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日蓮大聖人・池田大作

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難即成仏と発迹顕本――苦難が人間本来の…  

講義「御書の世界」(上)(池田大作全集第32巻)

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14  池田 私たちの一生成仏の手本を、大聖人が身をもって示してくださったのです。いかなる苦難も超えて、無明を打ち破り、法性を現していく自分を確立することが発迹顕本です。大難を受けるほど、仏界の生命は輝きわたっていく。そういう自分を確立することが、一生成仏の道です。
 真の意味の人間性の錬磨は、難を乗り越える信心の中にあるのです。
 森中 凡夫は、どうしても難を乗り越えるというよりも、難を避けていこうとする生き方が出てしまいます。ぎりぎりの状態になっても、何か余所に方法があるのではないかと考えてしまう(笑い)。
 あっちへ行って、こっちへ行って、それで、もうどうしようもないという状態にたどり着いて、はじめて腹が据わります(笑い)。
 池田 そこに壮年部と婦人部の違いがあるかもしれないね(笑い)。
 最後は御本尊の前に座れるんだから、それもいいが、最後に座るんだったら最初から座ったほうが早い。真一文字に御本尊に直結していく。それが凡夫が仏にやすやすとなる道だし、信心です。
 「夫信心と申すは別にはこれなく候、妻のをとこをおしむが如くをとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く・子の母にはなれざるが如くに、法華経釈迦多宝・十方の諸仏菩薩・諸天善神等に信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり」と仰せのとおりです。
 「正直捨方便・不受余経一偈」です。
 凡夫にどうしても生じる、「迷いがちの心」。その迷いの心をすっきりと断ち切れるかどうかです。「正直」にとは、竹を割るように「潔く」という意味です。
 信心が深まってから難に向かうのではありません。難に向かっていくなかに生命が鍛えられ、金剛の信心が築かれていくのです。どんな悩みも、そのまま御本尊に祈っていけばいいのです。題目をあげることで悩みを乗り越えていくことができる。
 微妙な順番の違いかもしれないけれど、行動に現れるかどうかは決定的な違いです。
 それぞれの使命の人生に苦難は必ずあります。しかし、心さえ確かであれば、乗り越えられない困難はありません。打ち勝てない試練はありません。人間にはもともと、はかりしれない力がそなわっています。それが久遠元初自受用身の力だ。だから、戦えば戦うほど、自分自身の力が引き出せる。信心は、その秘宝を引き出す力です。大難があれば、即悟達に通じる。大難が即成仏を決定づける。
 大聖人は、一つ一つの大難を自らが乗り越えられることで、門下にその生き方を教えられたと拝したい。そして、その究極の生き方を、四条金吾に対して、まざまざと指南されたのが、竜の口の法難であったとも言える。弟子のためであり、未来のためです。
 金吾もまた、迷いの心がなかった。だから、師弟ともに仏果に至ったのです。竜の口が寂光土になったのです。
 捨てるべき迹とは「弱気」です。「臆病の心」です。大聖人は、「勇気」の本地の御姿を示すことで、発迹顕本の御姿を万人に示された。
 この大聖人の「勇気」の御心を、自身の決意として、あらゆる困難に莞爾として立ち向かっていくことが、今度は私たちの発迹顕本につながる。
 斎藤 今の地球を見ると、無明が人類を覆っているような気がします。二十世紀は、結局は戦争の無明、エゴによる環境破壊の無明、貧困を生む無明、差別の無明、衝突の無明がことごとく噴出した世紀でした。
 池田 しかし、唯一の"収穫"はあります。それは、人間自身が変わらなければ、そうした人類の闇は晴れないということに心ある人が気づき始めたことです。
 私の敬愛すべき友人であった故ノーマン・カズンズ氏は、重病など、多くの苦難を受けた人であるが、楽観主義を終生貫かれた。
 氏は、こう言われている。
 「人間は恐らく、現代世界の変化に対処するだけの理解力を養うことはできまいと言う人々がある。しかし人間をもっと高く評価する、別の見方もある。歴史が裏書きするのは、そちらの方であろう。その見方によれば、すでに人間の内部に、変化に対応する大きな能力が存在していて、きっかけさえ与えられれば、すぐに発揮されるはずである。人間は無限の順応力、無限の向上力、無限の包容力を持っているのである。その巨大な可能性に呼び掛けるのが、指導者の地位にある人の特権である」(「人間の選択」)
 人類の持つ無明の転換――文字通り人類の宿命の転換です。二十一世紀は人類全体の発迹顕本の岐路とも言える。
 転換できなければ、二十一世紀は二十世紀以上に無明が広がってしまう。そうなればもう、人類には先がありません。人類にとって苦難と試練が続く現代は、人類が地球規模で目覚める大きなチャンスなのです。
 人類の発迹顕本――。日蓮仏法は、その必要性と可能性を教えています。ゆえに、二十一世紀に必要不可欠な人類宗教であると私は信じています。それを証明するのが、二十一世紀の青年たちであることも、私は固く信じています。

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