Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第1回各部代表者会 「心こそ大切なれ」を銘記

1988.2.25 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

前後
6  私は沖縄の地で″五勇士″の歌を何度も聞きながら、生命をして自らの生命に生きぬこうとした彼らの″男の生きざま″に、深い感銘を覚えたものだ。また主義主張は異なるが、わが学会の青年部の凛々しき姿を思い起こした。
 戦後、学会の再建期にあって、戸田先生が最大の苦境に陥られたことがあった。多くの人たちが戸田先生のもとを去っていった。しかし、″人生の師″と決めた戸田先生である。私は、どこまでも戸田先生とともに戦いぬくことをを強く心に期していた。
 そのとき戸田先生は、私に言われた。「広宣流布のために、大作、″男の生きざまとはこうだ″というものを、二人でこの世に残そうじゃないか」「私はいつ死ぬかわからない。しかし、大作、広宣流布のために、君は男として、阿修羅のごとく戦ってくれ。たとえどのような結果になっても、すべて御本尊におまかせしよう」と。
 いざというとき人間として、男としてどう生きるか。″ぬるま湯″にいるような生き方では道は開けない。苦境のとき、また人生の転換期に立ったときにこそ、″私はこう生き、こう戦いぬくのだ″との、鋭き信仰者としての生き方を貫いていただきたいと念願する。
7  陰の人を大切に後輩に道開け
 ところで、日本海海戦に勝利した東郷平八郎は、いちやく名将として名をあげ、日露戦争後、大勲位、功一級を与えられ、伯爵に叙せられている。
 しかし、死と隣り合わせになった荒海を、腕も折れよと昼夜兼行で丸木舟を漕ぎ、バルチック艦隊の消息を伝えた″五勇士″たちには、何の恩賞もなかった。
 作戦にもっとも必要とされた情報である。たとえ同じ情報が信濃丸からすでに報告されていたとしても、勝利を左右する貴重な情報を伝えたことは、最大の功績である。だが、当時、彼らには何の称賛もなく、だれからも注目されることはなかった。
 彼らの勇敢な働きは、実に三十年後の一九三五年(昭和十年)、日露戦争の記念日に表彰される。こうして″久松五勇士″は、急に愛国的英雄として知られるようになった。
 いつの時代にあっても、戦いで功のあるのは中心の指導者だけではない。むしろ、多くの場合、命を捨てて戦った無名の人々に、真実の功があるといってよい。
 広布の活動にあってもまたそうである。陰で黙々と尽くしてきた人々の活躍があってこそ、広布の道なき道が開かれてきたのである。私どもは、いかなる時代になっても、そうした陰で活躍してきた人たちを、決して忘れてはならないし、断じて守り、その名をたたえていかねばならない。それが学会精神である。
8  後輩は先輩を尊敬する。先輩は後輩を包容し、育てる。それは当然である。そのうえで、先輩は後輩に大きく道を開いてあげなければならない。後輩の伸びゆく道をふさいではならない。そのために、自分自身の、すっきりした信心と不断の成長が不可欠となってくる。
 また、しょせん、信心は年齢で決まるものでも、序列や役職で決まるものでもない。もし万一、誤れる信心の先輩がいたとしたら、後輩はその言動に従う必要はない。左右されてもならない。むしろ、厳然と正を正、邪を邪としていける鋭い眼と勇気がなければならない。
 最後に、皆さまの広布への尊き労苦に心から感謝しつつ、「いよいよ信心の境涯を開いていただきたい。いよいよ福徳の人生を開いていただきたい。そして、いよいよ福徳の人生を開いていただきたい。そして、いよいよすばらしきわが人生の生きざまを、悔いなく示しきっていただきたい」と申し上げ、祝福のあいさつとしたい。

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