Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第2回本部幹部会 信心の「心」は富士のごとく

1988.3.4 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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18  人間勝利へ不断の精進を
 いよいよ春三月を迎えた。これからの季節は草木もグングン伸びゆく、生命の躍動する時期である。
 なかには病身で春を迎える方もおられると思うが、必ず乗り越えていくとの確信に立って、どうか焦らずに回復に努めていただきたい。私もその方々の一日も早い回復を御本尊に祈念申し上げている。
 さて、皆さまもよくご存じの「むしろ三枚御書」は戸田先生も大変好きな御書であった。そして「御書全集」の巻頭に大聖人の御真筆が掲載されている。
 その「莚三枚御書」に「そもそも三月一日より四日にいたるまでの御あそびに心なぐさみて・やせやまい痩病もなをり・虎るばかりをぼへ候」――さて、三月一日から四日まであなたと楽しく過ごしたことで私の心も慰められ、せる病もよくなり、虎を捕るばかりに元気になった。――との一節がある。
 この御書の御執筆の年代も、与えられた人も明らかではない。
 しかし堀日亨上人は、弘安五年(一二八二年)の春三月にしたためられ、南条時光に与えられたものと、ほぼ断定されている。この年、時光は二十四歳。まさに現在の青年部にあたる若き信徒への御手紙といえよう。そして、この年の十月十三日に、大聖人は御入滅されている。
 この御手紙をいただく前に若き時光は、熱原法難(一二七九年)以来の辛労も重なったのであろう、命にかかわる重病に陥った。大聖人御自身も、身延に入山(一二七四年)されてからは食糧も乏しく、過酷な環境の中で、お体もすぐれず、病気がちであられた。
 しかし、大聖人は御自身の病気を顧(かえり)みられることなく、この前途ある青年・時光の蘇生を祈られている。さらに、大聖人の御心を体して日興上人も時光を見舞い、激励にあたられた。自らはどうなってもよい。後世を託す一青年を救わんとされた大聖人の御心――やがて時光は一命をとりとめ、見事に回復する。大聖人のお喜びはいかばかりであったか。
 この御文は、生命力の蘇(よみがえ)った時光の姿を御覧になった大聖人の喜びあふれる御言葉とも拝される。
 いずれにせよ、大聖人は、春三月はじめの一人の門下との出会いによって御自身が「心なぐさみて」「やせやまいもなをり」とまで仰せくださっている。
 さらに「虎とるばかりをぼへ候」――妙法の功徳ですっかり元気になったあなたの姿を見て私もまた、虎を捕るばかりに元気になりましたよ――との仰せに、大聖人の限りない御慈愛と、仏法のうるわしい師弟の姿が感じられてならないのである。
19  次元は異なるが、戸田先生はかつて次のように言われたことがある。
 「私は若いときには、いろいろなものを楽しみました。芝居も浪花節も、あるいは料理屋の遊びも、楽しいと思ったこともありますが、いまでは、そんなものは、ちっとも楽しいとは思いません。(中略)私のうれしいことは、皆さんのなかで、本当の功徳をうけた人の話を聞いたときが、いちばんうれしいのです」と。
 私も、会員の皆さま方の幸せの姿を見るとき、また青年達の成長と活躍の姿を見るとき、これに勝る喜びはない。
 ″会員の功徳の実証″を自らの最大の喜びとされた戸田先生の精神。これこそ大聖人の仏法の精神に通じるものであると思う。そして学会は、この戸田先生の会員をどこまでも慈(いつく)しむ心に象徴されるように、美しくも麗しい「心」の世界の縮図なのである。
 現代社会の生命のオアシスともいうべき、美しき心の世界である学会を、どこまでも大切にし、さらに拡大しゆく皆さま方であっていただきたい。
 三月は卒業をはじめ転勤や転居など何かと身辺の移動が多い季節でもある。すべてが新しい前進の始まりとなるこの春花の三月、若々しい気持ちで晴れやかな出発をされんことを念願し、私のスピーチとしたい。

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