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日蓮大聖人・池田大作

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第十三章 ミクロとマクロ・「生命」の不…  

「生命と仏法を語る」(池田大作全集第11)

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4  二十一世紀は余暇の時代
 ―― ところで、遺伝子のような不可思議な生命の実体に、一歩迫っていったバイオテクノロジーの話題は、医学のみならず多方面に広がっていますが。
 池田 そうですね。私も仏法者の一人として、たいへんに興味あるところです。
 屋嘉比さん、バイオテクノロジーは二十一世紀の科学のひとつの焦点といえるでしょうね。
 これはいま、どのくらい進んでおりますか。
 屋嘉比 意識するとしないにかかわらず、じつは、私どもの日常生活に、かなり入りこんでいます。
 池田 たとえば……。
 屋嘉比 私たちが毎日食べる、お米や野菜などの食べ物からはじまって、「健康」「エネルギー」などの分野にも、広くバイオテクノロジーの産物が進出しています。
 池田 一回接種すると数種類の病気を予防できるワクチンもあると、聞きましたが。
 私なんかすぐ熱が出てしまうので、注射やワクチンが本当にきらいだった。これからの子供たちは助かりますね。
 屋嘉比 それは多価ワクチンですね。
 池田 どこの国の研究ですか。
 屋嘉比 アメリカのB・モス博士などです。
 池田 やはりこの分野も、アメリカは最先端なんでしょうね。ほかにもありますか。
 屋嘉比 薬草なんかも、細胞を人工的に増やす実験も行われています。
 ―― “虫歯にならない”チョコレートやガムもできるのですか。(笑い)
 屋嘉比 ええ、ある種類のカビは、虫歯防止の物質をつくります。これをお菓子に添加しようという研究もあります。
 ―― 最近は、バイオにとどまらず、科学技術の進歩はめざましい。今後、私どもの生活にどんな形となって変化をおよぼすか、ジャーナリズムでも大きなテーマです。
 池田 そのひとつの例として、二十一世紀には、日本人の余暇の時間は、労働時間よりもはるかに長くなる、という研究もあるらしいですからね。
 ―― そうです。「働きバチ」と外国から非難される日本でさえ、「新世紀は余暇の時代」といわれております。(笑い)
 屋嘉比 最近、そんな話をよく聞きますが、なにか具体的なデータはあるのですか。
 ―― 内閣総理府統計局の資料に基づき、余暇開発センターというところが出した推計があります。それによれば、西暦二〇〇〇年には、日本人の年間の平均労働時間は、現在の二千百時間から千五百時間まで短縮され、反対に余暇の時間はその約二倍の二千八百時間にもなるだろうといっております。
 池田 それは私も聞いたことがあります。すると、休日は何日ぐらいになりますか。
 ―― 完全週休三日、一カ月の長期休暇が平均的になるというのです。
 屋嘉比 思索と休養時間の少ない私どもには朗報ですが(笑い)、しかし休みというと、横になってテレビを見たり、受動的な休息に慣れている現代人は、あまり休みが増えるというのも、苦痛になるかもしれませんね。(笑い)
 ―― ええ、その論文も、結論として、“大型余暇を人生の充足として享受するためには、一人ひとりが、人生の目的をどこに求めるか、労働は何のためなのかといった、哲学的な命題を問いかけることからスタートしなければならない”と提起しております。
 屋嘉比 当然ですね。しかし、どうしたら価値的にしかも有意義に時間を使うことができるかは、これまたむずかしい。(笑い)
 池田 私どもは忙しくて、あまりピンときませんが(笑い)、私は、生物学者ベルタランフィの言葉を思い出します。
 屋嘉比 ベルタランフィですか。彼の理論は医学の分野でも注目されています。どんなことを言っておりますか。
 池田 ちょっとむずかしい言い方をしていますが(笑い)、“生命とは、まえもって定められた筋道どおりに安楽に落ち着いていくことではない。生命は、その最高のあり方においては、容赦なく、より高次へと進まざるをえない「生の躍動」である”という内容だったと思います。
 つまり彼は、人間はただ安楽のみを追い求め、決まったレールの上を走るような人生では本当の満足感はない。より進歩し、より高次元の人生観へと志向するところに、真実の「生の躍動」があることを、言いたかったのではないでしょうか。
 これは、私どもが日夜主張し、行動していることでもあるのはご存じのとおりです。(笑い)
 ともかく一流の人の見識は、みな仏法に近い。
 ―― 名誉会長が数年前、九州のある高校の生徒会から、「あなたの信条は」とのアンケートに対して、「波浪は障害にあうごとに、その堅固の度を増す」という一言を、次代をになう青少年のためにあげられていたことを思いおこします。
 屋嘉比 私も好きな言葉です。本当に人間は、忙しいから不幸なのか、時間があり、恵まれているから幸福なのかは、一概に言えませんからね(笑い)。その意味でも、これからますます“人間とは”“人生とは”という質が問われる時代と思います。
 ―― ところで屋嘉比さん、バイオテクノロジーというのは、一言で言うとどういう原理ですか。ひとつ、われわれ素人にもわかるように説明してくれませんか。(笑い)
 屋嘉比 簡単に言えば、生物の「遺伝子」や「細胞」の機能を人工的に操作し、自然を改造したり、また工学的に応用したりするわけです。
 たとえば寒さに弱い植物の遺伝子を、人工的に寒さに強い遺伝子に取り換えると、耐寒性の植物ができます。バイオは、小さな遺伝子に集積された情報に基づき、「生命」が物質を生産する力用と原理を応用したともいえます。
 ―― どうも私どもには、わかったようでわからないような部分もありますが……(笑い)。仏法では、こうした原理に関したものはございますか。
 池田 そのままあてはまるかどうかわかりませんが……。  
 「大海の一たいの水に一切の河の水を納め一の如意宝珠の芥子計りなるが一切の如意宝珠の財を雨らすが如し」という御文もあります。
 ―― 「如意宝珠」というのは……。
 池田 現代風に言えば(笑い)、読んで字のごとく、意のままに宝物や衣服、食べ物を取り出すことができる宝珠のことと思います。
 この宝珠は芥子のような小さなものである。しかし、あの大海の一滴の水のなかには、流れこむすべての川の水が納められている。それと同じ原理である、というのです。
 屋嘉比 なかなかおもしろい譬えであり、しかも鋭く真理を突いた御文と思います。
 池田 これは仏法上は、「妙法」の功徳の力用の大きさ、広さを譬えた御文なんです。
 ―― このバイオ研究の草分けは、だれになりますか。
 屋嘉比 十九世紀のフランスの細菌学者パスツールだという学者もおります。
 ―― パスツールですか。私は二十年ほど前、フランスのパスツール研究所にジャック・モノー博士を訪ねたことがあります。あの研究所は、キリスト教神学が医学の進歩に介入することに対して、砦の役割を果たしてきたことで有名ですが。
 屋嘉比 そのとおりです。それは医学史の夜明けともいえる輝かしい一ページとなりました。
 ―― すると本格的な展開は、いつごろから……。また、なぜ進歩したのでしょうか。
 屋嘉比 一九五三年にDNAの構造が発見されてからです。
 さらに、近年の分子生物学の進歩が大きく貢献しております。
 池田 でしょうね。私はまったくの素人ですが、昨年夏、長野県へ行った折、信州大学で三十数年来研究をつづけてこられた方と、木陰で一時間ほど懇談しながら、いろいろお話をうかがいました。
 ―― 何のご研究の方ですか。
 池田 桑の実と葉を質、量ともに改良する研究一筋でやってこられたようです。
 私はよくわからないのですが、日本では珍しい、試験管の中でたった一つの細胞からつくったドラセナというブラジルの花を、説明書付きであとから送ってくださいましたよ。
 その方の研究室には、二人の中国の留学生がいて、一緒に来ておりました。一人は女性でした。二人ともたいへんに頭のよさそうな学生でした。またインドからも来ていたと言ってました。
 ―― 各国とも、こぞってこの分野には力を入れておりますからね。
 屋嘉比 バイオでは女性の活躍がめざましいのです。とくにアメリカでは、トップクラスの研究者の半数は女性だといわれます。
5  新たな価値観求められる生命の世紀
 ―― この分野の研究は、今後どのような方向へ進みますか。
 屋嘉比 たいへんな生活革命、環境革命をもたらすと思います。しかし同時に、“生命の不可思議”が、ますます奥深く広がっていく気が、私はしてなりません。
 とともに、ご存じのように、医学の倫理という大問題が不可避となるわけです。
 池田 謙虚な言葉です。しかし真実でしょうね。仏法では「不可思議の法」、また「不思議実理の妙観」とも説かれている。
 屋嘉比 「不思議実理の妙観」とは……。
 池田 少々専門的になりますが、「教相」上の浅い法門を破して「観心」の法門を立てることです。この「妙観」あるいは「観心」という法門によって、初めてとらえられた宇宙と生命の究極の姿を「不思議実理」というのです。
 結論して言えば、この法門とは「事の一念三千」の当体たる「南無妙法蓮華経」の一法となるわけです。
 つまり、これはまた、科学などの現象論の範疇では、近づくことはできるが、全体観、実在は、どこまでいってもとらえきれないのが「生命」の実理、実相であることを説かれている、とも私は思います。仏法では、これを「妙」ととらえるわけです。
 ―― 『「仏法と宇宙」を語る』でも、さまざまな角度から論じていただきましたが、本当に、生命とは、宇宙とは、という問題は深くつきつめればつきつめるほど、深淵な問題ですね。
 池田 あるイギリスの有名な物理学者に、「宇宙は、大いなる機械より大いなる思想に近い」という言葉があります。この宇宙に存在しゆく生命もまた同じであると……。
 屋嘉比 私は一医学者として、たいへんに感動する言葉です。
 ―― ところで先日、日本で初めて、バイオテクノロジーの国際会議が大阪で開かれました。この会議はソ連も含め、世界二十数カ国、六百三十人もの関係する学者が会したそうです。
 最近はますます、「生命」という問題への関心が、世界的に高まっているひとつの証左と思います。
 池田 屋嘉比さんは行かれましたか。
 屋嘉比 いや、私は忙しくて行っておりません。(笑い)
 日本からは、大阪大学の山村前学長が感銘深い基調報告をされたようです。
 ―― 山村雄一博士ですか。博士は、昨年の甲子園の世界平和文化祭に、来賓として出席されていましたよ。私も会場でご挨拶させていただきました。
 池田 うかがっています。博士はどんな……。
 屋嘉比 博士は会議の冒頭、「生命科学の光が強くなるほど、その影も濃くなる。人間とは何か、科学技術と医学的治療の向かうゴールは何かを問うべき時期に来ている」と問題提起されていました。
 ―― すると、多少の観点の違いはあっても、この対談で私どもがいつも論じてきたことと同じになりますね。(笑い)
 屋嘉比 これはもはや、現代の心ある科学者に共通の実感です。
 池田 ところで私は、トインビー博士の言葉を思い出しますね。博士は、「人間のもつ力が増大すればするほど、宗教は必要になってくる」と言っておりますね。これは、新しい科学時代の生命の哲学、宗教を志向した言葉と、私は今日まで思ってきた一人です。
 ―― トインビー博士は、先生との対談でもたびたび、先生の信条と仏教の生命観に共感をもつと語っておられましたね。私も強くこの言葉が胸に残りましたね。
 屋嘉比 たしかに科学者自身も「全人格的な幸福を求める新しい価値観」(新井俊彦著『生命工学』日本経済新聞社)が求められることに気づいております。
 また、そこにこなければならなくなってきたようです。

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