Nichiren・Ikeda
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日蓮が一門
(第12・13回)
2009.4.22 「御書と師弟」
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14 「先生、先生」と叫び
その戸田先生の事業が蹉跌したとき、学会は最も苦しい厳冬の時代にありました。
昭和二十五年(一九五〇年)八月、戸田先生は突然、学会の理事長を辞任された。信用組合の業務停止命令によって、学会と学会貝に迷惑をかけられないとの御心からでした。
私は、戸田先生の多額の負債の返済を一身に背負い、破綻した事業の清算に、一切をなげうって東奔西走しました。真剣勝負以外の何ものでもなかった。
戸田先生に対して批判・中傷の嵐が吹き荒れるなか、私自身も「今こそ御書を色読する時である」「いよいよ、これで本物の信心ができる」と心から確信しました。
私の師匠は戸田先生以外におられない。先生をお守りし、創価学会の会長になっていただくことが弟子の道である──。こう決めきって、文字通り、死に物狂いでした。師匠と生死をともにする覚悟でお仕え申し上げたのです。
昨日まで先生を尊敬するように振る舞っていた者たちが、手のひらを返すように先生を罵倒し去っていきました。「いざという時に、その人間の本当の姿が如実に出る」と先生が言われていた通りでした。
先生は、「おれには大作しかいなくなったな」とつぶやいておられました。
この時、私はただ一人「戸田先生、戸田先生」と叫び続けた。師匠の名前を呼ぶ。叫ぶ。それが根本の大事だからです。
やがて、一人また一人と、真実の同志が私の声に呼応し、「戸田門下生」としての自覚が会内に高まっていきました。その皆の心の高まりによって、昭和二十六年(一九五一年)五月三日、戸田先生は晴れて第二代会長に推戴されたのです。
私は日記に綴りました。
「先生を護ろう、力の限り。先生を護ろう、吾が生命のある限り。理由は、唯一つ、先生を護ることが、大御本尊流布を護ることに通ずるからである」(昭和二十七年十二月十八日)
この真情のままに、私は恩師の分身として、妙法の巌窟王として戦いました。真の師弟不二でした。
戸田先生は、「お前がいて幸せだった。素晴らしい弟子をもって嬉しい。忘れないよ。おかげで今日がある」と言われていました。
誰が何と言おうが、学会は師弟の団体です。私は、世界中どこへ行っても、戸田先生、牧口先生のことを誇り高く宣揚してきました。それができない心は臆病です。
卑怯です。忘恩です。
15 獅子は勝者の栄冠
今や、北南米をはじめ世界の随所に、牧口先生、戸田先生の名を冠した通りや橋、公園なども誕生しています。両先生は、平和と人道のために戦った二十世紀の偉人いとして、市民からこよなく尊敬されております。
これも、私と心を合わせて創価の師弟の大道を晴れやかに歩まれる敬愛するSGI(創価学会インタナショナル)各国の同志の、光り輝く社会貢献のおかげであります。
「牧口常三郎」「戸田城聖」という創価の大師匠の名を、全世界に向かって堂々と叫び、人々の心に語り広げてきたことは、私の永遠不滅の誉れであります。
私は盾となり、防波堤となって、恩師をお護り申し上げました。そして、この六十余年間、仏様の連帯である「創価の一門」を厳護し抜いてきました。
創価の師弟は、あらゆる誹膀・攻撃の矢面に立ち、内外の魔性を抑えながら、功徳と友情と平和の大城を、世界百九十二力国・地域に広げてきたのです。
この正義の大闘争と勝利の大実証こそ、「日蓮がごとく」「日蓮が一門」と叫ばれた大聖人の正統の証しであると確信しております。
「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ」。この御聖訓を、私は我が後継の青年たちに、万感の期待をこめて贈りたい。
仏法は「師子王の哲学」です。
牧口先生は師子でした。戸田先生も師子でした。私も師子として戦い、勝ってきました。
師子は絶対に負けない。小賢しく策を弄して動くのではない。師子とは、堂々たる「勝者の栄冠」なのであります。
ゆえに若き皆さんも、畏れなく、群狐を打ち破る強力な師子と育ってほしい。
青年らしく、正義を師子吼していくことです。創価の真実を、命の底から叫んでいくのです。「学会青年部の力を見よ!」と、信仰の偉大さを満天下に示し切っていくのです。
「一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる」と仰せの通り、一人が師子吼すれば、善人の励みとなり、悪人は恐れおののくのです。
とにかく語ることである。「声仏事を為す」だからです。言論戦です。語った分だけ、言い切った分だけ、叫び抜いた分だけ、仏縁は結ばれ、正義は拡大する。
戦った人ほど、強く聡明になれる。これが仏法です。
まず自分自身が変わることです。師弟の正義を叫びに叫べば、その一点からすべてが変わる。日々、自分が変わり、周囲をも変えいくことができる。
「師子は値いがたかるべし」であります。
値い難き師子王の師匠と、不思議にも今世で巡り会い、広宣流布という人類救済の大聖業へともに進むことができる。これが、どれほど崇高な人生であることか。この学会とともに歩んでいることは、決して偶然ではありません。
皆様方は、深い深い使命を帯びて、この娑婆世界に出現された、尊貴にして宿縁深厚なる地涌の菩薩であられます。
「日蓮が一門は師子の吼るなり」
我らこそ、この御金言を体現した仏意仏勅の一門なのです。
16 5・3元初の誓願
戸田先生は語られました。
「私は、信心には自信がある。不肖な私だけれども、日蓮大聖人様のお使いとして、七百年後の今日きたのでありますから、創価学会なんてインチキだ、でたらめだというなら、言わせてやろうではありませんか。どんな結果になるか。断じて負けません」(昭和三十二年二月、東京・豊島公会堂での本部幹部会)と。
さあ、若き君たちよ、新しい時代を開こう! 新しい人材を見つけよう! 断固勝って、正義の勝鬨を、天高く轟かせてくれ給え!
今や、世界の超一級の知性が、我ら「創価の一門」を賞賛されております。米・アイダホ大学のガイヤ博士は、こう讃えてくださっています。
「個人の善を社会の善へと発展させるためには、指導者の存在が不可欠です。師匠の姿に学び、自身を開き高めゆく民衆の連帯があって、はじめてそれが達成されるのです。
これを人類が共有する価値観としていかねばなりません。この人類意識を持って私たちは”ヒューマニズム(人間主義)の文化”ともいうべき新たな文化を、未来へ創造していくことが可能となるのです。創価の師弟の交流に、その確かな開花を私は見ました」──。
もなく、晴れやかな師弟栄光の「五月三日」。今再び「元初の誓願」を胸に燃え上がらせ、私とともに、新しき勝利の大前進を開始しようではありませんか。
師子王の
心と心の
スクラムは
三世に悠然
恐るものなし