Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

カナダSGIのモントリオール総会 「聡明」即「幸福」の人生

1993.9.28 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

前後
11  「幸福の王者」「確信の王者」の余裕で
 さて、ここモントリオールは、かつてヨーロッパからカナダを訪れた人々が、新たな出発をした拠点であった。
 ご存じのようにフランスの探検家カルチェが、ホシラガ村の先住者の案内で、この地の山に登ったのは、一五三五年十月二日であった。(ちなみにSGI会長が初の海外訪問に旅立った日も、一九六〇年の同じ十月二日。この旅でカナダを初訪問している)
 眼前に広がる美しき眺め──。カルチェは、感動のあまり、この山を「王の山(モン・ロワイヤル)」と名づけた。これが、モントリオールの名前の由来とされる。
 「王の山」「王者の山」──素晴らしいロマンの響きがある。
 御書には「須弥山のように、『天』と『地』と『人』を貫いて、少しも傾かない存在を『王』という」と説かれている。(「須弥山と申す山の大地をつきとをして傾かざるが如し、天・地・人を貫きて少しも傾かざるを王とは名けたり」)
 何があっても動じない、何があっても揺るがない。その人が「王者」なのである。
 皆さまは、何があっても揺るがない「幸福の王者」であっていただきたい。「確信の王者」であっていただきたい。
12  妙法に生き抜いた人は、「生も歓喜」、そして「死も歓喜」となる。
 大聖人は仰せである。
 「退転なく修行して最後臨終の時を待つて御覧ぜよ、妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならば・あら面白や法界寂光土にして瑠璃を以つて地とし・金の繩を以つて八の道をさかへり、天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや
 ──退転することなく仏道修行をして、最後の臨終の時を待ち、ご覧なさい。妙覚の山に走り登って、目を開いて四方を見れば、ああ面白いではないか、その世界は寂光土であり、地面は瑠璃るりでできており、黄金の縄で八つの道の境としている。天から四種の花が降り、天空には音楽が聞こえ、諸仏・菩薩は常楽我浄の風にそよめいて楽しく遊んでおられますよ──。
 「妙なる音楽」「宝石を敷き詰めた大地」「諸仏・菩薩とともに遊ぶ遊楽の境涯」──私どもの死は、苦しみの死ではなく、このような「大歓喜の死」となる。大聖人がそう仰せである。
 そして一家・一族・友人にも大福運を分けおよぼして、次の「大歓喜の生」へと出発していくのである。
13  カナダはカナダらしく、余裕をもって進んでいただきたい。たとえ冷房が壊れても、(国のシンボルである)カエデの葉を扇にし、人間に飽きたら、たくさんいるリスを友達にするとか、「何でも楽しみながら」生きていただきたい。
 私は、皆さまの幸福と健康と長寿を一生懸命、毎日、祈っている。どうか「安心」し、ともに「素晴らしい人生」を生き抜いていただきたい。

1
11