Nichiren・Ikeda
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「アロハ」の精神と世界市民 池田大作
「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)
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7 故郷といえば、私は、大森海岸の海苔屋の息子に生まれ、潮風が吹く浜辺で育ちました。親代々の江戸・東京育ちです。以来、住む家も東京から離れたことがありませんので、いわばいつも郷里にいるようなもので、ふだんは特別に故郷といったようなイメージがわきません。この感情は、一つには、東京という大都会の有する性格に起因すると考えられますが、もう一つには、あまりにも生地の近くで生活を続けているということにもよると思われます。
数年前、列車でパリから二時間の、旧い文化と歴史の谷ロワールを訪れたことがあります。なだらかな丘陵に点在する古城の尖塔は田園の詩情に烟り、清流は緑の岸辺を洗い、小径は花の饗宴でありました。澄み切った夜空は、満天、星にかがやいていました。
フランスの青年たちと懇談の一夜を持ち、同行の写真家の方と宿舎のホテルヘ一戻ったとき、どういうきっかけであったか、突然、生まれ故郷の話になりました。その人が、たまたま私と同じ東京・蒲田の出身であったことが、その時初めてわかり、これは奇縁と、二人の″ちちははの国″談義が始まったわけです。ホテルの三階の踊り場で夜が更けるのも忘れ、紙とペンを持ち出して、地図を描き、それこそ遠く離れた故郷の話題を次から次へと互いに語りあいました。
地図には、海が書かれ、道路が記され、池が印され、鉄道の線路が引かれました。
8 ――そう、対岸には、羽田飛行場の灯が漁火のように見えましたね、と私が言いました。
――ええ……、この道は、ここにこうありました、とその人が言います。
――いや、右へ曲がっていたのではないですか。大井町の駅の近くに夜店がズラリと並びましたね。あそこを兄貴と一緒に下駄ばきで歩くのも、夏のタベの楽しみでした。ゾリンゲンのカミソリを買ったことを覚えています。
――ハイカラな子供だったわけですね。
――あの頃は、海がここまであったんですよ。水はきれいだった。空気も澄んでいた。今は、国道が走っている。埋め立て地ですね。背丈を越す葦が生い茂っていた。……
妻が「あら、ずいぶん話がはずんでいますね。時間は大丈夫ですか」と笑うので、時計を見たら十二時近くになっていました。日常の生活の場と遠く離れていることが、かえって郷里を近く感じさせたのでしょう。やはり、故郷は遠きにありて想うもの、であるのでしょうか。
9 故郷ということについて、もっと書きたいと思いましたが、すでに夜は白みかけました。井上さんの御書面に触発されて、ついつい饒舌になってしまったようです。ともあれ、母を語り、故郷への思いに新たな勇気を覚える時、人間は、日常の一切の煩わしさから解放された原点に立っているといえるかも知れません。
来月は私の方からお手紙を差し上げます。あれこれと想を巡らせつつ、私にとって″新しい月″がきょうから始まるような思いが致します。
残り少ない夏ですが、更に御仕事が進まれますよう願って、擱筆させて戴きます。
一九七五年八月十九日