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日蓮大聖人・池田大作

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創立七十五周年幹部特別研修会(5) 難攻不落の人材城を

2005.8.12 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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6  大聖人にほめられる大闘争を
 かつて戸田先生は、猛暑のなか、会合に集う同志を見て、涙を流しながら「これほど尊い姿はない」とおっしゃっていた。またある時は、「この人たちがいなければ、広宣流布はできない」「この尊い仏子を生命の続くかぎり守ってほしい」と、命をふりしぼるようにして語っておられた。
 ″東海道婦人部の大先輩″というべき四条金吾夫人に、日蓮大聖人は、こうつづられている。
 「一切の人が憎むならば憎めばよい。釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏をはじめ党王・帝釈、日天・月天等にさえ不便ふびんであると思われるならば、なにが苦しいことがあるでしょうか。法華経(御本尊)にさえほめられるならば、なにが苦しいことがあるでしょうか」(御書1135㌻、通解)
 皆さま方の健気な信心を、大聖人がほめてくださることは間違いない。
 戸田先生は言い残された。
 「御本仏であられる大聖人からほめられる戦いをしなさい。凡夫からほめられることなど、大したことではない。ましてや愚人からほめられることは、第一の恥である。ゆえに、自分の人気のために、あくせくする人間は愚かである。大聖人にほめられる戦いをすればよいのだ」
 初代の牧口先生も、戸田先生も、そして私も、この御文どおりの「御本尊根本」「大聖人直結」で戦ってきた。これが、永遠に変えてはならない学会精神である。
 大聖人は、「蓮盛抄」で、摩訶止観の次の一節を引いておられる。
 「師にあわなければ、邪な智慧が日ごとに増し、生死の迷いは月ごとに甚だしい」(御書153㌻、通解)
 師を得ず、我見に沈んでいては、不幸になるだけである。仏法の深義は、正しき師なくしては得ることができない。
 「富木殿御返事」では、佐渡流罪という大難のさなか、悠然と、こう仰せである。
 「ただ私は生涯にわたり、もとより覚悟の上である。今になって翻ることはないし、その上また恨むことはない。諸の悪人は、また善知識である」(御書962㌻、通解)
 大聖人の直系の私たちも、晴ればれと「覚悟の信心」を貫き通したい。
 「上野殿御返事」では、熱原の法難に屈せず戦う同志を励ましておられる。
 「しばらくの間、苦しいことがあっても、ついには必ず楽しい境涯になるのである」(御書1565㌻、通解)
 信心を持ったわれらの勝利は決まっている。幸福は決まっている。その大確信に燃えて、前進また前進したい。
 (群馬多宝研修道場)

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