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日蓮大聖人・池田大作

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武帝と霍去病のこと 井上 靖  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

前後
7  こんどの中国の旅で、もう一つ、私にとっては事件と言えるようなことがありました。それは、二度目に北京に入った時、親しい友である作家の野村尚吾君の訃報に接したことであります。私が中国に立つ半月ほど前、野村君は私を訪ねて来て、これからの仕事について、私の意見などを求めて、一時間ほど話して帰られたのですが、全くこんどの悲報を思わせるようなものは何もありませんでした。私はどうしても野村君の死を信ずることができませんでした。
 私と野村君は同じ毎日新聞社の同僚で、同じ頃小説を書き出し、作家として一本立ちする前の最も忙しい、大切な時期に、氏は私をかばって、新聞社における私の分の仕事まで引き受けてくれました。そのお蔭で、私は作家としては幸運なスタートを自分のものとすることができました。逆な言い方をすれば、氏は私のために、一番大切な時期を見送ってしまうことになったと言えましょう。
 ――どうぞ、お先きに。
 当時の氏の眼は、いつも私にそのように言っておりました。そしてまさにそのように、氏は私に遅れて文壇に出、きめの細かい、地味な作品を書き、いよいよこれからその資質が大きく実を結ぼうとしているやさき、ふいに死が氏を見舞ったのであります。
 私は氏の訃報に接した時、自分の恩人でもあり、誰よりも親しかった友に、当然語るべき何ものも語っていないことに気付きました。二人の間で交さなければならなかった言葉は、交されないままに、私と共に遺されてしまった思いでありました。
 その夜、十二時過ぎてから、北京飯店の自分の部屋のベランダから、深夜の北京の町を見降しました。ホテルの前を走っている長安街には自動車一台、人の子一人見当らず、きれいに水洗いされた大通りが、大きな街燈に縁どられて、しんとした置かれ方で置かれてありました。
 私にはそうした北京の町が、私の親しかった友のために、今や完全に喪に服しているかのように見えました。私は今はない友に、自問自答の形で、そのことを伝えました。
 池田さんのご存じない友のことを認めましたが、中国の旅のことをお報せするとなると、やはりこのことに触れずにはいられない気持でした。
 いろいろなことを脈絡なく認めました。御静境を煩わしたことと思いますが、お許し下さいますように。
 一九七五年六月十二日

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