Nichiren・Ikeda
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第九章 「生死」こそ最後のフ…
「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)
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13 すべてが「生死」を繰り返す宇宙観
木口 ええ、ですから天文学者は星の進化を研究しているうちに、思わぬひとつのことに気がつきました。
―― どういうことでしょうか。
木口 つまり、われわれの太陽系が死んでも、それで終わりではない。今度はそれがもととなり、また、想像もつかないような時間を経て、再び新しい恒星が生まれ、惑星ができるわけです。
―― 再び、太陽系のような構造ができる。
木口 そのとおりです。その繰り返された太陽系のような惑星に、人間と同じような高等動物が出現するかもしれないと考える科学者もおります。
池田 なるほど。まことに興味ぶかい話ですね。
木口 多くの天文学者は、こう考えています。
星の成り立ちの研究は、現代科学の偉大なる成果である。しかし、その導き出された一つの答えは、じつは、すべてのものは「生死」を繰り返すという東洋仏法の宇宙観だったと……。
―― なるほど。たしかに、「生死」が繰り返されるという概念は、西洋哲学には、厳密な意味ではありませんからね。
木口 しかも、元素の起源の理論からいって、われわれの地球の土も植物も動物も人間も、すべてその淵源は、初期の宇宙にあった簡単な構造の元素にあるわけです。
またこの宇宙のいろいろな構造、たとえば銀河や星も、その源はビッグバン以降の初期宇宙のウズだった。
―― つまり、このわれわれの手や足もそのウズだった(笑い)。気が遠くなるような話ですね。(笑い)
木口 科学者は、そう考えるわけです。
たとえば、NASAの宇宙科学研究所の初代所長として有名なジャストロウ教授は、この大宇宙では、無生物界が生物界と相互に密接な関係を結んでいると主張しています。
―― なるほど。
木口 そして教授は、「天文学者たちが語る『創世記』は、西洋の科学とその精神がもたらしたものであるにもかかわらず、なんと東洋の仏教徒や哲学者が考えていたことと、きわめてよく似ている」(『壮大なる宇宙の誕生』小尾信爾監訳、集英社刊)と述べています。
池田 なるほど。たしかに仏法は、正報と依報を密接不可分なものとしてとらえている。また、御文には「正報をば依報をもつて此れをつくる」ともあります。戸田先生はよく、「真実の宗教は、科学と相反したり、矛盾したりしない」と言われていました。まったく、そのとおりと思います。
木口 ジャストロウ教授はもちろん、仏法の全体を把握しているわけではないでしょうが、原始宇宙のガス雲から人類も生まれた、という革命的発見が、こうした一つの結論をもたらしているわけです。