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日蓮大聖人・池田大作

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信仰と功徳  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
7  大事なことは、利益の現証は、より深い真理の体得という仏法の根本に目覚めていくための、一つの入り口であるということです。利益の現証は、それなりにこの人生における悩みを解決し、幸せを実現してくれますが、そうした幸せは、それだけでは永続的なものではありません。なぜなら、この人生そのものが、やがては終末を迎えるのであり、永続的ではないのですから。仏法が人々に教えている深い真理の会得ということこそ、永続的な幸せにほかなりません。なぜなら、この真理とは、やがて終わる私たちのこの人生を超えて、宇宙の究極として存在し働いている大生命であり、それを自己の内奥に覚ることは、永遠に滅びることのない真の存在へと自己を昇華させることであるからです。
 日本の伝統的な仏教は、そのほとんどが観念的思索に閉じこもったり、形式化に陥って、大衆に密着した信仰のエネルギーを失い、したがって、利益の現証という体験も久しく失われてきました。たんに、自宗にそうした体験を語りうる人がいないというだけでなく、自らを正当化するために、利益の体験を主張することを邪道と決めつけるにさえいたったのです。
8  その反面、なんらの真理をも裏づけにもたない、いわば反伝統的な信仰が、利益の現証を宣伝して、次々と現れ、民衆の間に広まってきました。そうした現象に対して日本人は「イワシの頭も信心から」と言って揶揄してきたことも事実です。宗教が利益の現証を説くことに対して、人々、特に知識人が、ことさらに反感をもつ風潮を生じている一因も、ここにあります。
 このように、一方に、高踏な理論や形式に閉じこもって大衆と遊離している伝統的仏教宗派、他方に、現世的な利益論だけの浅薄で刹那的な新宗教という、両極への分裂が顕著化し、大部分の平均的知性をもった民衆は、そのいずれにも無関心か反感かをもって無宗教化してきたのが、日本の実情です。
 私は、利益の現証を訴えるとともに、高度で深遠な真理への探究を目標として教える日蓮大聖人の仏法は、こうして歪められ無宗教化してきた日本人の心に、本来の宗教への理解と関心をもたらすことができると信じています。
9  (注1)奇蹟の霊所
 ローマ・カトリックでは、奇蹟への信仰は、聖者の(神への)取り次ぎや特別な(神の)配剤などとともに、(たびたび公的に規制されたにもかかわらず)根強い伝統を形成している。現在でもフランスのルルドは、重病を治癒する奇蹟の霊地として信者を集めている。
 (注2)ペンテコステ派(運動)
 ペンテコスト(聖霊降臨日=キリスト復活後の第七日曜日)に起こった現象として聖書に記されている聖霊による賜物、特に神を讃える異言(グロサラリア)の賜物が、今日もなお働きをもつことを信じるプロテスタントのセクトの総称。ペンテコステ派に属する各セクトは一九〇〇年以後に発生し、その後、英語圏の各国、ラテン・アメリカなどに広まった。その運動をペンテコステ運動という。
 (注3)クリスチャン・サイエンス
 一八六〇年代に、ニューイングランドでメアリー・べイカー・エディによって設立されたこのセクトは、イエスの行った治療法はアメリカでエディ夫人によって再発見されたと主張している。事実の真実性を否定し、神が心であることと、その心の卓越性が主張される。登録された治療師は、患者に対して断定的な治療を行う。
 (注4)カルト
 伝統的組織の宗教教団に対し、組織性の薄い特殊な少数者の集団をいう。チャーチ、セクト、デノミネーションなどとは区別されて使われる。

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