Nichiren・Ikeda
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「アロハ」の精神と世界市民 池田大作
「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)
前後
8 ――そう、対岸には、羽田飛行場の灯が漁火のように見えましたね、と私が言いました。
――ええ……、この道は、ここにこうありました、とその人が言います。
――いや、右へ曲がっていたのではないですか。大井町の駅の近くに夜店がズラリと並びましたね。あそこを兄貴と一緒に下駄ばきで歩くのも、夏のタベの楽しみでした。ゾリンゲンのカミソリを買ったことを覚えています。
――ハイカラな子供だったわけですね。
――あの頃は、海がここまであったんですよ。水はきれいだった。空気も澄んでいた。今は、国道が走っている。埋め立て地ですね。背丈を越す葦が生い茂っていた。……
妻が「あら、ずいぶん話がはずんでいますね。時間は大丈夫ですか」と笑うので、時計を見たら十二時近くになっていました。日常の生活の場と遠く離れていることが、かえって郷里を近く感じさせたのでしょう。やはり、故郷は遠きにありて想うもの、であるのでしょうか。
9 故郷ということについて、もっと書きたいと思いましたが、すでに夜は白みかけました。井上さんの御書面に触発されて、ついつい饒舌になってしまったようです。ともあれ、母を語り、故郷への思いに新たな勇気を覚える時、人間は、日常の一切の煩わしさから解放された原点に立っているといえるかも知れません。
来月は私の方からお手紙を差し上げます。あれこれと想を巡らせつつ、私にとって″新しい月″がきょうから始まるような思いが致します。
残り少ない夏ですが、更に御仕事が進まれますよう願って、擱筆させて戴きます。
一九七五年八月十九日