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参院選後の批判に答える  

1959.6.12 「会長講演集」第4巻

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1  もっとも多い批判は『学会出身の議員には具体的な政策がない』という声のようだ。たとえば東大の鵜飼信成教授は『本来、主義主張や、政策のはっきりしない党派はあるべきでないが、創価学会の大量進出は問題だ。創価学会の本質は保守であり、しかも政策のない、たんに保守のフードだけをあらわしているからだ。』(朝日新聞六月五日付、アンケート「参院選をこう見る」)と述べているが――。
 現在、自民党や社会党がかかげているような政策だけをみて、それと同じようなことをいわないから、学会には政策がないと判断するのは早計である。
 自民党や社会党が口でりっぱな政策をかかげても、いまでは、ほんとうに国民が、それを信用していない。学会出身の議員は、いままでも全大衆が納得できる政策を打ち出してきたし、今後も打ち出していくのは、とうぜんのことである。われわれには、堂々とした、りっぱな政策がたくさんある。会長戸田先生が、すべて教えてくださっている。
 それは日本の将来に対する根本的な国家百年の大計であり、より本源的なものである。同じ政策といっても、安保条約問題、勤評問題と現実に即していくものと、国家百年の大計にのっとっていくべきものとの両方ある。現実の目先だけを論じていく政治家はいても、遠い将来を見通して、日本民族の今後の方向を確固たる信念をもって示していける政治家は、学会出身の議員以外にないのである。また、そのような政治家の出現を大衆は待ち望んでいるのである。
 たとえば、憲法改正についていえば、もし将来において憲法を改正する必要がある時がきたならば、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ソ連など、世界じゅうの一流の憲法学者を招いて、日本の国是に即し、それには日本の憲法学者も参加して、議論を尽くしたうえで改正すればよい。そうすれば全世界の人々の基準となり、ほんとうの正義の憲法ができるし、世界平和の基準になるではないか。
 移民問題その他については、すべて会長戸田先生が教えてくださっており、今後つぎつぎに明らかにされていくであろうし、制作がないなどという批判はまったくあたらない。
 学会は『保守だ』の声に対して、どうだろうか――。
 学会は自民党のヒモつきではないか。社会党とケンカばかりしいるではないか。共産党と仲が悪いではないかと、勝手な憶測をしているが、なにも自民党に世話になったおぼえもないし、社会党とケンカする必要もないし、共産党と対立する必要もない。あくまで中道法相が学会の行き方である。
 会長戸田先生は、こういう問題に対して『わが創価学会は、自民党に偏してもならない。社会党に偏してもならない。共産党に偏してもならない。その時代時代にあって、その民衆が、その政党、その政治でしあわせになっていくならば、それでいいではないか』とおおせられている。
 また会長先生は『学会は新社会主義である』とおっしゃった。すなわち、あくまでも全国民の幸福を基準にして態度を決定し『個人の幸福』と『社会の繁栄』とが一致する王仏冥合の思想を根本としたものである。
 学会は議員を国会に送って、国会内に小会派をつくるのではないかといって懸念しているむきもあるようだが――。
 創価学会は信仰の団体であり、政治団体ではない。ただ学会員から推薦されて立った議員たちが、将来、時代の要求として、大衆の要望として、そのようなものをつくらざるをえなくなる場合には、やむをえないことであり、大衆の要望にはこたえていかねばならないと思う。
2  『学会の候補者はいずれも高位で当選し、自社両党をはじめとする各党派に、“僧兵恐るべし”の印象をうえつけた』(毎日新聞六月五日付)などといったように、学会のことを僧兵などとみているが――。
 政界の僧兵などではない。わが創価学会の会長戸田先生の根本の教えは『国士であれ』ということである。けっして宗教家であってはならないということである。
 社会一般では、学会は坊さんの集まりであるとか、たんなる信者の集まりであると思い込んでいるが『国士であれ』というのが、先生の遺訓です。
 国士とは、国家民族の幸福のために、根底から救う理念をもって、それぞれの境遇、おのおのの立場で働く人のことです。国士というと、なにか政治家だけが国士であるというような感がなくもないが、会社にあって、職場にあって、りっぱに働く人は国士です。科学者だって、もちろん国士ですよ。先生のお遺しくださった国士訓を、よくよく拝してごらんなさい。
3  では、このたびの学会の進出に対する国内ならびに海外での反響については、どうだろうか。
 浅沼稲次郎社会党書記長は『政治家は反省しなければならない。政府の施策に、足らざるものがある。困窮者を出さないことです。結局、政治の貧困がこうさせていると思います』と、その原因を政治の貧困に求めているが――。
 これは与党、野党ともにいえる。いずれも国家的見地にたたず、党利党略にのみはしり、野党は野党で、なんでも与党に反対すればよいといった傾向が強く『大衆の幸福』とはまったく遊離している。
 そのうえ、与野党ともに、いたずらに誇大な政策をかかげて、あきられ、新鮮な、そして依存し、信頼できる人物にも乏しいという大きな欠陥をもっている。
 外国に行ってまで日本の悪口をいうような政治家をどうして支持することができようか。日本の国は、日本人が愛していかなければならないと思う。
 なんといっても、有能にして高潔であり、しかも信念をもっている新しい政治家の出現を、社会は、大衆は待っている。国家民族のために、ほんとうに依存できる人を待っている。この点、学会推薦の候補者に、何十万という数多くの票が投ぜられた事実は、なによりの証拠といえよう。
4  海外における反響のひとつとして、英国のロンドン・タイムズ紙は日本の参院選の結果について『直言すれば、日本の民主主義など、まったくの見せかけにすぎない。こうした現実が改められないかぎり、今回の選挙で狂信的な宗教団体(創価学会をさす)の進出が示すように、舞台ソデで待ち構えているのは、古めかしい神々だけということになる』(東京新聞六月八日付)とみているが――。
 会長戸田先生が人類救済の旗上げをなさったときには、学会は『ファッションだ』『左翼だ』『暴力宗教である』と、さまざまにみられてきた。
 それが、七年、十年たった今日では、どうやら日本国じゅうの人々は学会を正しく認識しようとしはじめた。
 そして、たまたま、このたびの参院選では、日本国じゅうの大問題として、その焦点となった。それのみならず、いまでは世界にその反響が波及し、さまざまな見方をしている。
 しかしながら、この世界の人々も、日本の人々が、いままでより以上に、学会の姿を正しく認識すれば、日本人の認識に比例して、納得していくことだろう。
 『日蓮が悪名、天下にとどろけり』と御書にもあるように、学会は今回の選挙で世界に波動を与えた。これは善につけ、悪につけ、世界広布の宣言になっているのである。(当時、総務)

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