Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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舎利弗。吾従成仏己来。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

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14  執着を見極める智慧
 「諸の著を離れしむ」とは、釈尊が、「因縁」や「譬喩」を通して、人々のさまざまな欲望、迷いを取り除かせようとしたことを述べています。
 人を不幸にする元凶は、さまざまな物事に「執着」する心です。「執着」とは、文字どおり「とらわれる心」です。「煩悩」や「欲望」などです。釈尊は爾前経で、不幸に沈む九界の人たちに、執着から離れる道を教えた。それが、「令離諸著(諸の著を離れしむ)です。しかし、法華経の心は、煩悩を断ずることではない。妙法を根本としたとき、煩悩をそのまま菩提に転ずることができるのです。これを「煩悩即菩提」といいます。
 日蓮大聖人は「御義口伝」で、法華経薬王品の「一切の苦を離れしむ」という経文について、「離の字をば明とよむなり」──「離」の字を「明らむ」と読むのである──と仰せです。
 「諸の著を離れしむ」とは、大聖人の仏法では「諸の著を明らめしむ」と読むのです。っ執着を離れるのではなく、明らかに見ていく。すなわち、煩悩、執着を捨て去るのではなく、正しく見極め、幸福への原動力へと生かしていくことです。
 確かに、「執着」を離れよ、と言われでも離れられるものではありません。また、仮に、離れたとしたら、現実社会に生きていくことなどできません。大事なことは、執着に振り回されず、使いきっていくことです。そのために、執着を執着として明らかに見ていくことが大切となる。
 戸田先生は、次のように語っておられた。
 ──執着を執着として明らかに見せてくれるのが御本尊であります。あなた方も、執着があると思います。私にも執着がある。みんなに執着があるから、味のある人生が送れるのであり、大いに商売に折伏に執着しなければならない。ただし、その執着が自分を苦しめない執着にするのがわれわれの信心である。執着に使われではならない。自分の執着を使い切って、幸福にならなければならないのであります──と。
 この、「執着を明らめて使い切る境涯に」「大いに執着し、味のある人生を」という生き方こそ、大乗仏教の真髄です。要は、大いに煩悩を燃やし、その分、真剣に題目をあげ、行動していけばよい。そうすれば、煩悩がバネとなって、自分の成仏が進むのです。
 信心は、登るべき「山」を自らつくり、自ら「山」に挑戦していく。その繰り返しです。それが、はじめは自分だけの小さな悩みにとらわれていた境涯が、やがて、友のため、人々のため、人類のためという「大きな悩み」に挑戦できる自分になれるのです。
 そのためにも、つねに「何のため」を考えることが大事です。根本の人生の目的が定まっていれば、執着を使いこなせる。すべてを幸福の追い風にしていける。そのための信心です。この法理は、欲望に流されている現代社会にとって、大きな指標となるにちがいありません。

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