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日蓮大聖人・池田大作

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第十八回本部幹部会、第六回全国婦人部幹… 民衆の力を強めよ! そのために宗教革命を

1998.1.8 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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1  民衆に大生命力を! それが広宣流布
 きょうは、思い出を刻む新年の″雪の幹部会″、おめでとう。(拍手)
 またスペイン、台湾、韓国はじめ、海外の皆さま方も、寒いところ、ご苦労さまです。
 そして「偉大なる婦人部」の幹部会、″関東の雄″たる千葉県の総会、本当に、おめでとう!(拍手)
 日蓮大聖人は「当世は世みだれて民の力よわ」――今の世は、世が乱れて、民衆の力が弱まっている――と嘆かれている。
 今の日本も同じであろう。否、もっと弱くなっているかもしれない。
 「だからこそ、『民衆の力』を強めよ! 『民衆の活力』を高めよ! 『民衆』を生かせ! 『民衆』を立たせよ!」――これが大聖人の御命令であると私は信ずる。ここにしか「社会の勝利の道」はない。「広宣流布」はない。
2  近代日本で最初の「公害事件」は「足尾鉱毒事件」とされる。
 (栃木県の足尾銅山の会社が砒素などの有毒物質を投棄。渡良瀬川流域をはじめ三十万もの人々に致命的な被害をもたらした)
 この事件について、戸田先生も、よく話してくださった。先生は、鋭い視点に立って、いつも私どもを指導してくださった。ありがたい師匠であった。
 この公害事件で戦ったのが、有名な田中正造氏である。
 (田中正造は江戸末期から大正を生きた思想家・人権活動家。一八四一年〈天保十二年〉、「下野の百姓」として生まれた〈現在の栃木県佐野市〉。若き名主として領主の不法に抵抗。投獄・拷問にも屈さず、悪政の改革を遂げる。県の役人時代にも、無実の罪で入獄。約三年の獄中生活で読書に励み、政治・経済を学ぶ。
 一八九〇年〈明治二十三年〉、四十九歳の時、第一回総選挙で衆議院議員に。「足尾銅山鉱毒事件」について十年間、国会で厳しく追及。しかし、政府が聞く耳をもたないため、正造は、ついに政治を捨て、被害を受けた人民の中に入る。そして一九一三年〈大正二年〉、人民の一人となって、ともに戦うなかで死んでいった)
 田中正造は、当時の指導者たちのことを、こう言っていた。「人民という頭がない」と。彼の口ぐせであった。
 ″人民のことなど、まったく考えていない連中である″と激怒していたのである。″政府と企業が結託して、人民を圧迫し、滅ぼそうとしている。とんでもない!″と。
 政府は、まるで人民を相手にして「戦争をしかけているようなものだ」と正造は言う。
 実際、「人民より政府が大事」が彼らの本音であった。
 政府は本来、公僕(国民のしもべ)であるにもかかわらず、また「道理も正義も、権力でおさえつける」という国家主義であった。
 正造は、それらと真っ向から戦った。絶対に人民を守っていかねばならない! と。
 私が戦うのも、尊い創価学会員を守りたい!――その一心からである。
 やがて正造は、衆議院議員の職もなげうつ。(五十九歳で辞職)
 一家を犠牲にし、最後は鉱毒の犠牲者とともに、あばら家に住みながら、死ぬまで戦い抜いた。偉大な人間主義者であった。
3  「日本を救うのは『新鮮な宗教』」
 日本の悲劇の根源は何か。田中正造は、それは指導者に信仰もなく、精神もない、すなわち「無精神」であることに根本がある――と言う。卓見であろう。
 彼は嘆く。日本では人民のほうも、おとなしく飼いならされ、ぶつぶつ言うだけで、本当に怒る気力もない。立ち上がる勇気もない。情けない日本である、と。
 これを救うものは、一体、何か。
 「新鮮なる宗教をもってする以外に、この国民を救い出す道はない」――彼は、こう叫んだのである。(「今の日本豈尋常無力の宗教を以て救ふべからざるなり」〈明治四十五年三月の日記、『田中正造全集』13所収、岩波書店〉とも)「新鮮なる宗教」とは、堕落し、力を失った古き宗教と聖職者への決別の言葉であった。(彼は当時、キリスト教に期待していた)
 政治でもだめ。言論だけでもだめ。何をやってもだめ――田中正造は最後に、こう結論する。「民を新たにする」――民衆にフレッシュな生命力を与えるために「宗教改革」しかない! と。それを希望して、死んでいったのである。(逝去の四年前の日記には「目的宗教改革ニありて他ハ一切無頓着」〈同全集11〉と)
 彼は、明治が生んだ「最高の思想家」とも評価されている。早くから日本の滅亡を予見している。すごい人物である。
 明治四十五年(一九一二年)には「日本は、いったん滅びて、その灰の中から、聖人が生まれるであろう」と予言した有名な言葉を残している。
 (明治四十五年は逝去の前年。日記に「日本一度亡びてののち、聖人ハ日本ニ生る」〈同全集13〉と。ほぼ同じ内容が、翌年の日記にもある)
 正造の求めた「民衆の新しい力」――。
 私は、私どもの「宗教改革運動」こそ、根本的に「民衆の生命力」を湧き立たせていく運動であると確信する。(拍手)
 正造の時代の後、日本の国家主義の流れは強まり、太平洋戦争をはじめ、大勢の人々が犠牲になった。国家主義の犠牲は、すべて無名の民衆であった。
 今、日本は再び、危険な国家主義の道に入りつつあると、憂慮する人は多い。断じて不幸を二度と繰り返してはならない。それを救うのは私どもである。いよいよ悠々と、胸を張って前進しましょう!(拍手)
 (田中正造については、『田中正造全集』岩波書店、林竹二著『田中正造の生涯』講談社現代新書、布川清司著『田中正造』清水書院などを参照した)
4  「心」を鍛えた人は若い
 「若さ」とは何か。今世紀のフランスの哲学者ロジェ・ガローディは、こんなふうに考えていたという。「ふつう人間は、若く生まれて、年をとって死ぬと思われている。ところが、じつは『真実の若さ』を手に入れるには、非常に長い修行を積まねばならない」と。
 彼が言う「若さ」とは、「現状にとどまらない精神力」のことであった。
 自己満足に陥らず、常に″もっと先へ進んでいこう!″と挑戦する「魂の力」のことである。
 赤ん坊や子どもは、鍛えられていないので、そのような「精神の強さ」「真の若さ」はもっていない。青年であっても、鍛えられていない、ひ弱な青年は「真の若さ」をもっていない。つまり年寄りである。長い闘争で鍛えられ、修行した精神だけが、「真の若さ」「魂の力」を勝ち得るのである。
 「成熟するにつれて人はますます若くなる」(『人は成熟するにつれて若くなる』岡田朝雄訳、草思社)という、ドイツの詩人ヘルマン・ヘッセの言葉もある。確かに、年齢とともに、何ものにもとらわれなくなり、ますます生き生きと、自由闊達になってくる人がいる。
 「年齢」と「老い」は、必ずしも一致しない。ここに大切な問題がある。
5  私は月刊誌『潮』で、対談「『生老病死』を語る」をスタートした(=平成十年二月号から九月号。『健康と人生』と題し、平成十二年四月、潮出版社より発刊)。対談の相手は、カナダのシマー博士。北米屈指の名門・モントリオール大学の学長であられる。先日(一月六日)もお会いし、さまざまに語り合った。博士は、世界的に著名なガン研究の大家である。
 世界の最高峰の人と語り合い、英知の宝を残しておきたい。私は、そういう気持ちで、これまでにも三十人近くの方々と対談集を編んできた。これからも続けるであろう。相手の専門分野は、さまざまであるが、仏法という普遍的な法を持っているゆえに、だれとでも深く話をしていけるのである。単なる知識の紹介だけでなく、「本質論」が大切である。価値ある「世界観」「生命観」が光っているような対談を残したいと願っている。
 今回の対談には、もう一人の対談相手がおられる。同じモントリオール大学の生命倫理学者であるブルジョ博士である。連載のなかでも紹介されていくと思うが、ブルジョ博士は「真の若さ」について、こう言われている。
 「私は三十歳になった時、『二十歳の時より若返った気がする』と言いました。四十歳になった時は、『三十歳の時より若返ったような気がする』と言いました。
 事実、二十代より三十代、三十代より四十代のほうが、自信をもち、経験も豊かになり、積極的に生きるようになってきたのです。だから、胸襟を開いて新しい出会いを歓迎し、新しい友情をはぐくみ、新しい課題にも挑戦できたのです。自主的な行動の範囲が広がったのです」
 「一般には、『開かれた心』や『柔軟性』は『若さ』の特徴であって、『老年』の特徴は『頑迷』と『偏狭』であるように思われがちです。しかし、そうとばかりは言えません。私自身の経験からすれば、新しいものを率直に受け入れ、むしろ歓迎できるようになったのは、二十歳の時よりも四十歳、五十歳になってからです」と。
 博士の言葉は、私の経験からいっても、その通りだと思う。博士は、年齢とともに、「行動の範囲」を広げ、「新しい出会い」を広げ、「新しい友情」を広げてこられたのである。
 創価学会においても、「対話の名人」は、たいてい年配の方々である。若い人は経験が少ないから、なかなか、かなわない。長年、鍛え抜かれたからこそ、「新しい出会い」にも、だれよりも柔軟に対応できる。智慧もあり、包容力もある。年配の皆さま、おめでとう。(拍手)
6  釈尊「つとめ励む人々は死ぬことがない」
 日蓮大聖人は、妙法を修行する人は「年は・わかうなり福はかさなり」とおっしゃっている。
 妙法を修行する人は、年をとっても若々しくなり、福運も、ますます積み重なっていく、と。大聖人の仰せに絶対に嘘はない。
 また、法華経では「不老不死」と説く。これも、たゆみない仏道修行によって「鍛え抜かれた生命」をいうのではないだろうか。
 釈尊は高らかに宣言した。
 「つとめ励む人々は死ぬことが無い。怠りなまける人々は、つねに死んでいる」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波文庫)
 その通りである。勇猛精進の人は、永遠の仏の大生命力を全身に漲らせていける。反対に、要領だけの、インチキの人間は、「生きながら死んでいる」のである。
 ある識者の方が、おっしゃっていた。
 「創価学会には、鍛え抜かれた『不老』の方々が、数限りなくいらっしゃいますね」「『不死』というべき永遠の生命力を感じさせる方々が多いですね」と。
 よく見ておられる。そのうえ、我々には、頼もしき幾百万の青年がいる。ゆえに、学会は何があっても微動だにしない。
 本年もどうか、「真実の若さ」をもって、「無限の生命力」を発揮し、社会に、広布に、自分自身の人生に、大勝利してまいりましょう!(拍手)
7  「私がやる!」と動く人が勝利者
 「一人」が、どれほど大事か。日蓮大聖人は「人数では決まらない。心で決まる」と何度も繰り返しておられる。大聖人の御言葉には深い意味がある。「日蓮は一人なれども」とも仰せである。
 「日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあやまたんと・せしかども・今までうて候事は一人なれども心のつよき故なるべしと・おぼすべし
 ――上は権力者から下は万人に至るまで、だれもが日蓮をなきものにしようとした。しかし、今まで、こうして無事に生き抜いている。これは(敵が万軍であるのに対し)日蓮は、たった一人であっても、(法華経を信ずる)「心」が強かったからであると知りなさい――。
 つまり、信心の「心」が強かったゆえに、万人を向こうに回しても殺されなかった、勝ったのだとの仰せである。
 私には、この御文が深く胸に迫ってきてならない。
8  周りがどうかではない。たとえ敵は多くとも、一人、戦う。それでこそ、大聖人の弟子である。その人を、大聖人は必ず守られる。
 大事なのは「強き心」である。「信心」である。「学会精神」である。
 組織も、数に頼って「だれかが、やるだろう」という心があれば、もはや「心」が負けている。「心」が崩れている。そうではなく、たった一人であっても、「自分がやる!」と引き受ける人。その人こそ「勝利者」である。
 「自分が動こう!」――この決心、この一念が「勝利に導く力」となる。それが「一念三千」の仏法である。
 「自分は楽をして、人にやらせよう」というのは指導者ではない。まして、どなったり、いばったりする権利など断じてない。指導者は、皆がやりやすいようにする「賢明さ」をもたねばならない。
9  大聖人は「民が子」として御聖誕
 日蓮大聖人は御自身のことを「辺土に生をうけ其の上下賤げせん」の身なりと仰せである。
 釈尊は王宮に生まれた。それに対し、大聖人は、中央から遠く離れた片田舎に生まれ、身分も低い身の上であると仰せになっている。また、こうも仰せである。
 「日蓮は中国・都の者にもあらず・辺国の将軍等の子息にもあらず・遠国の者・民が子にて候」――日蓮は、中央の都の者でもない。地方の将軍など、有力者の子息でもない。都から遠く離れた国の庶民の子である――。
 日蓮大聖人は、末法の御本仏であられる。釈尊、三世十方の仏・菩薩をも引き従えていく身であられる。にもかかわらず、大聖人は、安房(今の千葉)の一庶民としてお生まれになったことを、誇り高く宣言なされているのである。
 何と偉大な、尊き御宣言であろうか。ここに人間性の真髄がある。「どこの家に生まれた」とか「位がどうだ」とか、そんなことは幻である。「一個の人間としてどうか」、それだけが大事なのである。地位でも財産でも学歴でもない。
 ともあれ、本日は、日蓮大聖人が生誕なされた千葉から、多くの同志が集って第六回総会を開催されている。本当におめでとう。(拍手)
10  御本仏日蓮大聖人は、最も底辺の人間として、お生まれになった。それは、なぜなのか。日寛上人は、その意義を二点、挙げておられる。(「開目抄愚記」文段集一一四ページ。以下、引用は同書から。現代表記に改めた)
 一つは、「三類の強敵を招くことによって、末法の法華経の行者であることを明かすため」である。
 「もしも、権勢ある貴族の家に生まれたのであれば、たとえ折伏修行に励んでも、なかなか三類の強敵は競い起こらないであろう。そうであるならば、何をもって、法華経の行者であることを顕すことができるだろうか」と説かれている。
 釈尊は「末法の法華経の行者は、必ず三類の強敵に迫害される」と説いた。
 大聖人が「権力者の側」にあられたならば、大きな迫害はなかったであろう。大聖人が「民衆の側」におられたからこそ、釈尊の予言を現実にされたのである。要するに、三類の強敵を呼び起こし、それを打ち破ってこそ、法華経の行者である。
 ゆえに、大聖人の正統の「師子の道」を歩むならば、難が多いのは当然である。三類の強敵と戦闘してこそ、真の大聖人門下なのである。創価学会の三代の「師弟の道」こそが本物だったのである。(拍手)
 日寛上人は、大聖人が低い身分でお生まれになった、もう一つの意義として、「慈悲の道においては、位の低い一切大衆の救済を最も勝れたこととする。これこそ、慈悲の極みなのである」と述べられている。
 大聖人は大衆を救うためにこそ、大衆と同じ姿で、いな最も下賎とされる立場にお生まれになったのである。大慈大悲ゆえなのである。また、苦労している庶民のほうが、高位の人間よりも慈悲があることが多い。苦労していない人間は、えてして無慈悲なものである。
 仏は徹底して、庶民のために、人間のために、人類のために、風圧を受けながら断固として行動する。断固として戦い抜く。そういう人間をつくるのが日蓮仏法である。その意味でも、今の日顕宗は、大聖人の弟子ではない。
11  「尊貴名人」とは弘教の人
 庶民として生誕された日蓮大聖人の御内証が、いかに尊極であられたか。
 日寛上人は、その一端として六つの徳を挙げておられる(同前)。すなわち、
 第一に「智慧」が尊貴であられる。
 第二に「慈悲」が尊貴であられる。
 第三に不惜身命の「誓願」が尊貴であられる。
 第四に三類の強敵と戦う「行者」として尊貴であられる。
 第五に「本地」――真の御境地が尊貴であられる。
 第六に「三徳」が尊貴であられる、と。
 三徳とは、主師親の三徳である。民衆を守り、導き、慈しむ徳と言えよう。
 要するに、「尊貴」とは、身分や立場ではなく、「心」がどうか、「境涯」がどうか、「生命」がどうかが根本なのである。それが日蓮大聖人の御本意であり、日寛上人の御指南である。ゆえに、″僧が上で、俗が下″などという考え方は、日蓮仏法には絶対にありえない。
 法を弘める人こそが尊貴なのである。位とか財産に、心をとらわれてはいけない。八風に負けてはならない。それでは大聖人の門下ではない。(八風とは、人の心を動かす八種の風。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽とされる)
12  日寛上人――僧侶の衣は広布の″作業着″
 そもそも、日蓮仏法においては、僧侶は粗末な衣を用いるとされてきた。
 日寛上人は、その理由の一つを、「末法の下位を表する故なり」(「当家三衣抄」)――末法においては、(教えは高く、その分、身は凡夫という)低い位で人々を救っていくことを表すためである――と記されている。
 すなわち、凡夫として、末法の一切衆生を救おうとされる大聖人の御精神を体すればこそ、僧侶の衣は本来、質素でなければならないとされている。自分を偉く見せるための衣ではないのである。衣を権威の象徴とすることは、大聖人、日寛上人の御心に、真っ向から背いているのである。
 また日寛上人は、僧侶の衣は「行道雑作衣」――つまり″折伏に奔走するための作業着″であると仰せである。
 (「末法折伏の行に宜しき故なり〈中略〉行道雑作衣と名づくるなり。豈東西に奔走し、折伏行を修するに宜しきに非ずや」〈同前〉)
 広布に流す汗で、びっしょりとなるべき″作業着″なのである。したがって僧侶の衣は、着飾って、よく見せようとしたり、いわんや権威を振りかざすものでは絶対にない。そういう僧侶は、大聖人に背く大謗法の人間である。
13  弘安三年(一二八〇年)の正月、厳寒の身延におられた日蓮大聖人は、こうおしたためである。
 「頭は剃る事なければうづらの如し、衣は冰にとぢられて鴦鴛おしの羽を冰の結べるが如し」――頭は剃ることもないので、髪が伸びてうずらのようです。衣は凍りついて、オシドリが羽根を広げたまま凍りついたように、ピンと張っています――。
 御本仏であられながら、あまりにも質素な日常であられた。もったいないことである。そうしたなかにあって大聖人は、はるか佐渡で広宣流布に励んでいる千日尼のもとに、薄墨に染めた袈裟を送られている。
 けなげに法を弘める門下を、いつも「これほどまでに」と大切にされるのが、日蓮大聖人であられた。その宗祖の御精神と、まったく逆さまなのが、高価な衣を着飾り、ぜいたく三昧に耽る日顕宗である。
 仏敵は責めなければならない。絶対に黙っていてはならない。正は正、邪は邪、と毅然と言い切っていくのが「学会精神」である。人がいいだけでは、悪人のしたいようにされてしまう。
 草創の学会のごとく、正義の獅子となって吼えてまいりたい。(拍手)
 日寛上人は、今日の日顕宗の堕落の姿を予見されていたかのように、こう戒めておられる。
 「徒に万金の衣を著、百味の食を食う者は猶大地の如し。嗚呼後生日々三たび身を省みよ」(当家三衣抄)――と。
 すなわち、「いたずらに、ぜいたくな衣を着て、飽食に耽る者は、大地の土のように多い。ああ弟子たちよ、毎日、三度、我が身を省みよ!」と。
 門下の僧侶に、厳しく言い残されたのである。
14  信心の世界では万人が平等
 きょうは、アメリカの同志も出席しておられる。(拍手)
 アメリカといえば、あの名門デンバー大学で、青空のもと、盛大な卒業式に出席したことを思い出す。〈一九九六年六月〉
 席上、私も「名誉教育学博士」として伝統のガウンを着用させていただいた。そのガウンは「学問の民主主義の象徴」であるとうかがい、私は感銘した。
 ガウンは「さまざまな社会的地位などを覆い隠し、学問の前では皆、平等であることを示している」というのである。地位や名誉を偉ぶってガウンを着るのではない。反対に、学問の前では「全員が平等である」ということを示しているのである。
 いわんや信心の世界では、万人が平等である。位や名声があるから偉いのではない。学歴があるから偉いのではない。役職が偉さを決めるのでもない。妙法を弘め、広宣流布に励む人こそが偉いのである。事実の行動で、法のため、人のために尽くした人だけが偉いのである。
 「広宣流布の闘士」こそが最高に尊貴なのである。
15  「如説修行」こそ真の修行であり、「学会精神」である。学会だけが大聖人の仰せ通りの「如説修行」をしている。
 「如説修行抄」には、「忍辱の鎧を著て」と仰せである。
 戦いは、忍耐で決まる。粘りで決まる。「忍辱の鎧」を着て、粘り強く戦った人が、最後は必ず勝つ。そして最後に勝つ人こそ真の勝利者なのである。
 どうか日蓮大聖人直結の「人間の勇者」「人間の王者」「人間の長者」として、また「弘教の英雄」「広宣流布の英雄」として本年も断固、勝ち進んでまいりましょう!(拍手)
 異体同心の見事なる団結で、また学会魂で、学会精神で、我らの底力を満天下に示し切ってまいりましょう!(拍手)
 すばらしい一年でありますように。お達者で! お元気で!
 (東京牧口記念会館)

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