Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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思考と人間の教育  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
18  仏教の説話の一つに、鬼子母神の話があります。これは、非常にたくさんの子をもった女神でしたが、人の子を食べる悪鬼でもあり、そのために、大勢の人が苦しみました。人びとの悩みを聞いた仏は、鬼子母神の子の一人を隠します。鬼子母神は、自分の子が一人いなくなったのに気づいて、気が狂ったようになって探しました。そこで仏は、鬼子母神に「お前は、これだけたくさんの子がいても、その一人がいなくなっただけで、これほど苦しんでいるではないか。お前のために、大事な子供をとられた人びとの苦しみが、これでわかったであろう」といいます。それ以来、鬼子母神は、人の子をとるのをやめ、逆に、人びとの子を守り、母親たちを助ける善神になったというのです。
 この説話は自ら苦しみを知ることによって、他者の苦しみを知り、他者を苦しみから救おうとする善の心が起こってくることをあらわしています。そして、最も広く深く、人間の心と生命の不思議な世界を究めつくし、人間の遭遇する、あらゆる苦しみを知り、その苦しみから救おうとする愛、慈悲をもっているのが仏陀なのです。仏陀は、たんにそうした救おうとする願望をもっているだけでなく、生命の真実を正しく知っていますから、どのようにすれば救えるかも知っています。
19  さらに、仏陀は、自らが人びとの苦を救うのみでなく、自分と同じように、いっさいの人が仏陀になれるように教えを説きました。仏教とは、まさに、このいっさいの人びとが仏陀になれるための原理と実践法を示したものにほかならないのです。
 ともあれ、学校教育とならんで、家庭が人間形成の場としてあること、また、それがきわめて重要な意味をもっていることを忘れるわけにはいきません。今も昔も、人間が最も基本的な自己を形成する場は、この家庭の外に求めることはできません。なぜなら、両親は、たんに部分的な特殊知識だけを子供に授与するものにとどまらず、全体的な人間形成のために努力するからです。全体的な教育の重要性が増せば増すほど、私は家庭というものの重要性を再考しなければならなくなるであろうと考えています。

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