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日蓮大聖人・池田大作

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生涯、信心まっとう 金沢会館入仏式

1964.7.14 「会長講演集」第11巻

前後
1  ほんとうにしばらくでございました。小さいながらも、この会館を皆さん方に差し上げます。どうかこの会館を中心として、おたがいに仲良く、尊敬しあい、信頼しあって、おのおのの幸福のために、がんばっていっていただきたい。
 私は大御本尊様に、どうか北陸の同志が、ひとりももれなく幸福になりますようにと、真剣にお願い申し上げました。ひとりも事故なく、一生涯、信心がまっとうできますようにと、お願いいたしました。またこの因習の深いなかを、ゆうゆうと折伏ができるようにもお願いしました。
 本日、お会いできなかった北陸の同志の方々がたくさんおります。その方々にも、くれぐれもよろしくお伝え願いたいと思うのです。
 日蓮大聖人様は「信心強きを名づけて仏界となす」と。仏の境涯、仏、そしてまた絶対的幸福、仏界といっても、しょせんは信心が強いということにつきる。こうおおせであります。それでは、信心が強いということはどういうことか。それはとうぜん勤行をしっかりいたし、題目を心豊かに真剣にあげ、あとはどうしても和合僧という一つの定義から、現代においては自分の役職、立ち場で信心をまっとうしていく。このまじめさ、誠実さ、真剣さ、これ自身が仏界であり仏の境涯であります。それが信心が強いことであります。したがって、いくら幹部になっても、信心が弱ければ、信心がなければ功徳は出ない。一組員であっても、大聖人様のおおせどおりに、信心強ければ、最高の幸福境涯を会得することができます。
 すなわち、生活のうえにゆうゆうと楽しみきった生活現証をただちにうけることになります。どうか、信心強いという、これしか仏界の湧現はない、人生活動における最高の源泉はないということを幹部になればなるほど、よろしく自覚をしていただきたいのであります。
2  また話は変わりますが、偉大なる政治家、指導者、また現在における成功者、会社の社長とか、または大学の総長とか、あらゆる成功者は、その位置にあって、だれよりも真剣に努力をし、だれよりもよけいに苦労し、そして今日の成功者になっていることは事実です。いろんな伝記を読んでも、また成功者の話を聞いても、それなりにりっぱな活動をしています。苦労をしております。勉強をしています。尊い思想があり、またりっぱな哲学があることはとうぜんでございます。
 だが、大聖人様の仏法と比べて、それだけで終始した場合には、幻のようなものであります。夢のようなものであります。その臨終の姿はどうかといえば、それはまた根本的に別問題であります。永遠における絶対的福運はいいきれません。ここにどうしても、いかなる成功者、いかなる指導者も、その根底になるべき永遠性を確立すべき大仏法、大哲学が必要なることはとうぜんなのです。これがない場合には、幻であります。
 ある偉人が「栄誉、栄達は遠くで見るとひじょうにきれいに見える。が、栄誉栄達は蛍火である。近くに寄って見れば、なるほど力がないものだ」と、このようにいっております。
 私どもは、ある人は大実業家に、また大指導者に、大政治家に、それぞれ広宣流布の第一人者になっていただきたいことはとうぜんでありますが、その半面、地道であり、平凡でもいい、ただ永遠に大福運を積んでいけるその信心においては、退転しない。人生においては絶対にあらゆる点の総合的、人間的価値、人間として最高のしあわせな人生を得た勝利者であるということだけは、宣言できるようにしようではありませんか。(拍手)
3  さきほど建設会社の支店長さんとちょっと懇談いたしまして、新潟の地震のことに話がおよびました。それでクイ打ちが十メートルではまだああいう地盤のところ、ああいうところでは、地震があれば倒れてしまう。二十五メートルぐらいクイ打ちすればなんでもない。このように話をうけたまわりました。
 人生も同じであります。いくら財産をもち、またおとうさんのお力によってむすこさんが偉くなったとしても、それから少しぐらい社会的に名声を博したといえども、そこに絶対的な信心、信念、大哲学がなかった場合には、ちょうど新潟の土地におけるクイ打ちが三メートルであり、五メートルであり、八メートルであるということに等しいと私は思います。
 いかなる時代がこようとも、いかなる境遇あろうとも、いかなる立ち場に立とうとも、ゆうゆうと微動だにもせず、自分が幸せになり、しあわせを享受し、人々も救いきれるのでは、日蓮大聖人様のこの仏法をたもつ以外にはない。この仏法においてクイを打ちきっていく以外には、将来のもっとも正しい、もっとも誉れある、しあわせな人生航路はないものと私は確信いたします。(拍手)
 だれびとがなんといおうとも、日蓮大聖人様のおおせは絶対間違いありません。
 大聖人様のおおせはだけには、御本尊様だけには、私どもは頭をたれ、またこれについては皆さん方、おのおの主体性をもち、おのおのの生活に立って、大きく人生を羽ばたいていただきたい。創価学会には、束縛はいっさいありません。皆さん方の自由であります。
 私もたびたびおじゃますることはできませんが、東京において、皆さん方のことを、いつも御本尊様に念じてまいります。この一生涯を私とともに、どうか有意義に、またきょうを第一歩として、正本堂建立の日めざして、大きく前進してまいろうではありませんか。(拍手)

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