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日蓮大聖人・池田大作

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十八円満抄  (4/6) 前の五識は成所作智・第六識は妙観察智・第七…
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は体・蓮は宗・華は用・経は教なり、又総説の五重玄に二種有り一には仏意の五重玄・二には機情の五重玄なり。

仏意の五重玄とは諸仏の内証に五眼の体を具する即ち妙法蓮華経の五字なり、仏眼は妙・法眼は法・慧眼は蓮・天眼は華・肉眼は経なり、妙は不思議に名く故に真空冥寂は仏眼なり、法は分別に名く法眼は仮なり分別の形なり、慧眼は空なり果の体は蓮なり、華は用なる故に天眼と名く神通化用なり、経は破迷の義に在り迷を以て所対と為す故に肉眼と名く、仏智の内証に五眼を具する即ち五字なり五字又五重玄なり故に仏智の五重玄と名く、亦五眼即五智なり、法界体性智は仏眼・大円鏡智は法眼・平等性智は慧眼・妙観察智は天眼・成所作智は肉眼なり、問う一家には五智を立つるや、答う既に九識を立つ故に五智を立つべし、前の五識は成所作智・第六識は妙観察智・第七識は平等性智・第八識は大円鏡智・第九識は法界体性智なり

次に機情の五重玄とは機の為に説く所の妙法蓮華経は即ち是れ機情の五重玄なり首題の五字に付いて五重の一心三観有り、伝に云く、

 妙 不思議の一心三観 天真独朗の故に不思議なり。
 法 円融の一心三観 理性円融なり総じて九箇を成す。
 蓮 得意の一心三観 果位なり。
 華 複疎の一心三観 本覚の修行なり。
 経 易解の一心三観 教談なり。

玄文の第二に此の五重を挙ぐ文に随つて解すべし、不思議の一心三観とは智者己証の法体・理非造作の本有の分なり三諦の名相無き中に於て強いて名相を以つて説くを不思議と名く、円融とは理性法界の処に本より已来三諦の理有り互に円融して九箇と成る、得意とは不思議と円融との三観は凡心の及ぶ所に非ず但だ聖智の自受用


の徳を以て量知すべき故に得意と名く、複疎とは無作の三諦は一切法に遍して本性常住なり理性の円融に同じからず故に複疎と名く、易解とは三諦円融等の義知り難き故に且らく次第に附して其の義を分別す故に易解と名く、此れを附文の五重と名く、次に本意に依て亦五重の三観有り、一に三観一心入寂門の機、二に一心三観入照門の機、三に住果還の一心三観・上の機有りて知識の一切の法は皆是れ仏法なりと説くを聞いて真理を開す入真已後観を極めんが為に一心三観を修す、四に為果行因の一心三観謂く果位究竟の妙果を聞いて此の果を得んが為に種種の三観を修す、五に付法の一心三観・五時八教等の種種の教門を聞いて此の教義を以て心に入れて観を修す故に付法と名く、山家の云く塔中の言なり亦立行相を授く三千三観の妙行を修し解行の精微に由つて深く自証門に入る我汝が証相を領するに法性寂然なるを止と名け寂にして常に照すを観と名くと。

問うて云く天真独朗の止観の時・一念三千・一心三観の義を立つるや、答えて云く両師の伝不同なり、座主の云く天真独朗とは一念三千の観是なり、山家師の云く一念三千而も指南と為す一念三千とは一心より三千を生ずるにも非ず一心に三千を具するにも非ず並立にも非ず次第にも非ず故に理非造作と名く、和尚の云く天真独朗に於ても亦多種有り乃至迹中に明す所の不変真如も亦天真なり、但し大師本意の天真独朗とは三千三観の相を亡し一心一念の義を絶す此の時は解無く行無し教行証の三箇の次第を経るの時・行門に於て一念三千の観を建立す、故に十章の第七の処に於て始めて観法を明す是れ因果階級の意なり、大師内証の伝の中に第三の止観には伝転の義無しと云云、故に知んぬ証分の止観には別法を伝えざることを、今止観の始終に録する所の諸事は皆是れ教行の所摂にして実証の分に非ず、開元符州の玄師相伝に云く言を以て之を伝うる時は行証共に教と成り心を以て之を観ずる時は教証は行の体と成る証を以て之を伝うる時は教行亦不可思議なりと、後学此の語に意を留めて更に忘失すること勿れ宛かも此の宗の本意・立教の元旨なり和尚の貞元の本義源此れより出でたるなり。


問うて云く天真独朗の法・滅後に於て何れの時か流布せしむべきや、答えて云く像法に於て弘通すべきなり、問うて云く末法に於て流布の法の名目如何、答えて云く日蓮の己心相承の秘法此の答に顕すべきなり所謂南無妙法蓮華経是なり、問うて云く証文如何、答えて云く神力品に云く「爾の時・仏・上行等の菩薩に告げたまわく要を以て之を言わば乃至宣示顕説す」云云、天台大師云く「爾時仏告上行の下は第三結要付属なり」又云く「経中の要説・要は四事に在り総じて一経を結するに唯四ならくのみ其の枢柄を撮つて之を授与す」問うて云く今の文は上行菩薩等に授与するの文なり汝何んが故ぞ己心相承の秘法と云うや、答えて云く上行菩薩の弘通し給うべき秘法を日蓮先き立つて之を弘む身に当るの意に非ずや上行菩薩の代官の一分なり、所詮末法に入つて天真独朗の法門無益なり助行には用ゆべきなり正行には唯南無妙法蓮華経なり、伝教大師云く「天台大師は釈迦に信順して法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承して法華宗を助けて日本に弘通す」今日蓮は塔中相承の南無妙法蓮華経の七字を末法の時・日本国に弘通す是れ豈時国相応の仏法に非ずや、末法に入つて天真独朗の法を弘めて正行と為さん者は必ず無間大城に墜ちんこと疑無し、貴辺年来の権宗を捨てて日蓮が弟子と成り給う真実・時国相応の智人なり総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき所詮時時念念に南無妙法蓮華経と唱うべし。

上に挙ぐる所の法門は御存知為りと雖も書き進らせ候なり、十八円満等の法門能く能く案じ給うべし並びに当体蓮華の相承等日蓮が己証の法門等前前に書き進らせしが如く委くは修禅寺相伝日記の如し天台宗の奥義之に過ぐべからざるか、一心三観・一念三千の極理は妙法蓮華経の一言を出でず敢て忘失すること勿れ敢て忘失すること勿れ、伝教大師云く「和尚慈悲有つて一心三観を一言に伝う」玄旨伝に云く「一言の妙旨なり一教の玄義なり」と云云、寿量品に云く「毎に自ら是の念を作す何を以てか衆生をして無上道に入り速に仏身を成就することを得