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日蓮大聖人・池田大作

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「権威への信仰」を打ち砕く革命 イプセン『人形の家』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
6  こうして、ノラは、必死に懇願し慰留するへルメルをふりきって、家を出る。この三幕の劇の終幕が、ノラが扉を閉める、ドンという重い音で締めくくられているのは、作劇上の効果の点はさておき、何やら示唆的である。重い音は、古めかしい因習的過去との断固たる訣別ともとれるし、波乱の未来へのそこはかとなき予兆のようにも思える。ノラの旅立ちは、それほどに希望と不安が、未知の闇の中で交錯しており、決して明るくはない。彼女は、いわば狂瀾怒涛の逆巻く大海へ、素手で乗り出していったといってよいのだ。幸福の果実もたわわな、新たなる「人間関係」を求めて──。
 したがって、ノラのその後に大きな関心が寄せられるのも当然であろう。魯迅は、教育を志す若い女性たちに「ノラは家出してからどうなったか」と題する講演を行っている。恩師も「この『人形の家』の続編をどう書くかが、問題だ。各人が自分で書くのだ」と言われ、女性たちの自立した生き方に、また青年たちに、限りない期待を寄せておられた。
 「一人」の人間というものはない。「人」と「人」との間、すなわち「人間」が「人の世」を意味するように、人間は、人それぞれの繋がりから切り離されては生きていけない。信じ合う、愛し合うといった人間関係の機軸を成す言葉にしても、当然のことながら複数の人間の存在を前提としている。そうした人間社会にあって、「妻」であり「母親」であるまえに「人間」でありたいというノラの問いかけは、いかなる意味を持つのか。むしろ、真実の「妻」となり「母親」となるために、「人間」であらねばならないといったほうが正しいかもしれない。
 そうであるなら、「人間」であることの条件とは、「愛する」力、「信ずる」力を持っかどうかにあるといっても、決して見当違いではないはずだ。そして、こうした力ほど、心の容量の小さくなった近代人に欠落しているものはないように思われる。そのなかでの人間の芸術の運命──近代のすぐれた芸術家が一様に背負うことを余儀なくされた宿命的事情から、もちろんイプセンも例外ではなかった。彼の作品が晩年にいたるほどに、一面、悲観のトーンを深めているのも、それ故であろう。
 イプセン社会劇の凄みは、表面的には、婦人解放のようなリアルな社会問題を取り上げることによって、文明の深部に巣くう人間の運命ともいうべきものと、四つに組んでいる点にあるように思えてならない。
7  真の解放は「自身」の革命によって
 へルメルが骨がらみになっていたもの。イプセンは、その本質を「権威への信仰」(作品の覚書き)と喝破した。また、友人に宛てた手紙に、彼はこう記している。
 「彼ら(=政治家たち)は単に政治面での、すべての表面的な特殊な革命を望みます。そんな革命なんて馬鹿げてます。大事なことは、人間の精神の革新です」
 イプセンが追求したのは、制度や法律といった外面の革命ではなかった。あくまで「人間の精神の革命」であり「人間の内面の解放」であった。「権威への信仰」が宿るのは人間の内部である。それを変革しないかぎり、いかなる解放も、幸福も成し遂げられない。
 人間の本源的な解放、すなわち「権威への信仰」を打ち砕く革命は、「人間自身の革命」から始まることを、彼は見抜いていたのである。
 この「人間の内面の変革」を、生命の次元にまで深く掘り下げ、「人間革命」の運動として具体的に示されたのが戸田先生であった。一人の人間における「人間革命」の波動が、一人また一人と覚醒させ、全人類の宿命転換をも可能にする一大潮流となりゆく方程式を、民衆のなかに、生活のなかに打ち立てられたのである。
 恩師は昭和二十八年(一九五三年)、婦人部への指針として「婦人訓」を贈られたことも忘れられない。先生は、一人の婦人の決意を会合で聞かれ、その原稿を「わたくしに寄贈してほしい」と頼んで、原文のまま発表されたのである。「予が永らく願望せる婦人の確信と一致せり」と、先生は、その前文に記してくださった。
 健気な庶民の発露をまっすぐに受けとめ、どこまでも大事にされる先生であった。崇高な「使命」に生きる女性の活躍を、誰よりも深く信頼されている先生であった。その恩師の姿を思い、私も十年後の一九六三年、婦人部の友の活躍をたたえる一文を贈らせていただいた。
 「あなたたちは、庶民の生活法の哲学者だ」「あなたたちこそ真の女性解放の先駆者だ」──この確信は今もいっそう、強く胸に響いている。
 ところで、イプセンの妻は、どんな女性であったか。興味を抱く人も多いだろう。
 名はスザンナといった。イプセンより八歳年下で、彼が三十歳のときに結婚した。二人は貧しかったため、二年以上も待って式を挙げた。一八五六年の婚約から一九〇六年のイプセンの他界まで半世紀、スザンナはつねに夫を助け、励まし続けたイプセンが詩作のぺンをおいたまま怠けて、画を描いていたりすると、彼を机に連れ戻し、仕事を続けさせたという。
 イプセン自身も「彼女は正にわたしにとって必要な性格の持ち主だ。非論理的ではあるが、強烈な詩的本能をそなえ、物の考え方が雄大で、つまらない心配をするのが大嫌いだ」と書いている。
 彼は、「男にない天才的な本能が女性にそなわっている」と信じていた。公衆の前でも同様に語っていた。彼がそう確信したのは、賢明な妻に対する、心からの尊敬と信頼があったからにちがいない。
8  哲学を求め、哲学によって輝く
 女性の力は大きい。可能性は計りしれない。女性の特質が存分に発揮されていけば、行き詰まった男性中心社会で喘ぐ男性をも解放することになろう。そうなれば男性の持ち味も、もっと生かされるにちがいない。「女性の解放」は「人間の解放」の半分ではない。その重みは「全体」にも匹敵することを知らねばならない。
 「女性の時代」はまた「哲学の時代」である。哲学を求め、哲学によって輝き、その事実の姿への信頼・共感が人間を結ぶ。
 その広がりが世界をつつみ、時代を励ましゆく未来を思うとき、そこに豁然と開かれた「人間革命」の大道を、イプセンも満面の笑みを浮かべて闊歩している姿を、私は確信をもって心に描かずにはおれない。
 ──ノルウェーの独立(一九〇五年)を見届けるかのように、その翌年、イプセンは七十八歳で生涯の幕を閉じた。オスロにある彼の墓には、ハンマー(鉄槌)のしるしが刻まれている。
 「重き槌よ、われに道を開け。山の心室に到達するまで」──若き日にイプセンが書いた「鉱夫」という詩の一節である。墓の鉄槌は、それを表したものだという。
 イプセンの作品は、作者が「退場」してしまってからも、人間社会の矛盾の山に、容赦なく「鉄槌」を下し続ける。粉々になった人間と人間をどう結びなおすか。そこに道を開く次なるドラマは、恩師が語ったように、今に生きる私たちが「自分で」綴り、演じるしかないのだ。

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