Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

黎明の竜の口(上) 法難の闇を破った「太陽の仏法」

2001.3.29 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
5  竜の口の刑場への途中、若宮小路で、大聖人は馬から下りられて、八幡宮に向かって、痛烈に諫暁なされた。
 「今日蓮は日本第一の法華経の行者なり其の上身に一分のあやまちなし」「いそぎいそぎ御計らいあるべし
 法華経の会座で、正法の行者を護ることを約束した諸天善神への、叱咤の師子吼であられた。
 さらに由比ケ浜に出てから、大聖人は、熊王という童子を使いにして、四条金吾に急を告げられた。
 金吾は裸足のまま、即座に、兄弟四人で馳せ参じた。
 この重大な局面の証人として呼ばれたのは、最も信頼する在家の弟子であった。
 刑場といっても、特別な施設があったわけではないようだ。砂地に敷物を広げて、斬首の座としたと考えられる。
 刀を手にした武士が、今にも処刑せんと構えた。
 四条金吾が、「いよいよです」と言って、こらえきれず泣いた。
 大聖人が戒められた。
 ――これほど喜ばしいことを、笑いなされ!
 その時である。
 江ノ島の方角から、月のごとく光る鞠のようなものが、突然、飛んだ。
 深い闇が、みるみる月夜のように明るくなった。
 太刀を持った武士は、目がくらんで倒れ伏し、兵士たちは恐れ、「一町計り」も走り逃げた(現代では、一町は約百九メートルといわれる)。
6  この「光り物」の正体は、何だったのか。
 それは、「おひつじ・おうし座」流星群ではないか、という研究がある。
 東京天文台長であり、東大名誉教授でもあった、故・広瀬秀雄博士の説である。
 博士は、文永八年九月十二日夜の「光り物の出現」の時刻について、「月没ごろか、その少し後」と推定されている。
 その日の「月没」は、「午前三時四十四分」という。
 御書には、光り物は、闇を切り裂いて、「辰巳(南東)から戌亥(北西)にかけて」光りわたったと記されている。
 幾多のデータを分析し、解析した結果から、光り物は、午前四時ごろに出現した「大流星」であろうというのが、博士の見解であった。
 その高度は三四度、方位角は南から西へ七九度。
 時期的に見て、これは、エンケ彗星を母彗星とする「おひつじ・おうし座」流星群から生まれたという推察である。
7  まさに、大聖人が、闇の中で斬首されんとした、この時、この一瞬に、大光は放たれた。
 逃げ散った武士たちに、大聖人は「頸を斬るならば、夜が明ける前に、早く斬れ!」と促されたが、臆して誰も近寄ろうとしなかった。
 やがて、波の向こうに、遠く、かすかに紅い光が点った。
 光は、たちまち左右に広がり、上へふくらみ、水平線が、はっきり見えてきた。
 「夜明け」である。
 陽光は急速に大きくなり、海をきらめかせ、空を照らした。雲は七彩の錦となった。
 金色に輝く太陽が、悠然と昇った。
 それは、無明の深き闇を打ち破って、「太陽の仏法」が、地球を包み始めた壮麗なる瞬間でもあった。

1
5