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日蓮大聖人・池田大作

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1 家庭の揺らぎ  

「新しき人類を」「学は光」V・A・サドーヴニチィ(池田大作全集第113巻)

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13  見直されるべき父親像、男性像
 サドーヴニチィ 教育と家庭を論じる際に一番難しいのは、社会が男性の理論で成り立っていることです。「男性社会」では、妻として、また母としての女性の生き方や家庭の在り方は種々論じられても、男性の責任と生き方を問い直すことは稀です。それはとりもなおさず、男性の価値観をものさしにしているからです。
 池田 家庭の教育力という問題は、グローバリズムの主たる担い手である男性にとって、とりわけ喫緊の課題でしょう。何が真の教育か、家庭の役割は、といった素朴な問いかけです。さらに、これは“猛烈社員”に偏向してきた日本特有のことかもしれませんが、オープンな家庭を単位とした地域のコミュニティー作りも大切です。そして、こうした意識変革、発想の転換は、当然、女性にも歓迎され、共有されてくると思います。
 グローバリズムが進み、家庭のゆらぎや崩壊という、人間が人間であることの根底を掘り崩すような事態が生じていることを見逃してはならないと思うのです。
 サドーヴニチィ 男性たちがどのような家庭像を描いているか、いかなる価値観を持っているか、また過去にはどうであったか、未来においてはいかに変化していくか。そして、その男性の価値観は何によって作られてきたのか。それを吟味する必要があるのではないでしょうか。夫、父親として男性の責任と役割、求められる姿については、これまで取り上げられ、論じられることが無かったように思われます。
 それでも男性は、「一家の主」でした。また今後も当分の間、あるいは未来永遠に「一家の柱」であり続けるだろうと推測されます。
 池田 どうしても男性の意識変革が焦点になりますね。本当に難しい時代です。
 サドーヴニチィ 家庭における男性の役割はもっと論じられるべき重要な問題なのです。このように申し上げるのは、男性の成長と、その家庭への責任を特に強調しておきたいと思うからです。
 男性がいかに在るべきかがこれまで問われないままにされてきたのは、男性は「男に生まれただけで優れた存在だ」という考え方が支配的だったことによると思われます。
 ピタゴラスが「善は、秩序と光と男性を創った。そして悪は、混沌と闇と女性を創った」と言いましたが、それから2500年を経た今も、この身勝手な男性の意識はそこからあまり成長していないといえば言い過ぎでしょうか。
 池田 日本のある霊長類学の権威(河合雅雄・京都大学名誉教授)は、父親の条件として*①*自分の属している集団を防衛すること、*②*集団の生活を維持するための経済活動をすること、*③*子どもの養育にあたること、の3つをあげています。(『サルから人への物語』小学館)
 注目すべきは、第3の子どもの養育、という点です。
 これに関しては、ゴリラやニホンザルのような他の霊長類の父親の方が、人間の父親よりも、よほど熱心であり積極的だというのです。こうした家庭における父親不在の現象は、とくに“職”と“住”が分離しがちであった工業化社会において顕著であった。おっしゃるとおり、父親像、男性像というものが見直される時期に来ていると思います。
 だからこそゲーテは、男性原理が支配的であった近代精神の行きづまりを巨視的に展望するなかで、男性的な自我の比類なき体現者であったファウストが盲目となり破滅していくのに対し、「永遠の女性」(『ゲーテ全集』2、大山定一訳、人文書院)をもって救済の手をさしのべているのでしょう。
 そうした意味もふまえ、私は、21世紀は「女性の世紀」であると訴え続けています。

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