Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第六章 恒久平和の提言  

「生命の世紀への探求」ライナス・ポーリング(池田大作全集第14巻)

前後
7  絶対平和主義について
 ポーリング 私は、仏教者の運動を心から支持します。しかし、すでに述べたように、私は共産主義者のおこなう平和運動でも支持します。私は、すべての平和運動を支持するのです。一方で、私は絶対平和主義に対して疑問をいだいております。絶対平和主義者のいない社会で、絶対平和主義者に何ができるというのでしょうか。
 ナチスの例でいえば、ただヒトラーの言うなりになるだけということでしょうか。ヒトラーは世界制覇の野望をいだき、ドイツ系アーリア人以外の人種を抹殺しようとしました。白人であっても、特定の人種的系譜の白人以外は否定されたのです。こうした状況下で、絶対平和主義をつらぬくことができるでしょうか。
 第二次世界大戦中、私の教えた学生のなかに兵役拒否者がいましたが、アメリカ政府は彼らに対して寛容でした。そのなかの一人は、娘の友人でしたが、刑務所送りにされました。彼はユダヤ人の兵役拒否者で、多くの点で理想主義者でした。彼は魚をふくめていっさいの肉食をしない主義なので、服役中に餓死寸前になりました。当局が、彼を菜食主義者として認めようとしなかったのです。刑務所当局は、彼のすべての食事に肉を混ぜあわせて、彼が食べられないようにしたのです。
 彼は出所しましたが、徴兵に応じなかったので再逮捕され、また刑務所に送られるところでした。二度目の裁判を担当した判事は、彼を釈放しようと努力しました。彼に神を信ずるかと聞きました。それに対して彼は、「神の定義とは何か」と問いかえしました。たぶん、彼は神を信ずると答えていただろうし、私もそう思います。
 しかし、彼はいわば純粋主義者なので、神の定義をめぐって判事と論議をし、問題を混乱させてしまったのです。
 いずれにしても、最終的には、判事は彼にとって有利な判決をくだし、彼はふたたび刑務所に行かなくてすみました。
 また、もう一人の学生は、北カリフォルニアの森林で二、三年働きました。そこは良心的兵役拒否者が送られた、一種の木材伐採地のような場所でした。良心的兵役拒否者に対して、アメリカは適度に寛容でした。国は彼らを銃殺刑にせず、代案を与えました。私は二、三人の学生を説得して、戦争研究計画に私と共同で参画するようにしました。彼らが私とする研究は、敵との実際の戦闘からほど遠いものであり、彼らが良心のうえからそれを認めると言うまで、私は彼らと激論をかわさなければなりませんでした。
 今、私の手もとに、ドイツ人の友人から贈られた本が一冊あります。この本は彼の自伝ですが、私ども夫婦は、この人と一九二六年にドイツで知りあいになりました。彼は理想主義者で、天賦の才能をもったバイオリニストでした。また同時に、物理学者で数学者でもありました。
 彼は平和主義者でしたが、従軍せざるをえず、戦争中どうしていいのかわからず、悩んだのです。とりあえず陸軍の対空砲火部隊に所属しましたが、戦争後、私にくれた手紙のなかで、幸運にも一機も撃墜することがなかったと述べていました。彼は以前、ある特定の工場の生産能率向上の方法、つまり、ある特定の生産技術工程改良の研究に従事しておりましたので、陸軍から生産工場へ配置転換になりました。そこで戦闘からまぬかれたわけです。
 しかし、もっと以前に、彼はたいへんな困難に直面しています。彼は優秀な人物で、当初は物理学の教授になる予定でした。だが、ナテスの台頭により、ドイツでは教授になるためにはナチス党員でなければならなかったのです。
 したがって、彼は、六十歳になるまで教授にならなかったと思います。生計を立てるのにひと苦労でした。彼は、工場の生産工程に関して助言をするコンサルタントとして働きました。彼は戦争のおかげでひどい目にあいましたが、無事に切りぬけることができました。もちろん、多くの人が戦争の犠牲になりました。
 池田 絶対平和主義の問題は、洋の東西を問わず、文明史とともに古く、困難な課題です。私としては、理論的に、まして個々の具体的な選択や実践のかかわってくる次元においては、是か非かの一本の線を引くことはできないと思います。
 たとえば、博士があげておられたようなケースで、一人の絶対平和主義者が、みずからの信念をつらぬいた結果、死を招いた場合、信条に殉ずるという生き方という点では筋が通っていますが、絶対平和主義の政治的実効性ということは、また別問題であるからです。
 ″ヒトラーを前にして、絶対平和主義者は何をなしうるか″との博士の問題提起の意味するところも、そこにあると思います。
 先に申し上げたように、絶対平和主義の是非に、画一的な線引きをすることは不可能だと、私は思います。しかし、実践的範例をさがすことは可能です。たびたび引きあいに出して恐縮ですが、その範例を、アインシュタインに求めてみたいと思います。
 ポーリング博士がおっしゃったように、ルーズベルト大統領に、原爆製造をすすめる手紙を送ったことが、戦後も、彼の良心を悩ましつづけてきたことは周知の事実です。第二次世界大戦が終わって七年ほどたったころ、アインシュタインは、日本の雑誌や新聞に、そのことへの″釈明″を寄せています。
 そのなかで――、
 「もちろん私は、このような試みが成功した場合、それが人類におよぼす恐るべき危険について知ってはおりました。しかし、ドイツがこの〔原爆製造という〕同じ問題の研究で成功を収めるかもしれない、と考えられたため、私としては、この処置をとらざるを得なかったのです。私は常に確信をもった平和主義者(uberzeugter Pazifist)ですが、この場合、私としては、他にどうすることも出来なかったのです」(金子務『アインシュタイン・ショック』河出書房新社)
 これと、まえに引用した広島への原爆投下を聞いたときの「Oh, weh!」(ああ、悲しい)の絶句をかさねあわせてみれば、ポーリング博士の「絶対平和主義者のいない社会で絶対平和主義者に何ができるのか」との問いかけに対する、ぎりぎりの選択の可能性、すなわち絶対平和主義の実効性の地平というものは、そうした恐ろしいジレンマに立たされたアインシュタインのような苦衷のなかにしか見いだせないと思っております。
 悲しく苦しい選択を迫られながら、アインシュタインが熱烈な平和主義者――彼の言葉で言えば「確信をもった平和主義者」として、絶対平和主義者ヘの憧憬をいだきつづけていたであろうことは″釈明″の次の一文からも、明らかであろうと思われます。
 「われわれの時代における最大の政治的天才ガンジーは、人間というものが正しい道を知り得た場合に、いかなる〔偉大なる〕犠牲に耐えられるかということについて、実証してくれています。インド解放のためにガンジーがなした仕事は、確固たる信念に貫かれた意志というものが、一見絶対優位であるかに思われる物質的な力よりも強いということを立証してくれている、生きた証拠なのです」(同前)
 ポーリング ドイツに行ったとき、私は妻と、ウルムの大聖堂で語りあいました。ウルムはアインシュタインが生まれ、少年期を過ごしたドイツの町です。私ども夫婦はそこで、元市長夫妻と会いました。戦争当時、夫妻には二十歳前後の二人の子どもがミュンヘンにいましたが、反ファシスト文書を配布中につかまり、ギロチンの刑に処せられた、とのことでした。ドイツ当局は、アメリカよりも冷徹でした。
 ノーベル化学賞の受賞者に決定したとの知らせを受けたとき、私は旅券を持っておりませんでした。新聞等では、はたして国務省はポーリング教授がノーベル賞受賞のためストックホルムヘ行くのを許可するだろうか、という論議がおこなわれました。結局、私を行かせることになりました。
 私の旅券発行に関する上院の調査会で、次のようなやりとりがおこなわれました。担当の上院議員の「ポーリング教授は以前に旅券の発行を拒否されているのに、今回どうやって入手したのか。抗議でもあったのか」との質問に、担当の国務次官補は「ある種の自然発生的抗議」があったことを認めました。それは、国務省が旅券を発行し、私に送付したほうがよいとの決定をくだしたことを意味します。そこで上院議員は、かさねて次官補の発言の真意をただしました。
 「あなたはアメリカ国務省が外国の何かの委員会、つまり外国人のある委員会に、一アメリカ市民に旅券を発行するかどうかを決定させるのを許したと言うのか」と。
 この種のことについては、ソ連のほうがアメリカよりも冷徹です。ロシア人がノーベル賞を受賞したとき、授賞式に行かせませんでした。サハロフ氏のときもそうでした。先に述べたように、ドイツもアメリカより冷徹でした。処刑してしまったのですから。アメリカ当局は、そういうことをしませんでした。でも、たしか一人、処刑された人がいましたね。ドイツ駐留のアメリカ軍兵士で脱走したので処刑されましたが、脱走者はただ一人だったと思います。彼は他の兵士のみせしめにされたのです。アメリカ合衆国陸軍からですら、脱走するな、とのことです。
 イスラエル人は、アラブ人よりも冷徹です。イスラエル国内の両者の紛争で、これまでに百人以上のアラブ人が、警察によって殺されました。もう一人死んだ警官がいたと思いますが、これは、仲間の警官の偶発的発砲によるものでした。イスラエル人は、戦闘の習性が身についています。日本にも、別の戦闘様式の長い歴史があると思います。
 むかしは、各国それぞれの戦闘様式があったと思います。コロンブスのアメリカ大陸到達以前から現地に住んでいたアメリカインデイアンには、部族間の戦闘がありました。平和を好むある部族のことを、書物で読んだことがあります。その部族自身は戦闘を好まず、好戦的な他の部族から来る戦闘要員を、つねに確保していたということです。
 池田 たしかに、それぞれの民族には、それぞれの戦闘様式の歴史があると思います。しかし、国家権力が強大な軍事力、警察力を一手に握り、他国と対峙するばかりか、国内に対してもすみずみにまで統制の網の目をめぐらせ、君臨するようになったのは、なんといっても近代国家になってからのことでしよう。ジヨージ・オーウェルが描くところの『一九八四年』の不気味な世界は、近代国家の権力の性格を背景としなければ、考えおよぶところではありません。
 しかし、さしもわがもの顔に人類史の主役の座に君臨してきた国家にも、ようやくかげりが見えだしていることも事実です。わが国の著名な政治学者の丸山真男氏は、それを「超国家化」「下国家化」(『後衛の位置から』未来社)という二つの言葉で述べています。
 つまり、従来の国際関係というものは、なんといっても国家対国家の関係でした。人間というよりも、外務省や大使館などの機関が基軸をなす、いわば「国家の顔」を表にしての関係でした。しかし、科学技術や交通・通信手段の発達、それにともなう国際交流の活発化は、二つの方向で注目すべき変化を生みつつあります。
 一つは「超国家化」であって、首脳会談などの活発化、常態化は、国家という機関を上に超えながら、そこに「人間の顔」をクローズアップさせつつあります。「下国家化」とは、いうまでもなく学術、芸術、スポーツ、観光などをとおしての民間外交の加速度的な活発化です。そこでも、国家を超えて「人間の顔」が、しだいに生彩を放ってくることは間違いないでしょう。
 いずれにしても、人類史の主役は、あくまで人間でなければならないのですから、いつまでも国家に鼻綱を引きまわされているのではなく、「人間の顔」を取り戻さなければなりませんね。
8  世界のなかの日本
 池田 本年中(一九九〇年)には米ソ戦略兵器削減条約調印のメドがつきましたし、欧州通常戦力交渉の年内調印でも米ソが合意しました。もはや、軍備に野放図に資金をそそぐことは割にあわないとの認識が、広がりつつあるのは事実です。その意味で、軍縮は時代の大きな流れになりつつあるといえます。
 軍縮の流れを加速化するうえで、日本が果たすべき役割は大きいと思います。ご存じのように日本は今″経済大国″といわれております。豊かだといわれても、実際に日本に暮らしている国民は、実感がうすい面もあるわけですが、世界からは責任分担を要求され、日本が世界にどういう面で貢献していけばいいかが、模索されています。
 日本は広島、長崎の悲惨な被爆体験をもっている国ですし、まず第一に世界の平和のために貢献する具体策を提示する必要があります。と同時に、世界は″精神の空白″を埋める″新たな生きるための哲学″を求めております。この面で、大乗仏教の豊かな伝統を誇る日本が果たす責務は大きいと感じております。
 ポーリング 日本は、科学技術の進歩と経済の急速な発展により、世界で最も重要な国の一つになりました。過去五十年間に、日本人の健康状態は大幅に向上しました。五十年前、日本人の平均寿命は、現在とくらべて相当短かったという記事を読んだことがあります。日本が第二次世界大戦以後、軍事的にはたいして発展しなかったという点で、日本は戦争のない世界建設へ向けて、すでに出発しています。現在、日本で軍事力が年々ある程度、増大しつつあることも承知しています。
 日本の四半世紀にわたる繁栄のいくぶんかは、大規模な軍事力を維持するための一〇パーセントから二〇パーセントにもおよぶ、過大な経済的負担が日本になかったということに起因するものだと思います。ここでいうパーセントは対GNP(国民総生産)比の負担率です。日本が経済的な犠牲をはらってまで大規模な軍事力を構築しなければならない理由など、まったく見あたりません。中国が日本を攻撃するような危険がありましょうか。まったくないと思います。
 現代社会では世論の力が非常に大きくなっているので、いかなる大国も、領土拡張や侵略にあえて乗り出すのには、相当の抵抗を感じると思われます。中米のコスタリカは軍隊をもたない国であり、他国もこれに見習うべきですが、もし日本が軍備放棄の政策を採用すれば、世界にとってもっとすばらしいお手本になると思います。
 池田 日本の将来を見通された卓見です。二十一世紀の指針としてうかがっておきます。
 ポーリング 日本は大規模な軍事力に頼らず、核兵器を開発しないという政策を継続すべきだ、というのが、私の意見です。日本は、世界平和樹立への戦いで指導的立場に立つことができると思います。
 いずれにしても、日本が「世界不戦」実現へ向かって各国の先頭に立てれば、すばらしいことです。この道こそが世界が進むべき道であると、池田会長が考えておられることを確信しております。

1
7