Nichiren・Ikeda
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53 開花(53)
山本伸一は、バスのなかにいる、ボーイスカウトの少年たちに向かって語りかけた。
「今回、嵐に遭遇したことは、大変だったかもしれない。でも、それは忘れ得ぬ、生涯の思い出になります。
人生も一緒です。皆さんのこれからの人生には辛いこと、苦しいこともたくさんあるでしょう。
でも、それを乗り越えた時には、最高の思い出ができます。最も光り輝く体験がつくられ、人生の財産になります。
ゆえに、将来、何があっても、苦難を恐れてはならない。敢然と立ち向かっていく、皆さんであってください」
伸一は、高等部員に語りかけている時と、全く同じであった。彼には、相手が学会員であるかないかなど、問題ではなかった。
伸一は、眼前にいる、未来に生きる少年たちを、ただただ、全精魂を注いで励まそうとしていたのである。
英語のできる青年部の幹部が、彼の言葉を通訳した。皆、瞳を輝かせ、大きく頷いていた。
伸一は、バス乗り場でメンバーを送り出すと、大講堂の指揮本部に向かった。
ここでは全体の出発状況を確認したあと、大講堂の周辺にいたボーイスカウトと言葉を交わした。
中米のホンジュラスから来たメンバーがいることを知ると、語らいのひと時をもち、一緒に記念撮影をした。
また、イギリス隊のメンバーを見ると、彼は言った。
「昨日、皆さんの勇気ある行動についてお聞きし、感銘いたしました」
――イギリス隊は、自分たちのテントは水浸しになりながらも、ほかの国のメンバーを先に避難させ、最後の最後まで、皆の安全のために奮闘した。その姿が、皆に勇気を与えたというのだ。
臆病者の溜め息は、希望を奪う。しかし、一人の勇気ある行動は、万人を勇者へと変える。
伸一は、賞讃を惜しまなかった。
「皆さんには、ボーイスカウト発祥の地の誇りがあります。誇りは勇気の母です。人間を支える力です。
将来、何があったとしても、私はイギリス隊だと、胸を張って生きてください。 イギリス隊、万歳!」
54 開花(54)
山本伸一は、この日も陣頭指揮をとり続け、午後三時前、再びバス乗り場にやって来た。最終バスに乗るボーイスカウトを見送るためである。
音楽隊、鼓笛隊の奏でる「蛍の光」の調べが響き、見送りのメンバーの歌声がこだましていた。
「サヨウナラ!」
「アリガトウ!」
ボーイスカウトたちはバスの窓をいっぱいに開け、口々に感謝の言葉を語りながら、大きく手を振っていた。
ここでの一夜は、国境や民族、宗教を超えて、相互理解を深め合った、もう一つの「ジャンボリー」となったのである。
アインシュタインは、「信頼は個人の結びつきを培うことによってのみ、つくり出されうる」と分析している。
ボーイスカウト日本連盟の世話役の一人が、伸一に駆け寄って来て、感慨深げに語った。
「私どもは、外国の人と理解を深めることはもちろんですが、その前にもっともっと、日本のなかで、理解すべきものがあったことを知りました。それは、創価学会についてです。
このたび、私たちは、暴風雨という大変な事態のなかで、皆様方の真心と人間性に触れることができました。
この温かい友情に包まれた一夜に、山本会長のご好意を身に染みて感じた次第です。私たちは、この友情の灯を、消してはならないと思います」
伸一は言った。
「全く同感です。友情は人間性の証です。友情を広げ、人間と人間を結び合い、人類の幸福と平和の連帯をつくるのが、私どもの目的です」
世話役の壮年は、大きく頷いた。二人は、固い固い、握手を交わした。
この救援活動に、学会員は、慈悲の光を万人に注ぐ、社会貢献の時代の到来を強く感じた。
後日、ボーイスカウト日本連盟の理事長は、学会本部を訪問して、山本伸一に感謝状と楯を贈っている。
また、伸一は、後年、世界を旅するなかで、「あの時、お世話になりました」という青年たちと、思いがけぬ嬉しい再会を重ねることとなる。
社会を離れて仏法はない。ゆえに、わが地域、わが職場に、君の手で、人間主義の花を断じて咲かせゆくのだ。