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日蓮大聖人・池田大作

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第五章 生活環境の保障こそ健全な社会  

「子供の世界」アリベルト・A・リハーノフ(池田大作全集第107巻)

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5  子どもを不幸にする行為に正義はない
 池田 チェチェン共和国の首都グロズヌイの廃墟同然の姿は、私もテレビなどで見て、人知れず心を痛めている一人です。ともかく戦争は絶対あってはならないし、まして子どもを巻き込むなど、許されてはなりません。
 私には、忘れられない一枚の写真があります。ベトナム戦争のさい、アメリカ軍の爆撃で村を焼かれ、戦場の川を懸命に泳ぎながら逃れようとするベトナム人母子五人の姿を、対岸から撮ったものです。
 『安全への逃避』と名づけられたもので、「世界報道写真展」のグランプリに輝き、「アメリカ海外記者クラブ賞」や「ピュリツァー賞」を受賞したもので、総裁もご覧になったことがあるかもしれません。
 撮影者は沢田教一という日本人の青年で、UPI通信サイゴン支局の報道カメラマンとして活躍していました。のちに、カンボジア内戦を取材中、プノンペン近郊で狙撃され、三十四歳の若さで殉職してしまうのですが、後年、彼の写真集が発刊されたさい、
 夫人の強い要望もあって、私は序文を寄せました。
 その冒頭に、戦争の暴虐への思いのたけを綴りました。少々長くなりますが、紹介させていただきます。
 「一瞬、私の心は止まった。
 私の心は泣いた。私の心は炎となった。
 沢田教一氏の数々の写真、なかでも『安全への逃避』と出会った刹那の感動を、私は決して忘れることはできない。
 ナパーム弾の猛焔に包まれた村から逃れ、戦場の川を懸命に渡っていく二組の母と子――。弱冠二十九歳の沢田青年が世界に送ったこの一葉の写真は、ほぼ四半世紀を隔てた今なお、いやまして鮮烈に、また切々と、戦争の残酷さ、悲惨さを語りかけてやまない」(沢田サタ『沢田教一ベトナム戦争』くれせんと出版部)と。
 リハーノフ よくわかります。
 私はチェチェンの子どもたちの庇護者となり、国家や戦争と対峙する弁護者でありたいと願っていますが、それにしても痛みに対する感覚が鈍っている社会では、ヒューマニズムや慈悲を叫んでも、共感を呼ばないということをますます強く感じます。
 たとえば、無慈悲という名の、強力な砲弾の破片に腹も胸も頭もやられてしまえば、負傷した足の痛みなどはとるにたらないものとなってしまいます。
 しかし、それにしてもです。どんなに混乱を呈した戦争でも、局地戦争でも、いちばん消しがたい苦しみを味わうのは子どもです。
 チェチェンでも何千人もの子どもが孤児になり、お父さんやお母さんを失いました。人生はこれから、という時に、父や母の支えが本当に必要な時にです。
 にもかかわらず、両親とも亡くしてしまった、あるいはお父さんだけ、お母さんだけ亡くしてしまった……。
 片方「だけ」と言っても、どれほど大切な存在を失ったのか。それは人間を精神的な高みへと育ててくれる、唯一無二とも言えるものであり、喜び、愛情であり、人間をつつみ込み、守ってくれるものなのです。
 その親を失ってしまうと、喜びも成功もどこかが欠けていて、日常生活、家庭生活の見えない部分で何となくつねにどこか違う、何かが足りない、という思いを味わうことになってしまいます。
 一人の子どもの不幸が個人的にはどんなに大きなものであっても、全体の一部ではないか、という考えは誤りです。
 一人の不幸もそれがあちこちにあれば、社会全体の雰囲気が変わり、倫理的な伝統も崩れて、国家そのものをむしばむことになります。
 池田 アンドレ・マルロー氏と私は、対談集(『人間革命と人間の条件』。本全集第4巻収録)を編んでいますが、彼は、みずから仕えたド・ゴール将軍を回想しながら、印象的な言葉を語っています。
 「私は、ここでまた、ヴァイオリンを腕にかかえたアインシュタインを思い出す。彼はこう言った。《不幸な子供たちがいる限りは、進歩などという言葉はなんの意味も持たないであろう》そのことを、ドストエフスキーはもっと悲劇的に表現した。《もしも世界が、人でなしによる無邪気な子供に対する迫害を許すなら、私は未来の調和の入場券などお返しする》」(『倒された樫の木』新庄嘉章訳、新潮選書)と。
 ドストエフスキーの言葉は『カラマーゾフの兄弟』の中で、イワン・カラマーゾフが、いたいけな子どもの虐待という事実を見逃しておいて、神の国での、和解や調べを説いたところで何になるのかと、舌鋒鋭く、キリスト教を弾劾するくだりの有名な言葉ですね。
 リハーノフ それは有名な一節ですが、残念ながらこの告発も、新しい世代の支配層にとって教訓とはなっていません。
 ロシア、チェチェンの為政者が何と言おうと――戦争が行われている国はすべてそうですが――大人たちがどんなにもっともらしい理由づけをしようとも、言い訳をすることはできませんし、それらの言葉に耳をかたむける余地もありません。
 大人たちはだれが正しくて、だれが悪いかを争う前に、事前に流血と悲しみを起こさせないために、子どもたちを疎開させておくべきです。老人も同じです。
 大人たちは――男性も女性も――自分の責任感と自己保存本能に応じて、自分が正しいと思う真実に基づいて、自分の居場所を選ぶことができます。
 しかし、分別のない子どもや無力な老人は、戦争が始まる前に、安全な地に避難させてあげなければなりません。
 それこそ責任ある政治の表れであり、そうでないなら無責任というものです。
 池田 ところが、戦争の狂気は、そうした責任感など吹き飛ばしてしまいます。
 第二次世界大戦で、日本がアメリカと唯一の地上戦を戦ったのが沖縄です。そこでは“鉄の暴風”と言われるほど、アメリカ軍の近代兵器が猛威を振るったのですが、なかでも、住民の心に消しがたい傷跡を残しているのが、敗色濃厚ななか、日本軍が行った蛮行です。
 人々が戦火を逃れて集結している洞窟に、日本兵が押しかけ、兵隊がいなくて島が守れるか、という“理由”で、子どもや老人、女性を追い払った、などという例が数多くあります。あなたのおっしゃった責任感とは、まったく逆の無慈悲そのものの行為です。
 なかには、洞窟内の人の気配に気づかれて、アメリカ兵に火焔放射器やガス弾を撃ち込まれるのを恐れ、兵隊が、泣きわめいている子どもを、母親の見ている目の前で水たまりに頭を押さえつけて窒息死させたなどという、目を背けたくなるような行動も報ぜられています。
 ともかく、戦争というものは、人間の狂気を狂気と感じさせない、異常な精神状態に追い込むことを忘れてはなりません。
6  慈悲の行動は言葉を超えて通じあう
 リハーノフ まったく同感です。
 私は重傷を負った子ども、病んでいる子、助けを必要としている子の占めるべき位置を、自分なりに定義してみました。それは、不幸に見舞われた子どもは、民族の枠を超え、主権を超越した存在だ、ということです。
 これはどういうことかを説明いたします。子どもを助けなければならないときに、「うちの」子どもも「よその」子どももない、ということです。
 私がわざとカッコでこの二つの言葉をくくったのも、助けられようとする子どもにとって、よそであろうが、うちであろうがそんなものは関係なく、時として「よその」人のほうが「うちの」人よりもはるかにしっかりと助け、守ってくれる場合があります。いずれにしても、救い手がだれであろうと、子どもが待っているのは、ひとえに助けるという価値行動なのです。
 子どもに当たった弾丸を取り出す医師が何語でしゃべろうと関係ないし、看護師さんあるいはふつうの女性が、わけのわからない言葉だけれども慰めの言葉をかけてくれている、運転手さんが自分の綿入れでくるんで寒さから守ってくれているときに、言語の別など関係ないのです。
 救いの手を差しのべてくれる人そのものが、確かな守りと善意の象徴であって、そこには精神的な主義やスローガンもアピールも、信仰さえも云々する余地はありません。ですから、不幸に見舞われた子どもは民族を超え、主権を超越しているとは思いませんか。
 池田 そうしたセンスというか、共感能力を身につけるということは、人間であることの不可欠の条件と言ってよいでしょう。
 先ほど、現代人の安楽志向にふれましたが、安楽のみを追い求め、苦しいことや悲しいことを避け続けていくと、本当の意味の喜びさえ味わえなくなってしまいます。なぜなら、真の喜びや充足感は、苦しみ、悲しみを正面から受けとめ、それを乗り越えたところにのみ開けてくるものだからです。
 安楽志向が手にすることのできる喜びは、はかない幻のようなものです。その意味からも、現代人が、洋の東西を問わず、おしなべて共感能力の衰弱におちいっていることは、まことにゆゆしき問題であると、私は憂慮しています。
 有名な仏典(「涅槃経」)には、「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ如来一人の苦」(大正十二巻)とあり、これを受けて、私どもの宗祖は「日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるはことごとく是れ日蓮一人の苦なるべし」と仰せになっています。
 ここから明らかなように、共感能力の衰弱という現代病は、まさに仏教の精神と対極にあります。ゆえに、私どもの仏法運動は、苦しみや悲しみ、喜びをともにする生命力をよみがえらせながら、生きて生きぬいていく、共生運動でもあるのです。
 リハーノフ 本物の宗教というのはいずれも、善と愛、同苦を説いていると思います。そういう意味では、異なる信仰をもつ人々にも、多くの全人類的な共通点があると言えるでしょう。
 私たちはグルジア人やタジク人、ロシア人、モルダビア人、チェチェン人の子どもたちを、治療のために世界各国に送り出していますが、言葉がわからなくても、子どもたちと救助員の心がいかに通いあうかを自身の経験から知っています。
 その心のふれあいを助けてくれるのは、笑顔やジェスチャーであり、また泣き声であります。残酷な暴力、戦争とは違って、慈悲には国境も民族の違いも、民族的野心もないのです。

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