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日蓮大聖人・池田大作

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3 中国への伝来  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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1  敦煌
  シルクロードは、はるか古の時代から、世界の各民族の融合の地でした。主要な世界古代文明国である中園、インド、ギリシャなども、ここで合流したのです。
 主要な世界宗教である仏教、イスラム教、キリスト教なども、ここで合流しました。
 また、世界の多くの言語が、インド・ヨーロッパ語系、その他の言語系にかかわらず、ここで合流しました。世界の多くの国々の文学、芸術、音楽も、ここシルクロードで合流したのです。
 池田 シルクロードは、まさに「異文化の出合い」の場だったのですね。たとえば敦煌トンホワンの壁画や出土品そこにも、種々の民族が行き交った痕跡が、ありありと残っています。
 敦煌は、言うまでもなく、「中国」と「西域」の重要な接点でした。そして今や、人類が絶対に必要とする「文明間の対話」の象徴となっていると思います。
 一九八五年には、東京富士美術館で「中国敦煌展」を開催いたしました。
 『法華経』の「漢訳本」「西夏語訳本」や出土文物、色あざやかな莫高窟壁画の模写絵など、”砂漠の大画廊”の秘宝が、日本人の心を深く魅了しました。
 また、「敦煌の護り人」であった故・常書鴻先生(敦煌研究院名誉院長)と、私は対談集『敦煌の光彩』(本全集第17巻収録)を発刊しました。
  私も、かつて敦爆の莫高窟千仏洞を訪れたことがあります。
 果てしなく広がる大砂漠に囲まれた敦煌のような環境においては、互いに助けあって初めて、ともに生きていくことができたのです。
 多くの洞窟内の壁画には、人間の群集が描かれて。
 人々の顔立ちゃ身なりから、それらの人々は、さまざまに異なる民族に属することがわかります。彼らは、ともに手を取りあって、何らかの仕事にたずさわっていたのです。
 私はこれらの洞窟を切り開いた窟主や、壁画を描いた芸術家は、決して同じ民族ではなかったと考えます。
 これらの人々は、今は、当然ながら存在しません。人々の生は一時的なものです。しかし、民族間の友好は永続的なものです。この簡単明瞭な真実は、一部の中国の歴史をもっても、証明することができます。
 われわれは、現代に生活していますが、ひとたび敦煌を訪れると、まるで古代に戻ったかのような気持ちになります。
 「民族間の友好」は、人々が望むところであり、古今を通じて変わりません
 この壁画を目にすると、思わず、心の中から、ほのぼのとした幸福感が、しみじみと込みあげてくるのです。
 池田 同感です。
 現在、世界の各地で、「民族間の対立」が大きな問題と、なっています
 しかし、本来、異なる民族の出会いは、民族の枠を超えた、よりグローバルな「豊かな実り」をもたらす可能性をはらんでおります。そのことを、シルクロードの歴史は教えてくれています。
 そして、『法華経』は、シルクロードの多彩な文化をもつ人々に受け入れられました。そして、その多様性を最大に生かしあいながら、平和に共生していく道を開き示していったのです。そこに、『法華経』の普遍性の一端を感じます。
2  『法華経』の漢訳本
 池田 ところで、『法華経』は中国へ、いつ、どのように伝わりましたか。
  『法華経』の最初の漢訳本は、三国時代の呉国に出現しました。
 その名は『仏以三車喚経』です。訳者は月支から来た優婆塞、すなわち在家者です。支謙しけんと呼ばれる人物です。
 池田 月支とは、せまくはインド西北部の月氏族の国、広くはインド全体を意味しますね。支謙は、月氏から中国に帰化した訳経家ですね。
 「仏は三車を以て喚ぶ」との経題のとおり、内容は、譬喩品の「三車火宅の譬」の部分だったのでしようか。
  そのとおりです。『仏以三車喚経』の紙幅は、たった一巻ですから、『法華経』の抄訳本以外には考えられません。
 さらに、『仏以三車喚経』という名前から、この抄訳本の内容は、先生がおっしゃるとおり、間違いなく譬喩品の「三車火宅の譬」の部分でしょう。
 これまで、漢訳された『法華経』の完訳本、抄訳本は、少なくとも八本ありますが、そのうち完訳本三本、抄訳一本は、今なお現存しています。
 池田 『開元釈教録』には、「六訳三存」と伝えられていますね。
 現存する完本は『正法華経』『妙法蓮華経』『添品妙法蓮華経』の三本ですね。
 このうち、西晋時代、二八六年に竺法護によって訳された『正法華経』は于闐うてん国王宮所蔵の「六千五百偈」の貝葉梵本によったとされます。
 後秦時代、四〇六年に鳩摩羅什によって訳された『妙法蓮華経』は、罽賓国王宮所蔵の「六千偈白氎びゃくじょう」梵本によったとされます。
 惰時代、六〇一年にに闍那崛多じゃなくった達磨笈多だつまぎゅうたによって訳された『添品妙法蓮華経』は「六千二百偈」の貝葉本による翻訳とされます。
 このうち、羅什訳の原本にこそ、最も古い形態が残されているとされます。
 経の名前のみ記されていて現存しない三本は、『法華三昧経』六巻(魏、二五五年、正無畏訳)、『薩芸さつうん芬陀利ふんだり経』六巻(西晋、二六五年、竺法護訳)、『方等法華経』五巻(東晋、三三五年、支道根しどうこん訳)ですね。
 蒋先生がおっしゃる八本は、六訳三存の経典とどうのように違うのでしょうか。
  池田先生が、おっしゃる六訳三存は、いずれも『法華経』の全訳本ですが、私が先ほど申し上げた八種の漢訳『法華経』のなかには、その六訳三存の『法華経』全訳本以外にも、二種の『法華経』の抄訳本が含まれています。
 南条文雄・泉芳璟共訳『梵漢対照新訳法華経』によれば、この著書にもあげられているとおり、次の二種の抄訳本をさします。
 『仏以三車喚経』一巻(欠)
 呉月支優婆塞支謙(二二三~二五三年)訳
 『薩曇芬陀利経』一巻(存)
 失訳人名今附西晋録(二六五年~三一六年)
 要するに、私が先ほど申し上げた八種の経典と、先生が、おっしゃる六訳三存の経典との違いは、わずかに、この二種の抄訳本が含まれるかどうかの違いだけなのです。

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