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日蓮大聖人・池田大作

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第六章 健康革命の世紀へ  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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10  科学の「分析知」と仏教の「智慧」
 池田 その一つの参考として申し上げたいのですが、仏法では人間の「知」を大きく二つに分けます。一つは「識」すなわち「ヴィジュニャーナ」で、いま一つは「智慧」すなわち「プラジュニャー」です。「ジュニャー」というのは“知る”という意味です。「ヴィ」には“分ける”という意味があり、「識」=「ヴィジュニャーナ」は「分析的な知」を意味します。「科学的な知」も、このなかに入ります。これに対して、「プラ」は“完全な”という意味で、「智慧」=「プラジュニャー」は「総合的な知」を意味します。
 前者は科学などの分析的な「知識」であり、後者はより全体的な「英知」といえるでしょう。
 ログノフ 「分析知」と「全体知」という視点は大事ですね。
 池田 仏法では、「分析的な知」「知識」も重視します。そして、その「知識」を使いこなしていくものが、「智慧」であるとしています。
 たとえば、自然観にしても、西洋と比べ東洋の思想には、自然と人間が調和しゆく“総合的な視座”があることは、よく指摘されるところです。
 ログノフ 人間と自然、そして人間と人間さえ分離された今日の世界で、人間は何より最高に道徳的なものを求めるべきです。
 池田 そのとおりです。たとえば、日蓮大聖人は「五智」ということを説いています。これは前にお話しした「九識論」とも関連します。
 ―― 「九識論」については、“夢と記憶”のところで、論じていただきました。
 池田 そうでしたね。
 「前の五識は成所作智・第六識は妙観察智・第七識は平等性智・第八識は大円鏡智・第九識は法界体性智なり」とあります。
 ログノフ 難解そうですが、どういう意義になりますか。
 池田 それでは、一つずつ説明していきましょう。
 まず、人間の五感に相当する「前五識」が、仏法の悟りに基づいたとき、「成所作智」となり、人々を救うための実践的な智慧として働きます。また、「第六識」は事物のありのままの姿を洞察する「妙観察智」という智慧に転じていきます。この「妙観察智」「成所作智」は、科学者の良心が科学的情報を吸収しつつ、正確に判断していくことに通じると思います。
 ログノフ 技術の悪用や、データの隠匿を見破っていくことですね。
 池田 次に、「第七識」は、自身と他者がともに平等で尊厳なるものであると知る「平等性智」という智慧になります。これは「優生学的発想」と対峙するものです。
 ログノフ 「優生学」というのは、本来の目的は、遺伝的な病気をなくすことにありました。ところが、その後、優秀な民族をつくるというファシズムに悪用されてしまいました。
 池田 「遺伝子工学」がふたたび、このような悪用を許さないためにも、すべての人間が平等に尊厳なる当体であり、ある種の人間だけを優秀とするような思想を拒絶する「平等性智」が必要ではないでしょうか。
 ログノフ まったく同感です。四番目の智慧はどういうものですか。
 池田 第四の「大円鏡智」とは、“欠けたところのない大いなる鏡”のように、万物のありのままの姿、実相を映し出す智慧です。この智慧によって、人間のみならず、あらゆる生命的存在が、互いに関連しながら、共存していく姿を洞察するのです。
 これは、自然を“支配する対象”として見るのではなく、自然のなかに人間と共通の生命を見いだし、共生していこうとする、仏法の「自然観」を生みだしていきます。
 ―― 最後の「第九識」というのは、「根本浄識」ということでしたね。
 池田 そのとおりです。「第九識」は、「法界体性智」としての智慧の光を放ちます。いわば宇宙生命そのものにそなわった智慧、宇宙根源の法の放つ光明であり、すべての智慧はこの「法界体性智」に支えられ、一体となって働く――この万人が共有する根本の智慧を湧現する「法」を説いたのが仏法なのです。
 ログノフ 宇宙と共鳴し、自然と協調しゆく科学技術への道を開くことは、すばらしい二十一世紀の実現に大切なことです。
 ―― 次は、人体という“小宇宙”から、ふたたび天空の“大宇宙”に目を転じて、「相対性理論」や「宇宙論」などをめぐってお話をうかがえればと思います。

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