Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第五章 生活環境の保障こそ健全な社会  

「子供の世界」アリベルト・A・リハーノフ(池田大作全集第107巻)

前後
1  子どもと老人――社会の二つの翼
 リハーノフ どこの国でも社会でも、他に頼らなければならない階層が二つあります。それは、もっとも傷つきやすくて無力な層で、社会の中心的な階層しだいで状況が左右されてしまう人々です。
 その人々とは、子どもと老人のことです。
 子どもは「まだ」無力で、老人は「すでに」無力です。
 ですから、どこの社会でも子どもと老人を守り、すこやかな生活環境を保障する義務があります。
 この子どもと老人の依存性について、もっと話したいとは思いますが、また後ほど戻ることにして、ここで逆に社会もまた、子どもと老人に左右されていることに目を向けてみたいと思います。
 この年少者と年長者は、強い大きな鳥の両翼に譬えられるのではないでしょうか。たとえ鳥の体のつくりがしっかりしていて、健康で力がみなぎっていたとしても、翼も同じように力強くて健康でなければ、空を長く飛んでいることなどできないでしょう。
 社会も同じです。体だけでなく、翼も健康でなければなりません。鳥が高く飛べるのは翼があるからであり、翼こそ鳥の誇りであり、強さなのです。
 社会や国家も、調和をめざすには、まず子どもと老人の地位向上のために最善を尽くすことが、最重要の社会的義務ではありませんか。
 池田 社会の健全なあり方を、鳥の飛翔に譬えられたのは、たいへんわかりやすく、美しい形容であると思います。
 私は、子どもと老人に、もう一つ、母を加えたいと思います。いずれも、社会的には弱い立場に置かれている人たちであり、そこにどうスポットが当てられているかが、鳥が高く飛べるかどうか、すなわちその社会の健全さの度合いがどうであるかを測るバロメーター(物差し、目印)と言えるでしょう。
 ゆえに、私はかつて、フランスの作家アンドレ・モーロアの「政治の役割は母と子を救うことである」(『初めに行動があった』大塚幸男訳、岩波書店)という言葉を取り上げ、ともすれば弱肉強食のエゴイズムや権力欲におぼれがちな政治に、警告を発したことがあります。
 みずからの栄達を追うのではなく、国や社会の未来を案ずるなら、何をおいても母と子(老人を含めて)を手厚く遇することこそ、政治の本質であるからです。政治の矛盾や欠陥を、もっとも迅速かつ的確に写し取るのは、そうした弱い立場の人たちであり、政治家たるもの、その点への目配りを片時も怠ってはなりません。
 リハーノフ おっしゃるとおりです。
 世界では、とくにイスラム圏やアフリカの一部の国では、子どもという翼が大きくなりすぎているところがあります。もっとも、子どもが多すぎるだなんてとんでもない言い方かもしれませんが。ただ私は統計上の事実を確認しておきたいのです。
 世帯当たりの子どもの数が多いこれらの国では、子どもの人口が、養い手である大人の二倍、三倍、四倍にもなっています。こういった国は経済でつまずいていて、子どもたちに必要な分だけの食糧生産が追いつかない状況です。
 しかもこれらの国は、エチオピアなどがいい例ですが、不安定な自然環境に囲まれている場合が多く、旱魃などの自然災害に襲われることがたびたびあり、その結果、疫病が発生するといった具合なのです。
 たとえそういう状況がなかったとしても、つまり子どもの人口の膨張は、国家という「鳥」の、子どもという「翼」があまりにも大きくなってしまった状態で、そうなると当然飛び方も変則的になり、ちゃんと飛べなくなってしまいます。
 池田 古来、“子宝”などと言われ、子どもは多ければ多いほどよいとされてきましたが、グローバル(地球的)に人口問題を考えた場合、おっしゃるとおりの現実ですね。
 このままでは、二十一世紀に必ずやってくるであろう人類の危機は、ジレンマならぬトリレンマ(三方塞がり)と言われています。
 人口爆発を背景に、①それを養うための経済発展、②それを可能ならしむる資源、エネルギーの大量消費、③それが不可避的にもたらす環境破壊――こうした閉塞状況は、まさに人類史的な大問題であり、すでにわれわれは、引き返し不能の点を超えたという、悲観論をものする識者もいるほどです。
 私は、基本的には楽観主義でいきたいと思っていますが、事態がそこまで深刻化してきているという、厳しい現状認識だけはもたなければならないと思います。
 先ほどの政治のあり方になぞらえて言えば、さしあたり、そうしたトリレンマの苦痛をもっとも受けているのが第三世界の人たちです。
 大量生産・大量消費・大量廃棄を軸にする、二十世紀型の工業文明のあり方の転換を図る責任は、いつに、その“恩恵”を独り占めにし、つかの間の快適さに酔いしれているアメリカや日本、ヨーロッパなどの先進工業国にかかってきます。
2  日本とロシアの“少子化”の現状は
 リハーノフ 逆に、「子ども」という社会の翼が、あまりにも小さい場合もあります。
 この傾向は、たいてい豊かな国に見られます。そこでは出生率を高めるために、国をあげての努力がなされています。たとえば、スウェーデンや中央ヨーロッパの一部では、子どもを産むように奨励するための手当が出されるようになりました。
 池田 日本でも“少子化”は、進んでいます。一九九〇年六月、一人の女性が一生に出産するであろう子どもの数が一・五七人という統計が発表され、「一・五七ショック」という言葉さえ生まれました。
 高齢化社会の到来と相俟って、国の前途を憂慮する声も多々ありましたが、その傾向は強まるばかりで、一九九五年度では一・四二人まで、落ち込んでいます。このままいけば、百年後には、日本の人口は半減してしまう、とさえ言われております。
 国の側でも、一定水準以下の収入の家庭には「児童手当」を支給していますが、漸減傾向に歯止めはかからないようです。
 ロシアでも、似たような現象があるのではないですか。
 リハーノフ 背景は異なるかもしれませんが、“少子化”という点では、ロシアも同じです。人口の再生産の法則では、各家庭に三人の子どもが必要で、そのうち、二人は両親の人数を補い、三人目が人口の増加を確保します。
 今、社会的事情により、一人しか子どものいない家庭が大半です。これは、国全体として人口の減少を意味しています。そのおかげで、現在ロシアでは、年間百万人、人口が減っています。
 日本はどうかわかりませんが、ロシアでは現在、子どもを産み、育て、教育していくというのは、非常にお金のかかる楽しみとなってしまいました。国を襲っている経済の不安定が、社会を豊かな者と貧しい者に分けてしまいました。
 多くの子どもが――こんなことは戦時中からなかったことですが――ごみ箱をあさって食べ物を探しています。その一方、ベンツで学校に送ってもらう子どもがいます。
 子どもを産まないわけにはいかないんだから、困難を克服しなければいけない、いつかはよくなるんだから、と言葉で言うことは簡単です。
 多くの人が、今、政府を信じておらず、困窮し、飢えています。こうしたすべてのことが、出生率や子どもの健康や教育に影響をおよぼしています。
 池田 痛ましいお話です。日本の“少子化”をもたらした要因は、そうした経済面というよりも、むしろ精神的な面にあるような気がしてなりません。
 そしてその背景には、家族像、家庭像というものの、崩壊とまではいかずとも、揺らぎという現象が横たわっています。この問題は、章をあらためて論じたいと思います。
 リハーノフ そこから派生してくる問題点は、はっきりしています。子どもが少ないということは、労働人口が減るということで、そうすると国家は移民を受け入れざるをえなくなるわけですが、それで事が解決するわけではありません。当然、社会的、倫理的な論議をかもしだすことになってしまうでしょう。
 というのも、移民も新たに祖国となったその国の発展に貢献するわけですから、移民の人々にも豊かさを分けあたえていかなくてはならなくなるのです。
 ドイツで騒がれたトルコ移民殺人事件も、結局はこの国の「子ども」という翼が小さくなってきたことが、引き起こした事件と言えるでしょう。こういう状況は、民族エゴや社会的不平等からくる紛争を誘発してしまい、そこにはファシズム的要素さえ出てきます。
 このような状況は、人口という観点から見た子どもの試練とも言えるものではないかと思います。
3  子どもの出生の権利をめぐる課題
 池田 人口爆発を避けるという点から見れば、“少子化”は必ずしも憂うべき現象ではないかもしれませんが、私は、そうは思いません。
 なぜなら、現在の“少子化”をもたらしているのが、人類の未来を見据えて、などという大局的な観点からの前向きの選択であるとは、とうてい言えないからです。
 日本でも、よく“ウサギ小屋”などと酷評される住宅事情などの物的要因もありますが、それとならんで無視できないのは、現代文明のもたらした豊かさ――モノや時間をもっともっと享受したいという、いわゆる安楽志向です。
 そこからは、家庭での子育てにまつわる苦労、わずらわしさなども、なるべく忌避されていくでしょう。
 そして私は、こうした傾向が、あのローマ時代の末期の衰亡を招いた精神的な要因と、多くの点で共通しているように思えてならないのです。周知のように、ローマ帝国の末期である二世紀ごろからの数百年は、人口の減少を民族の移動――今でいえば移民です――で補っていた時期です。
 リハーノフ なるほど、興味深いご指摘だと思います。
 国は平和なのに、子どもたちは死んでいく。あるいはそもそも生まれてこない……。
 人口政策というのは――人口の実態もそうですが――何百年、少なくとも何十年もの間にこんがらがってしまった結び目のようなもので、それをほどくのは途方もなくたいへんなことです。うまく解決された例など、私は聞いたことがありません。
 中国は上からの指令によって出生率を規制した結果、子どもの数は減らすことができましたが、それが中国社会にどのような精神的な傷跡を残したか、だれも正確にはわからないでしょう。
 池田 一人っ子をかわいがるのは、人情の常です。それが過保護となり、将来どのような形で社会に跳ね返ってくるか――たしかに、予断を許しません。
 リハーノフ 人口政策が、世界的に見て、グローバリズム(地球主義)や地政学(地理的条件と政治との関係を研究する学問)のもっとも重要な部分をなしているのは明らかです。
 またそれは、もっとも解決のむずかしい部分でもあります。このことは私たちに、産むべきか産まざるべきか、という中絶問題に対する倫理的結論をいやおうなく迫ります。
 国連で採択された「子どもの権利条約」には、生きる権利がうたわれていますが、しかしこれは、すでにこの世に生まれ出た生命を対象としています。一方、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は、ロシア正教も同じですが、まだ子どもの姿をしていない受精卵の生存権を主張しています。
 こうなると、はっきりと対立する社会勢力ができていくことになります。フェミニズム(女権拡張論)は母親の選択権を主張します。中絶反対運動は、宗教の説くところを是とした、きわめて人道的なものではありますが、市民権のかなりの部分を否定してしまっています。
 子どもの出生の権利というのは、まったくむずかしいテーマだと慨嘆したくなるのですが、いかがですか。
 池田 私も、基本的には人工中絶には反対であり、受精卵の生存権を主張したいと思います。
 仏教医学の観点からは、受精の瞬間を、生命誕生の時ととらえています。したがって、母体が危機にさらされるときなど特殊な例外を除いて、安易な中絶行為は慎まなければなりません。
 とはいえ、人口爆発は避けなければなりません。おっしゃるとおり、子どもの出生の権利というものは、むずかしいテーマですね。やはり、内面的な、内発的な倫理性を磨いていく以外に王道はないのでしょう。
4  戦争に巻き込まれる子どもたち
 リハーノフ 同感です。次に子どもが受けるもう一つの厳しい試練をあげるならば、それは戦争でありましょう。
 私たちは同じ戦争を、私は幼年時代に、あなたは少年時代に経験していますが、この戦争は私たちの世代に消しがたい影を落としていますね。
 私について言うならば、あの第二次世界大戦は幼心に日々克明に刻まれていきました。その細目はしばらく措き、私たちは撃たれることもなく、病気や飢餓の犠牲者にもならずに、何とか生き残りました。というより、生き残れるように家族が守ってくれたわけですが。
 しかし、どれほど多くの子どもたちが、砲弾の炸裂や弾丸、飢餓によって死んでいったことでしょうか。大人がどんなにわが身を投げ出してファシズムから子どもを守ろうとしても、どうしようもありませんでした。
 たとえば、ポーランドの教師で作家でもあるヤヌシュ・コルチャックを思い出してみましょう。コルチャックはドイツ・ファシスト軍に、自分一人、自由の身になるか、それともユダヤゲットーに収容されている子どもたちとともに、火葬場に行くかの選択を迫られました。彼は自分がそばにいる限り、子どもたちは最後の瞬間まで希望を失うことはないことをよくわかっていました。そうして、死して子どもたちを守りぬいたのです。
 池田 コルチャックについては、私もスピーチの中でふれたことがあります。
 私がお会いした卓越した識見の持ち主の一人に、ドイツのヴァイツゼッカー前大統領がいます。彼は大統領在任当時、ドイツの有名な新聞のインタビューを受けたときに、「あなたにとって現代の英雄はだれか」との問いに、「小児科医J・コルチャック」と答えているのです。
 ナチスの行った数々の蛮行の歴史を、決して忘れてはならない――良心の叫びを放った、ヴァイツゼッカー前大統領ならではのノミネート(名指し)だと思います。
 私は、そのエピソードを紹介したあと、「ひとたび決めた人間としての『信念』を、あらゆる苦しみを乗り越えて、最後の最後まで貫き通せる人。その人こそ真正の『英雄』である」と訴えました。
 コルチャックは、人間としての崇高な生き方を、文字どおり、身をもって子どもたちと後世に残していってくれました。
 リハーノフ 偉大な生涯ですね。
 第二次世界大戦が終わったのは半世紀以上も前ですが、平和は、本当の平和は、残念ながらいまだに訪れてはいません。武力紛争があちこちで勃発しています。大人たちが撃ちあいをし、その弾が子どもたちに当たっています。
 ロシアでもまた戦争が起こりました。国内戦争です。なぜ、そもそもこんなことになったのか、なぜ平和的手段で問題解決ができなかったのか、今では覚えている人もあまりいません。
 ロシアから離脱したいというチェチェン人の願いをこめた「分離主義」という言葉が、際限もなく飛び交っています。しかし、ここでは政治的な分析は避けて、子どもの被害という観点から見てみましょう。
 学校も幼稚園も、ほとんど崩壊してしまいました。
 子どもたちの勉強は、もう何年も中断したままです。完璧な統計ではありませんが、二千人の子どもたちが完全に孤児(お父さんもお母さんも亡くなった子どもたち)となり、七千五百人が片親を失っています。現地では、ポリオ(脊髄性小児まひ)が流行してもワクチンがありません。
 わがロシア児童基金は、「チェチェン前線の子どもたち」という慈善プログラムを発表しました。これは、狙撃兵に狙い撃ちされた子どもや、仕掛け地雷の破片や砲弾で負傷した五十人の子どものファイルを作るというものです。
 弾丸にも地雷にも、国旗はついていませんから、だれが撃ったかはわかりませんが、わかったところでどうなるものでもありません。つまり、非政府団体である私どもの基金が、子どもたちの写真と医師の診断書、勧告を集めてファイルを作り、一人一人に個人の銀行口座を開設し、義援金を集めているのです。
 池田 本来なら、政府がやらなければならないことですね、加害者なのですから。
 リハーノフ ええ。国から「児童身障者」に出る手当はほんのわずかなのです。「児童身障者」というのもおかしなもので、子どもたちは戦争で障がい者になったのですから、司令官によって戦闘に放り出された負傷兵と同じ扱いを国から受けるべきです。
 事実上、子どもたちはいやおうなしに戦争に巻き込まれ、二度と元に戻らぬ障がい者にされてしまったのですから、まさに兵隊と同じ目にあっているのです。
 具体的には、私たちは子どもを病院に入院させたり、リハビリや整形手術を受けさせたり、むずかしい治療を外国で受けさせる、あるいは国内のサナトリウム(療養所)で療養させる、といったことをやっています。
 それにしても、民主主義がご自慢のロシアで、これほどまでに子どもたちのことが忘れ去られ、しかも山ほどある法律も、チェチェンで負傷した子どもたち――チェチェン人だけでなく、混血のロシア人、ドイツ人などの子どもたちもいます――には何の役にも立っていないとは、まさに心が凍る思いです。
5  子どもを不幸にする行為に正義はない
 池田 チェチェン共和国の首都グロズヌイの廃墟同然の姿は、私もテレビなどで見て、人知れず心を痛めている一人です。ともかく戦争は絶対あってはならないし、まして子どもを巻き込むなど、許されてはなりません。
 私には、忘れられない一枚の写真があります。ベトナム戦争のさい、アメリカ軍の爆撃で村を焼かれ、戦場の川を懸命に泳ぎながら逃れようとするベトナム人母子五人の姿を、対岸から撮ったものです。
 『安全への逃避』と名づけられたもので、「世界報道写真展」のグランプリに輝き、「アメリカ海外記者クラブ賞」や「ピュリツァー賞」を受賞したもので、総裁もご覧になったことがあるかもしれません。
 撮影者は沢田教一という日本人の青年で、UPI通信サイゴン支局の報道カメラマンとして活躍していました。のちに、カンボジア内戦を取材中、プノンペン近郊で狙撃され、三十四歳の若さで殉職してしまうのですが、後年、彼の写真集が発刊されたさい、
 夫人の強い要望もあって、私は序文を寄せました。
 その冒頭に、戦争の暴虐への思いのたけを綴りました。少々長くなりますが、紹介させていただきます。
 「一瞬、私の心は止まった。
 私の心は泣いた。私の心は炎となった。
 沢田教一氏の数々の写真、なかでも『安全への逃避』と出会った刹那の感動を、私は決して忘れることはできない。
 ナパーム弾の猛焔に包まれた村から逃れ、戦場の川を懸命に渡っていく二組の母と子――。弱冠二十九歳の沢田青年が世界に送ったこの一葉の写真は、ほぼ四半世紀を隔てた今なお、いやまして鮮烈に、また切々と、戦争の残酷さ、悲惨さを語りかけてやまない」(沢田サタ『沢田教一ベトナム戦争』くれせんと出版部)と。
 リハーノフ よくわかります。
 私はチェチェンの子どもたちの庇護者となり、国家や戦争と対峙する弁護者でありたいと願っていますが、それにしても痛みに対する感覚が鈍っている社会では、ヒューマニズムや慈悲を叫んでも、共感を呼ばないということをますます強く感じます。
 たとえば、無慈悲という名の、強力な砲弾の破片に腹も胸も頭もやられてしまえば、負傷した足の痛みなどはとるにたらないものとなってしまいます。
 しかし、それにしてもです。どんなに混乱を呈した戦争でも、局地戦争でも、いちばん消しがたい苦しみを味わうのは子どもです。
 チェチェンでも何千人もの子どもが孤児になり、お父さんやお母さんを失いました。人生はこれから、という時に、父や母の支えが本当に必要な時にです。
 にもかかわらず、両親とも亡くしてしまった、あるいはお父さんだけ、お母さんだけ亡くしてしまった……。
 片方「だけ」と言っても、どれほど大切な存在を失ったのか。それは人間を精神的な高みへと育ててくれる、唯一無二とも言えるものであり、喜び、愛情であり、人間をつつみ込み、守ってくれるものなのです。
 その親を失ってしまうと、喜びも成功もどこかが欠けていて、日常生活、家庭生活の見えない部分で何となくつねにどこか違う、何かが足りない、という思いを味わうことになってしまいます。
 一人の子どもの不幸が個人的にはどんなに大きなものであっても、全体の一部ではないか、という考えは誤りです。
 一人の不幸もそれがあちこちにあれば、社会全体の雰囲気が変わり、倫理的な伝統も崩れて、国家そのものをむしばむことになります。
 池田 アンドレ・マルロー氏と私は、対談集(『人間革命と人間の条件』。本全集第4巻収録)を編んでいますが、彼は、みずから仕えたド・ゴール将軍を回想しながら、印象的な言葉を語っています。
 「私は、ここでまた、ヴァイオリンを腕にかかえたアインシュタインを思い出す。彼はこう言った。《不幸な子供たちがいる限りは、進歩などという言葉はなんの意味も持たないであろう》そのことを、ドストエフスキーはもっと悲劇的に表現した。《もしも世界が、人でなしによる無邪気な子供に対する迫害を許すなら、私は未来の調和の入場券などお返しする》」(『倒された樫の木』新庄嘉章訳、新潮選書)と。
 ドストエフスキーの言葉は『カラマーゾフの兄弟』の中で、イワン・カラマーゾフが、いたいけな子どもの虐待という事実を見逃しておいて、神の国での、和解や調べを説いたところで何になるのかと、舌鋒鋭く、キリスト教を弾劾するくだりの有名な言葉ですね。
 リハーノフ それは有名な一節ですが、残念ながらこの告発も、新しい世代の支配層にとって教訓とはなっていません。
 ロシア、チェチェンの為政者が何と言おうと――戦争が行われている国はすべてそうですが――大人たちがどんなにもっともらしい理由づけをしようとも、言い訳をすることはできませんし、それらの言葉に耳をかたむける余地もありません。
 大人たちはだれが正しくて、だれが悪いかを争う前に、事前に流血と悲しみを起こさせないために、子どもたちを疎開させておくべきです。老人も同じです。
 大人たちは――男性も女性も――自分の責任感と自己保存本能に応じて、自分が正しいと思う真実に基づいて、自分の居場所を選ぶことができます。
 しかし、分別のない子どもや無力な老人は、戦争が始まる前に、安全な地に避難させてあげなければなりません。
 それこそ責任ある政治の表れであり、そうでないなら無責任というものです。
 池田 ところが、戦争の狂気は、そうした責任感など吹き飛ばしてしまいます。
 第二次世界大戦で、日本がアメリカと唯一の地上戦を戦ったのが沖縄です。そこでは“鉄の暴風”と言われるほど、アメリカ軍の近代兵器が猛威を振るったのですが、なかでも、住民の心に消しがたい傷跡を残しているのが、敗色濃厚ななか、日本軍が行った蛮行です。
 人々が戦火を逃れて集結している洞窟に、日本兵が押しかけ、兵隊がいなくて島が守れるか、という“理由”で、子どもや老人、女性を追い払った、などという例が数多くあります。あなたのおっしゃった責任感とは、まったく逆の無慈悲そのものの行為です。
 なかには、洞窟内の人の気配に気づかれて、アメリカ兵に火焔放射器やガス弾を撃ち込まれるのを恐れ、兵隊が、泣きわめいている子どもを、母親の見ている目の前で水たまりに頭を押さえつけて窒息死させたなどという、目を背けたくなるような行動も報ぜられています。
 ともかく、戦争というものは、人間の狂気を狂気と感じさせない、異常な精神状態に追い込むことを忘れてはなりません。
6  慈悲の行動は言葉を超えて通じあう
 リハーノフ まったく同感です。
 私は重傷を負った子ども、病んでいる子、助けを必要としている子の占めるべき位置を、自分なりに定義してみました。それは、不幸に見舞われた子どもは、民族の枠を超え、主権を超越した存在だ、ということです。
 これはどういうことかを説明いたします。子どもを助けなければならないときに、「うちの」子どもも「よその」子どももない、ということです。
 私がわざとカッコでこの二つの言葉をくくったのも、助けられようとする子どもにとって、よそであろうが、うちであろうがそんなものは関係なく、時として「よその」人のほうが「うちの」人よりもはるかにしっかりと助け、守ってくれる場合があります。いずれにしても、救い手がだれであろうと、子どもが待っているのは、ひとえに助けるという価値行動なのです。
 子どもに当たった弾丸を取り出す医師が何語でしゃべろうと関係ないし、看護師さんあるいはふつうの女性が、わけのわからない言葉だけれども慰めの言葉をかけてくれている、運転手さんが自分の綿入れでくるんで寒さから守ってくれているときに、言語の別など関係ないのです。
 救いの手を差しのべてくれる人そのものが、確かな守りと善意の象徴であって、そこには精神的な主義やスローガンもアピールも、信仰さえも云々する余地はありません。ですから、不幸に見舞われた子どもは民族を超え、主権を超越しているとは思いませんか。
 池田 そうしたセンスというか、共感能力を身につけるということは、人間であることの不可欠の条件と言ってよいでしょう。
 先ほど、現代人の安楽志向にふれましたが、安楽のみを追い求め、苦しいことや悲しいことを避け続けていくと、本当の意味の喜びさえ味わえなくなってしまいます。なぜなら、真の喜びや充足感は、苦しみ、悲しみを正面から受けとめ、それを乗り越えたところにのみ開けてくるものだからです。
 安楽志向が手にすることのできる喜びは、はかない幻のようなものです。その意味からも、現代人が、洋の東西を問わず、おしなべて共感能力の衰弱におちいっていることは、まことにゆゆしき問題であると、私は憂慮しています。
 有名な仏典(「涅槃経」)には、「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ如来一人の苦」(大正十二巻)とあり、これを受けて、私どもの宗祖は「日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるはことごとく是れ日蓮一人の苦なるべし」と仰せになっています。
 ここから明らかなように、共感能力の衰弱という現代病は、まさに仏教の精神と対極にあります。ゆえに、私どもの仏法運動は、苦しみや悲しみ、喜びをともにする生命力をよみがえらせながら、生きて生きぬいていく、共生運動でもあるのです。
 リハーノフ 本物の宗教というのはいずれも、善と愛、同苦を説いていると思います。そういう意味では、異なる信仰をもつ人々にも、多くの全人類的な共通点があると言えるでしょう。
 私たちはグルジア人やタジク人、ロシア人、モルダビア人、チェチェン人の子どもたちを、治療のために世界各国に送り出していますが、言葉がわからなくても、子どもたちと救助員の心がいかに通いあうかを自身の経験から知っています。
 その心のふれあいを助けてくれるのは、笑顔やジェスチャーであり、また泣き声であります。残酷な暴力、戦争とは違って、慈悲には国境も民族の違いも、民族的野心もないのです。

1
1