Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十八回本部幹部会、第六回全国婦人部幹… 民衆の力を強めよ! そのために宗教革命を

1998.1.8 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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13  弘安三年(一二八〇年)の正月、厳寒の身延におられた日蓮大聖人は、こうおしたためである。
 「頭は剃る事なければうづらの如し、衣は冰にとぢられて鴦鴛おしの羽を冰の結べるが如し」――頭は剃ることもないので、髪が伸びてうずらのようです。衣は凍りついて、オシドリが羽根を広げたまま凍りついたように、ピンと張っています――。
 御本仏であられながら、あまりにも質素な日常であられた。もったいないことである。そうしたなかにあって大聖人は、はるか佐渡で広宣流布に励んでいる千日尼のもとに、薄墨に染めた袈裟を送られている。
 けなげに法を弘める門下を、いつも「これほどまでに」と大切にされるのが、日蓮大聖人であられた。その宗祖の御精神と、まったく逆さまなのが、高価な衣を着飾り、ぜいたく三昧に耽る日顕宗である。
 仏敵は責めなければならない。絶対に黙っていてはならない。正は正、邪は邪、と毅然と言い切っていくのが「学会精神」である。人がいいだけでは、悪人のしたいようにされてしまう。
 草創の学会のごとく、正義の獅子となって吼えてまいりたい。(拍手)
 日寛上人は、今日の日顕宗の堕落の姿を予見されていたかのように、こう戒めておられる。
 「徒に万金の衣を著、百味の食を食う者は猶大地の如し。嗚呼後生日々三たび身を省みよ」(当家三衣抄)――と。
 すなわち、「いたずらに、ぜいたくな衣を着て、飽食に耽る者は、大地の土のように多い。ああ弟子たちよ、毎日、三度、我が身を省みよ!」と。
 門下の僧侶に、厳しく言い残されたのである。
14  信心の世界では万人が平等
 きょうは、アメリカの同志も出席しておられる。(拍手)
 アメリカといえば、あの名門デンバー大学で、青空のもと、盛大な卒業式に出席したことを思い出す。〈一九九六年六月〉
 席上、私も「名誉教育学博士」として伝統のガウンを着用させていただいた。そのガウンは「学問の民主主義の象徴」であるとうかがい、私は感銘した。
 ガウンは「さまざまな社会的地位などを覆い隠し、学問の前では皆、平等であることを示している」というのである。地位や名誉を偉ぶってガウンを着るのではない。反対に、学問の前では「全員が平等である」ということを示しているのである。
 いわんや信心の世界では、万人が平等である。位や名声があるから偉いのではない。学歴があるから偉いのではない。役職が偉さを決めるのでもない。妙法を弘め、広宣流布に励む人こそが偉いのである。事実の行動で、法のため、人のために尽くした人だけが偉いのである。
 「広宣流布の闘士」こそが最高に尊貴なのである。
15  「如説修行」こそ真の修行であり、「学会精神」である。学会だけが大聖人の仰せ通りの「如説修行」をしている。
 「如説修行抄」には、「忍辱の鎧を著て」と仰せである。
 戦いは、忍耐で決まる。粘りで決まる。「忍辱の鎧」を着て、粘り強く戦った人が、最後は必ず勝つ。そして最後に勝つ人こそ真の勝利者なのである。
 どうか日蓮大聖人直結の「人間の勇者」「人間の王者」「人間の長者」として、また「弘教の英雄」「広宣流布の英雄」として本年も断固、勝ち進んでまいりましょう!(拍手)
 異体同心の見事なる団結で、また学会魂で、学会精神で、我らの底力を満天下に示し切ってまいりましょう!(拍手)
 すばらしい一年でありますように。お達者で! お元気で!
 (東京牧口記念会館)

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