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柳川圏代表者勤行会 水郷の水の如く信心もまた清く

1985.2.25 「広布と人生を語る」第7巻

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1  この柳川の地は、国民的詩人である北原白秋の生地である。文学少年と自負していた私の少年時代からの憧れの地であった水郷・柳川を初訪問することができ、また皆さま方のお元気な姿を拝見して、ほんとうにうれしい。心から感謝申し上げたい。
 市内は清い流れの水路がめぐり、まことに美しき、叙情とロマンの薫りゆたかな地である。古来「水清きところ、人の心また清し」といわれる。その言葉どおり、柳川の方々も、純粋な心の良き人が多いとの印象を深くうけた。
 どうか、生涯、純粋にして清らかな信心を貫き、御本尊の無量無辺の慈光に照らされて、最高の幸の人生を送っていただきたい。とともに、柳川の地が日本の心のふるさととして、ますますすばらしい発展をされんことを願ってやまない。
2  現在、柳川文化会館に「九州池田文学会館」が併設され、地域、文化に多少なりとも貢献している姿を、私はうれしく思う。
 今回は九州ゆかりの文学者である火野葦平、原田種夫、長谷健、檀一雄の各氏の遺稿をはじめ手紙、遺品等を展示した「九州文学資料展」も拝見した。小さな展示室のため資料は少ないが、そこに込められた意義は大きいと確信する。見る人が見れば、何百倍もの広がりで感じとれるものと思う。また、北原白秋もかならずや喜んでいるにちがいない。
 これからも九州文学、日本文学、さらには世界文学に親しんでいけるような展示をお願いしたい。
3  人というものは、会いたい人と会いたくない人といるものだ。また、どちらでもよい人もいるにちがいない。私ども広宣流布にすすみゆく同志は、すべてを乗り越えて、おつきあいし、たがいに励ましあっていきたいものである。このしぜんの流れは、だれ人がおさえようとしても、だれ人が圧力をかけようとしても、おさえきることができぬものであるといってよい。
 ともあれ、久遠より妙法のもとに深い絆を結んだ私どもは、少々の感情等でものごとをはかるのではなく、「法」への求道のための、永遠に励みゆく同志として、明るい前進をお願いしたい。
4  明後年の昭和六十二年に、福岡で第八回世界青年平和文化祭が開催される。その折には、多数の海外の友が来福する予定である。柳川にも多くの海外のメンバーが訪れ、深き思い出をきざむことかと思う。そのさいは妙法の強き絆に結ばれた久遠の兄弟姉妹として、心からの歓迎をお願いしたい。
 私は学問も、文学も、書道も、詩歌も、そして健康も中途半端で、今日まできてしまったようだ。しかし、広宣流布の行動と学会精神は中途半端ではなかった。信心の確信も、強くもって歩んできたつもりである。
 何があっても、人生の最高の道である信心だけは、けっして中途半端であってはならない。中途半端で終わるようにみえる事柄も、何十倍、何百倍と生かしていけるのが信心であるからだ。
5  信心における“励ましあい”こそ、自身をみがき、信心を深めゆくものである。
 「勤行をきちんと実践しよう」「弘教に励もう」「御書をしっかり研鑽しよう」等等、同志のさまざまな激励がある。ある場合には、それをいやに思うときがあるかもしれない。しかし、そうした励ましがあるがゆえに、正道の人生と信心をば深めゆくことができるのである。ここに、励ましあいを大切にする学会の組織の意義がある。
 一人だけでは、けっして深い信心の道を歩みつづけることはできないものだ。その意味でたがいに集いあい、励ましあいながら、この一生を楽しく、信心即生活をしぬいていっていただきたいのである。

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