Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

3 中国への伝来  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

前後
2  『法華経』の漢訳本
 池田 ところで、『法華経』は中国へ、いつ、どのように伝わりましたか。
  『法華経』の最初の漢訳本は、三国時代の呉国に出現しました。
 その名は『仏以三車喚経』です。訳者は月支から来た優婆塞、すなわち在家者です。支謙しけんと呼ばれる人物です。
 池田 月支とは、せまくはインド西北部の月氏族の国、広くはインド全体を意味しますね。支謙は、月氏から中国に帰化した訳経家ですね。
 「仏は三車を以て喚ぶ」との経題のとおり、内容は、譬喩品の「三車火宅の譬」の部分だったのでしようか。
  そのとおりです。『仏以三車喚経』の紙幅は、たった一巻ですから、『法華経』の抄訳本以外には考えられません。
 さらに、『仏以三車喚経』という名前から、この抄訳本の内容は、先生がおっしゃるとおり、間違いなく譬喩品の「三車火宅の譬」の部分でしょう。
 これまで、漢訳された『法華経』の完訳本、抄訳本は、少なくとも八本ありますが、そのうち完訳本三本、抄訳一本は、今なお現存しています。
 池田 『開元釈教録』には、「六訳三存」と伝えられていますね。
 現存する完本は『正法華経』『妙法蓮華経』『添品妙法蓮華経』の三本ですね。
 このうち、西晋時代、二八六年に竺法護によって訳された『正法華経』は于闐うてん国王宮所蔵の「六千五百偈」の貝葉梵本によったとされます。
 後秦時代、四〇六年に鳩摩羅什によって訳された『妙法蓮華経』は、罽賓国王宮所蔵の「六千偈白氎びゃくじょう」梵本によったとされます。
 惰時代、六〇一年にに闍那崛多じゃなくった達磨笈多だつまぎゅうたによって訳された『添品妙法蓮華経』は「六千二百偈」の貝葉本による翻訳とされます。
 このうち、羅什訳の原本にこそ、最も古い形態が残されているとされます。
 経の名前のみ記されていて現存しない三本は、『法華三昧経』六巻(魏、二五五年、正無畏訳)、『薩芸さつうん芬陀利ふんだり経』六巻(西晋、二六五年、竺法護訳)、『方等法華経』五巻(東晋、三三五年、支道根しどうこん訳)ですね。
 蒋先生がおっしゃる八本は、六訳三存の経典とどうのように違うのでしょうか。
  池田先生が、おっしゃる六訳三存は、いずれも『法華経』の全訳本ですが、私が先ほど申し上げた八種の漢訳『法華経』のなかには、その六訳三存の『法華経』全訳本以外にも、二種の『法華経』の抄訳本が含まれています。
 南条文雄・泉芳璟共訳『梵漢対照新訳法華経』によれば、この著書にもあげられているとおり、次の二種の抄訳本をさします。
 『仏以三車喚経』一巻(欠)
 呉月支優婆塞支謙(二二三~二五三年)訳
 『薩曇芬陀利経』一巻(存)
 失訳人名今附西晋録(二六五年~三一六年)
 要するに、私が先ほど申し上げた八種の経典と、先生が、おっしゃる六訳三存の経典との違いは、わずかに、この二種の抄訳本が含まれるかどうかの違いだけなのです。

1
2