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沖縄の長寿社会(下)  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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2  人のために点せば、自分の前も明るい
 池田 沖縄では、伝統的な「ヨコ社会」の良さが地域に生きていると言いますね。
 たとえば、大宜味村のあたりでは、″外が暗くなっても家の中の電気がついてゃないのは、よくない。帰ってくる人が明るい家に入れるように″と考えて、おたがいによその家の電気が消えていると、電気をつけてあげるそうです。ふだんから家に鍵はかけないし、泥棒も事件もない。安心して、住める所なんですね。
 御書に「人のために火を点せば、自分の前も明るく照らされる」(御書一五九八ページ、趣意)とあるが、高齢社会では、″人のために点す″心が大切です。それが、最後は自身をも照らすことになる。
 松岡 都会のような独り暮らしの老人の孤独死は、考えられない環境ですね。
 佐々木 畑仕事で、トマトやキュウリ、ニガウリなどが取れると、自分が食べる分以外の余った分は、よその玄関の前にそっと置いて帰ってくるそうです。
 池田 地域共同体の助けあいが、肩が凝らない形で、ごく自然に行われていて、いいね。
 沖縄社会の相互扶助の精神は、「ユイマール(結ともいう)」が有名です。たいへんな労働を一時に必要とするサトウキビの収穫などに、皆が持ち回りで協力するのです。こうした心が長寿社会を支えているのだろうね。
 松岡 芭蕉布の作業工程は、三十以上もあって、背丈ほどもある芭蕉の原木を鎌で切り倒して、炊いて、水洗いして、竹ばさみでしごいで、乾燥させて、糸をよりわけで、それをまた大鍋で煮て、しぼって、染めて……と完成まで、とにかく気が遠くなるような作業の連続で、力仕事。なおかつ繊細な熟練の技を必要とします。
 佐々木 村の女性たちが、熟練度に応じて、それぞれの作業を分担し、結果として共同作業をします。それが楽しみであり、生きがいだそうです。生涯現役で、働く場があるのです。
 池田 平良和さんは、数少ない「芭蕉布保存会」のメンバーで、機織りの名人とお聞きしました。素直な心根が、人生の風雪を刻む笑顔厳に表れている印象的な方でした。
 佐々木 和さんは、母子家庭で育ち、食べていくために母親から半ば強制的に、糸つむぎを覚えさせられました。それが、いやでいやで、県外の紡績工場で働いたこともあったそうですが、今では「手仕事を身につけさせてくれた母に感謝しています。そうですね、八十歳を過ぎて、やっと母に感謝できるようになりました」と話していました。
 松岡 「私たちには学会活動がある。忙しい、時間がない」というのが三人の口癖なのだそうです。
 地元の支部婦人部長が、「おばあちゃんたちが『働く』という場合、朝から晩まで働くことで、二、三時間でも手を抜くと『きょうは遊んでしまった』という。とてもかないません」と敬服していました。
3  ヨコ社会に温かい人間関係
 池田 沖縄の心を象徴する言葉に「ヌチドゥタカラい(命こそ宝)」がありますが、御書には「いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり」とある。相通ずる生命尊厳の思想です。
 また沖縄にはかわいそうという相手を下に見た同情の表現はなく、苦しみを分かちあう「チムグリサ(胸が痛い)」という言葉を使う。言うまでもなく学会の「同苦」の精神です。「イチャリバ・チョーデー」という言葉は知っていますか。
 佐々木 「出会う人は皆、兄弟」という意味ですね。
 池田 そう。これも「ヨコ社会」の人間関係から生まれた知恵でしょう。
 仏法では、「皆が恩ある衆生だから、皆の成仏を祈っていきなさい」(御書一五二七ページ、趣意)と教える。
 人間が大切にされている。人間関係が大切にされている。そこに長寿社会の急所があるね。
 沖縄には、長寿者を親戚はじめ地域ぐるみで祝う習慣があり、とくに、数え九十七歳の祝いは「カジマヤー(風車)」といって、風車を持ってオープンカーで町中をパレードします。沿道の人もまた風車を掲げて祝福します。
 名前の由来は、この年になると、童心に返って風車で遊ぶからだという説が一般的です。いずれにせよ、多くの人からの祝福が、高齢者の生きがいにも、目標にもなっている……。
 佐々木 沖縄の三盛洲洋副会長が言ってましたが、今、那覇市など都市化が進んだ地域は、こうした、良き伝統が壊れ始めているそうですそれゆえ、心ある識者は、創価学会の座談会など、地域にネットワークを広げる運動に大きな期待を寄せてくださっている、と。
 池田 草創期には、沖縄の「ヨコ社会」の強靭さがかえって障害となり、一族のなかで信心するのはむずかしい現実もありました。
 しかし、学会がめざすものは何か――それを粘り強く語り、生活でも実証を示しきっていったときに、着実に理解の輪は広がったのです。
 いわば″臨界点″ともいえるだろうか。ある段階を超えると、仏法への理解がグンと広がり、深まっていく。その土壌が沖縄にはある。
 松岡 三盛副会長のお母さんは、九十一歳でかくしゃくとされています。竹富島のど出身で、親族で最初に信心されました。
 「初めは誤解もありましたが、そのなかで、母がきちんと人間革命の姿を示したとき、結束が強いだけに一気に広がった」と言われていました。今では、全員が信心に励んでおられます。
4  生命の質を高めよう
 池田 大切なのは、生きているうちに、どれだけ「生命の質」を高めることができるかです。長く生きることだけが、長寿ではない。たとえ短命に終わっても、充実した生をまっとうできれば、その人は、手応えのある人生を生きた分、長寿といえるでしよう。
 先日も、アメリカ・デンバー大学のナンダ副学長と語りあいました(一九九七年九月)。ナンダ副学長は、国際法の世界的な学者で、親友です。
 みずから病魔と闘いながら、私の健康を案じて、「百歳以上、生きられることを、深く深く祈っております」とおっしゃってくださった。そして、インドの言葉である「千年、生きなければいけない。毎年が一万日あるような千年を、生きなければいけない」を贈ってくださった。
 大切なのは、きょう一日を、広布の前進とともに悔いなく生ききることです。いくつになっても、生きる目標を胸中に燦然と輝かせていくことです。その日々の積み重ねしかないのです。

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