Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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生涯、信心まっとう 金沢会館入仏式

1964.7.14 「会長講演集」第11巻

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2  また話は変わりますが、偉大なる政治家、指導者、また現在における成功者、会社の社長とか、または大学の総長とか、あらゆる成功者は、その位置にあって、だれよりも真剣に努力をし、だれよりもよけいに苦労し、そして今日の成功者になっていることは事実です。いろんな伝記を読んでも、また成功者の話を聞いても、それなりにりっぱな活動をしています。苦労をしております。勉強をしています。尊い思想があり、またりっぱな哲学があることはとうぜんでございます。
 だが、大聖人様の仏法と比べて、それだけで終始した場合には、幻のようなものであります。夢のようなものであります。その臨終の姿はどうかといえば、それはまた根本的に別問題であります。永遠における絶対的福運はいいきれません。ここにどうしても、いかなる成功者、いかなる指導者も、その根底になるべき永遠性を確立すべき大仏法、大哲学が必要なることはとうぜんなのです。これがない場合には、幻であります。
 ある偉人が「栄誉、栄達は遠くで見るとひじょうにきれいに見える。が、栄誉栄達は蛍火である。近くに寄って見れば、なるほど力がないものだ」と、このようにいっております。
 私どもは、ある人は大実業家に、また大指導者に、大政治家に、それぞれ広宣流布の第一人者になっていただきたいことはとうぜんでありますが、その半面、地道であり、平凡でもいい、ただ永遠に大福運を積んでいけるその信心においては、退転しない。人生においては絶対にあらゆる点の総合的、人間的価値、人間として最高のしあわせな人生を得た勝利者であるということだけは、宣言できるようにしようではありませんか。(拍手)
3  さきほど建設会社の支店長さんとちょっと懇談いたしまして、新潟の地震のことに話がおよびました。それでクイ打ちが十メートルではまだああいう地盤のところ、ああいうところでは、地震があれば倒れてしまう。二十五メートルぐらいクイ打ちすればなんでもない。このように話をうけたまわりました。
 人生も同じであります。いくら財産をもち、またおとうさんのお力によってむすこさんが偉くなったとしても、それから少しぐらい社会的に名声を博したといえども、そこに絶対的な信心、信念、大哲学がなかった場合には、ちょうど新潟の土地におけるクイ打ちが三メートルであり、五メートルであり、八メートルであるということに等しいと私は思います。
 いかなる時代がこようとも、いかなる境遇あろうとも、いかなる立ち場に立とうとも、ゆうゆうと微動だにもせず、自分が幸せになり、しあわせを享受し、人々も救いきれるのでは、日蓮大聖人様のこの仏法をたもつ以外にはない。この仏法においてクイを打ちきっていく以外には、将来のもっとも正しい、もっとも誉れある、しあわせな人生航路はないものと私は確信いたします。(拍手)
 だれびとがなんといおうとも、日蓮大聖人様のおおせは絶対間違いありません。
 大聖人様のおおせはだけには、御本尊様だけには、私どもは頭をたれ、またこれについては皆さん方、おのおの主体性をもち、おのおのの生活に立って、大きく人生を羽ばたいていただきたい。創価学会には、束縛はいっさいありません。皆さん方の自由であります。
 私もたびたびおじゃますることはできませんが、東京において、皆さん方のことを、いつも御本尊様に念じてまいります。この一生涯を私とともに、どうか有意義に、またきょうを第一歩として、正本堂建立の日めざして、大きく前進してまいろうではありませんか。(拍手)

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