Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第九章 「生死」こそ最後のフ…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

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12  生命の発生は絶妙の自然作用
 池田 ところで地球誕生の初期には、生物に有害な紫外線はどうなっていましたか。
 木口 さきほどお話ししたように、大気がなくなってしまったので、そのまま防御されることなく海面下十メートルまで達していました。
 池田 現在でも、その有害な紫外線などの影響で、飛行機が飛べる高さには制限があるわけですね。
 木口 そのとおりです。飛行機の場合は、さらに高エネルギーの宇宙線なども害になるので非常に危険です。乗客にとっては問題はありませんが、長時間滞空する乗員にとっては問題となり、これはきちんと検討されています。
 初期の地球では、この紫外線により水を分解し、わずかにオゾンができます。また、太陽の光による光合成で二酸化炭素から酸素ができ、酸素が現在の百分の一ぐらいまで増えてきます。そのためオゾンが多量になり、紫外線は海面下十センチ以上は入らなくなります。
 ―― そこで、最初の生物が海中に発生するわけですね。
 木口 ええ、大発生します。たちまち光合成で、酸素が現在の十分の一にまで増え、オゾンによる紫外線の遮蔽が完成するからです。
 池田 なるほど。
 本当に壮大であり、また絶妙のなかの絶妙の自然作用という以外ありませんね。溜息が出ます。不可思議という賛嘆の言葉しかない……。
 こうして一切の自然の条件が整えられ、地上に生物が進出したわけですね。
 木口 そのとおりです。地上の生物は、海から生まれたわけです。
 その時期はプレカンブリア代で、現在では六億年以上前といわれています。
 ―― 何もないようにみえる宇宙空間に、地球というかけがえのない天体ができた。そしてその地球に、ありとあらゆる要素がからみあい生命が発生する……。考えれば考えるほど、厳粛な気持ちになります。
 木口 まったく、そのとおりです。
 しかもこの地球も、遠い未来には太陽とともに消滅してしまうわけです。
 池田 まさに地球の「生」と「死」ということになる。
 宇宙に存在する森羅万象、ありとあらゆる生物も、物質も、この厳しき法則にのっとっている。
13  すべてが「生死」を繰り返す宇宙観
 木口 ええ、ですから天文学者は星の進化を研究しているうちに、思わぬひとつのことに気がつきました。
 ―― どういうことでしょうか。
 木口 つまり、われわれの太陽系が死んでも、それで終わりではない。今度はそれがもととなり、また、想像もつかないような時間を経て、再び新しい恒星が生まれ、惑星ができるわけです。
 ―― 再び、太陽系のような構造ができる。
 木口 そのとおりです。その繰り返された太陽系のような惑星に、人間と同じような高等動物が出現するかもしれないと考える科学者もおります。
 池田 なるほど。まことに興味ぶかい話ですね。
 木口 多くの天文学者は、こう考えています。
 星の成り立ちの研究は、現代科学の偉大なる成果である。しかし、その導き出された一つの答えは、じつは、すべてのものは「生死」を繰り返すという東洋仏法の宇宙観だったと……。
 ―― なるほど。たしかに、「生死」が繰り返されるという概念は、西洋哲学には、厳密な意味ではありませんからね。
 木口 しかも、元素の起源の理論からいって、われわれの地球の土も植物も動物も人間も、すべてその淵源は、初期の宇宙にあった簡単な構造の元素にあるわけです。
 またこの宇宙のいろいろな構造、たとえば銀河や星も、その源はビッグバン以降の初期宇宙のウズだった。
 ―― つまり、このわれわれの手や足もそのウズだった(笑い)。気が遠くなるような話ですね。(笑い)
 木口 科学者は、そう考えるわけです。
 たとえば、NASAの宇宙科学研究所の初代所長として有名なジャストロウ教授は、この大宇宙では、無生物界が生物界と相互に密接な関係を結んでいると主張しています。
 ―― なるほど。
 木口 そして教授は、「天文学者たちが語る『創世記』は、西洋の科学とその精神がもたらしたものであるにもかかわらず、なんと東洋の仏教徒や哲学者が考えていたことと、きわめてよく似ている」(『壮大なる宇宙の誕生』小尾信爾監訳、集英社刊)と述べています。
 池田 なるほど。たしかに仏法は、正報と依報を密接不可分なものとしてとらえている。また、御文には「正報をば依報をもつて此れをつく」ともあります。戸田先生はよく、「真実の宗教は、科学と相反したり、矛盾したりしない」と言われていました。まったく、そのとおりと思います。
 木口 ジャストロウ教授はもちろん、仏法の全体を把握しているわけではないでしょうが、原始宇宙のガス雲から人類も生まれた、という革命的発見が、こうした一つの結論をもたらしているわけです。

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