Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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私の家庭  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
5  「王国を統治するよりも、家庭内を治めることのほうがむずかしい」とは、古来からの格言である。
 一国の繁栄の柱が、経済であるとすれば、家庭においても同じことがいえよう。最近の物価高騰を思うと、どの家庭でも、家計は決して楽ではない。主人の持って帰る給料は、つねに物価の上昇に追いつかない。そこから、自然に妻の愚痴がでて、家庭を暗くする因となってしまう。
 たしかに、限られた経済条件のなかで、家計をやりくりするのはたいへんなことである。ではいったい、豊かな家庭生活とはなんであろうか。果たして、経済的条件さえ満たされ金さえかければ、幸福な家庭が築けるであろうか。経済発展によって、しだいに恵まれてくる未来社会にとって、つねに問題として提起されるのがこのことである。
 ――物質と精神を、どう調和させるかという文明の課題は、実は、足もとの家庭生活の問題から始まるといっても、過言ではあるまい。
 先日、久しぶりに早く帰宅した。私の姿を見て、子供たちは、なにやら慰労し、歓待するための催し物を考えだしたらしい。居間の気配が、いつもと違っている。
 やがて、呼ばれて行ってみると、壁一面に敷布のスクリーンが掛けられている。どうやら、8ミリ映写会をやろうというのだろう。観客である私のために、家中総動員で設営した様子であった。そういえば、子供たちが旅行に行った時、親類からいただいた8ミリで、あちらこちらの風景を、撮してきたという話は聞いていた。
 上映開始を待つ時間は、にわかづくりのスクリーンをしげしげと眺めるしかない。狭い家ではあるし、一生懸命苦労して、吊った努力は、ほほえましい。そのなかで、敷布を吊った無粋のヒモに、遠慮がちに、小さなリボンの花が結んである。なにか買い物の包装に使われたリボンらしいが、にわかづくりをいかにもはじらうような、ほのぼのとした温かさが感じられていかにも可愛らしい。
 電気が消されて、スクリーンに子供たちの傑作が、つぎつぎと映しだされていった。そんななかでも、そのリボンの印象は、私の脳裏からなかなか消えなかった。あとで聞いたところ、子供たちの発案による映画会だったが、リボンだけは、妻の発案であったという。
 家庭に、価値創造がなければ、楽しさはないと思う。それは、物の豊かさとは、まったく質の違った、心の豊かさともいうべきものであろう。
 一枚の見なれた絵でも、時々置き場所を工夫すれば、家の中が一変し、みずみずしく新鮮になる場合もある。家庭の愛情も、決して観念にとどまるものではない。かならず行動をともなうもので、なんらかの形となって表現されるものである。
 それは、たとえ家中が揃う、一家団欒の時間が少なかろうと、そのわずかの時間を、数倍の価値あらしめるものにすることができると思う。また、そうした珠玉のような、思い出をつくりだしていける家庭こそ、子供たちにとっても、なによりの財産であるといえまいか。

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