもそうであったように、この火宅のごとき「娑婆世界」の現実から逃げたり、避けたりしては絶対にならない。
 最後の独白を終えると、ファウストは、後ろに倒れ、死ぬ。理想の国土を作っているつもりであった彼は、その国土が、その実、悪魔メフィストフェレスの企みによる、ファウスト自身の墓であることも知らずに……。
 悪魔は、墓からファウストの魂を盗みとろうとしたが、奪うことができず、天から天使が降りてきて、その魂を守りぬいて、昇天していく。“救い”の手がさしのべられる。
 詩劇『ファウスト』は、たしかに悲劇といえるかもしれない。しかし、あらゆる優れた悲劇がそうであるように、そこには、魂のカタルシス(浄化)をもたらす強力な力がある。ファウストの、波瀾万丈の魂の遍歴は、人間いかに生くべきかという、近代人の“自律”の問題をめぐって、汲めども尽きぬ泉のように、多くの示唆をはらんでいる。

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