Nichiren・Ikeda
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「久遠の誓願」果たし「本有の生死」を悠…
講義「御書の世界」(下)(池田大作全集第33巻)
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8 師弟不二の広布大願
斉藤 広宣流布の大願、民衆救済の闘争に生きぬくところに「本有の生死」を実感する境涯が開かれることが分かりました。
池田 その「大願」と「戦う心」を師と弟子が同じくしていくことが大聖人の仏法における師弟不二です。
師匠は「大願」と「戦う心」に貫かれた完結した人生を弟子に示すことによって、弟子の規範となり、拠り所となります。
法華経に説かれる釈尊の振る舞い、そして日蓮大聖人の御生涯の御振る舞いも、そのような師の在り方を示されていると拝したい。
弟子も、同じ「大願」と「戦う心」とを貫くことによって、師弟不二を実現します。その生き方のなかに、仏と同じ常楽我浄の境涯が開かれるのです。これが「仏界の生死」であり、「本有の生死」です。
斉藤 広宣流布の戦いのなかにこそ、永遠の妙法に基づいて生きる仏と同じ生き方が開かれてくるということですね。広宣流布へ戦いぬく創価学会の師弟においても同じことが言えるのではないでしょうか。
池田 戸田先生はつねに、「死身弘法」の実践で現代の広宣流布の端緒を開かれた牧口先生を思われながら、行動されていた。
晩年、しみじみと「牧口先生がいないと寂しい。牧口先生のもとに還りたい」と言われていました。
私もまた、戸田先生が存命中も、亡くなられてからも、今も、つねに戸田先生との「師弟不二の大道」を歩み通してきたつもりです。それが私の人生最高の誇りです。
「師弟」に徹することが、三世永遠の不滅の境涯を得る道です。師弟の大道こそ、何ものにも勝る「人間の宗教」の本質です。
法華経は諸経典で唯一、「師弟不二の経典」です。
日蓮仏法は世界の宗教で唯一、一切衆生を仏にしゆく「師弟不二の宗教」です。
そして、創価学会の実践のなかには、「師弟不二の大道」があります。
人類の境涯を高め、この地球上の一人一人が師子王となっていく創価学会の「師弟不二の行動」が、二十一世紀の「人間主義の宗教」のパイオニア(先駆者)として不滅の輝きを放っていくことは間違いありません。