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日蓮大聖人・池田大作

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「権威への信仰」を打ち砕く革命 イプセン『人形の家』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

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7  真の解放は「自身」の革命によって
 へルメルが骨がらみになっていたもの。イプセンは、その本質を「権威への信仰」(作品の覚書き)と喝破した。また、友人に宛てた手紙に、彼はこう記している。
 「彼ら(=政治家たち)は単に政治面での、すべての表面的な特殊な革命を望みます。そんな革命なんて馬鹿げてます。大事なことは、人間の精神の革新です」
 イプセンが追求したのは、制度や法律といった外面の革命ではなかった。あくまで「人間の精神の革命」であり「人間の内面の解放」であった。「権威への信仰」が宿るのは人間の内部である。それを変革しないかぎり、いかなる解放も、幸福も成し遂げられない。
 人間の本源的な解放、すなわち「権威への信仰」を打ち砕く革命は、「人間自身の革命」から始まることを、彼は見抜いていたのである。
 この「人間の内面の変革」を、生命の次元にまで深く掘り下げ、「人間革命」の運動として具体的に示されたのが戸田先生であった。一人の人間における「人間革命」の波動が、一人また一人と覚醒させ、全人類の宿命転換をも可能にする一大潮流となりゆく方程式を、民衆のなかに、生活のなかに打ち立てられたのである。
 恩師は昭和二十八年(一九五三年)、婦人部への指針として「婦人訓」を贈られたことも忘れられない。先生は、一人の婦人の決意を会合で聞かれ、その原稿を「わたくしに寄贈してほしい」と頼んで、原文のまま発表されたのである。「予が永らく願望せる婦人の確信と一致せり」と、先生は、その前文に記してくださった。
 健気な庶民の発露をまっすぐに受けとめ、どこまでも大事にされる先生であった。崇高な「使命」に生きる女性の活躍を、誰よりも深く信頼されている先生であった。その恩師の姿を思い、私も十年後の一九六三年、婦人部の友の活躍をたたえる一文を贈らせていただいた。
 「あなたたちは、庶民の生活法の哲学者だ」「あなたたちこそ真の女性解放の先駆者だ」──この確信は今もいっそう、強く胸に響いている。
 ところで、イプセンの妻は、どんな女性であったか。興味を抱く人も多いだろう。
 名はスザンナといった。イプセンより八歳年下で、彼が三十歳のときに結婚した。二人は貧しかったため、二年以上も待って式を挙げた。一八五六年の婚約から一九〇六年のイプセンの他界まで半世紀、スザンナはつねに夫を助け、励まし続けたイプセンが詩作のぺンをおいたまま怠けて、画を描いていたりすると、彼を机に連れ戻し、仕事を続けさせたという。
 イプセン自身も「彼女は正にわたしにとって必要な性格の持ち主だ。非論理的ではあるが、強烈な詩的本能をそなえ、物の考え方が雄大で、つまらない心配をするのが大嫌いだ」と書いている。
 彼は、「男にない天才的な本能が女性にそなわっている」と信じていた。公衆の前でも同様に語っていた。彼がそう確信したのは、賢明な妻に対する、心からの尊敬と信頼があったからにちがいない。
8  哲学を求め、哲学によって輝く
 女性の力は大きい。可能性は計りしれない。女性の特質が存分に発揮されていけば、行き詰まった男性中心社会で喘ぐ男性をも解放することになろう。そうなれば男性の持ち味も、もっと生かされるにちがいない。「女性の解放」は「人間の解放」の半分ではない。その重みは「全体」にも匹敵することを知らねばならない。
 「女性の時代」はまた「哲学の時代」である。哲学を求め、哲学によって輝き、その事実の姿への信頼・共感が人間を結ぶ。
 その広がりが世界をつつみ、時代を励ましゆく未来を思うとき、そこに豁然と開かれた「人間革命」の大道を、イプセンも満面の笑みを浮かべて闊歩している姿を、私は確信をもって心に描かずにはおれない。
 ──ノルウェーの独立(一九〇五年)を見届けるかのように、その翌年、イプセンは七十八歳で生涯の幕を閉じた。オスロにある彼の墓には、ハンマー(鉄槌)のしるしが刻まれている。
 「重き槌よ、われに道を開け。山の心室に到達するまで」──若き日にイプセンが書いた「鉱夫」という詩の一節である。墓の鉄槌は、それを表したものだという。
 イプセンの作品は、作者が「退場」してしまってからも、人間社会の矛盾の山に、容赦なく「鉄槌」を下し続ける。粉々になった人間と人間をどう結びなおすか。そこに道を開く次なるドラマは、恩師が語ったように、今に生きる私たちが「自分で」綴り、演じるしかないのだ。

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