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日蓮大聖人・池田大作

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兵庫広布35周年記念幹部会 広布の″要″の地を盤石に

1988.3.26 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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1  常勝関西の歴史支えた尼崎
 遠いところ、また、ご繁多のところ、わざわざご参集され、本当にご苦労さまと申し上げたい。
 今回、私は、尼崎に来る予定ではなかった。が、ぜひとも尼崎の皆さまとお会いし、久方ぶりに語り合い、これまでの御礼を種々申し上げたいとの思いがつのり、昨日、予定を一日繰り上げ白浜から帰阪した。きょう、このように念願が実り、私は本当にうれしい。
 七年前の三月、会長勇退の約二年後であるが、私は尼崎文化会館を訪れ、記念大会に出席した。だが、内外の情勢から、思うようにお話もできず、十分に皆さまを激励することもできなかった。それが私には、長い間、大きな心の悔いともなってきた。きょうはつぐないの意味も込め、前回を補って余りあるようにゆっくり、たっぷりと、お話しさせていただきたい。
 ある人が言っていた。「東京が学会の″顔″とすれば、関西は″心臓部″である。と同じく、神戸が兵庫の″顔″とすれば、尼崎は″心臓部″となる」と。
 私も同感である。尼崎は、「広宣流布の電源地」であり、関西の、忘れえぬ″広布源流″の地である。尼崎の躍動と前進があったからこそ、兵庫、そして全関西の発展と勝利があった。その意味から、壮大な人材山脈を築き、関西広布の崩れざる軌道を作りあげた尼崎の歴史は、まさに輝ける「栄光」の足跡であった。このことを、私は明快に申し上げたい。
 また、この間の、皆さま方の命を削るようなご健闘、ご活躍に対し、私は最大の賛辞をおくりたい。
2  ところで「尼崎」の地名は、何に由来するのか。
 尼崎市役所発行の「尼崎市史」によれば、平安時代には「長洲浜ながすはま」と呼ばれていた。その後、「一ノ洲」「河尻かわじり」など、様々な名称が表れるが、鎌倉時代の中期、日蓮大聖人御在世の建治から弘安年間には、″あまがさき″と読める「海人崎」「海崎」との記述が、文献に見える。これを「尼崎」の起源とする説もあるが、はっきりしたことは分かっていないようだ。
3  中国地方など西国から大阪へ入るさいの″入り口″に当たる尼崎は、歴史的にも通商・交通の要地であった。
 この地の重要性に注目した一人に、徳川家康がいる。それについて「尼崎市史」にもくわしく叙述されている。
 開幕かいばく後、尼崎は幕府の直轄領であったが、大阪城の攻撃に先立ち、家康は、姫路藩主の池田利隆に、わざわざ尼崎城の支援・防御を命じている。尼崎は、いわば大阪の″のどもと″であり、西国との物資の交流を束ねる、きわめて重要な位置にあった。大阪城の攻略にも、決定的な影響力をもっていた。
 両軍とも、戦闘を始めるに当たり、兵糧米の備蓄に全力をあげた。その点で、尼崎は堺と並ぶ重要な集積の要地であり、大阪方も、この点は十分に認識し、手を打っていた。それだけに幕府としても、ここを大阪方に奪われては一大事と、万全の守りを固めたのである。
 家康は、諸国の大名に出陣を命じ、陸海両面から大阪城を包囲する。それとともに、経済的にも大阪を封鎖し、いわゆる″兵糧攻め″を図った。
 まず、京都から大阪への米や塩の流出を禁止。ついで、北陸など北国の産物が入らないよう、淀川を通る船を徹底して取り締まった。また、大阪方に従っていた小豆島から、塩、たきぎ、魚類などを大阪に運ばせず、幕府支配下の尼崎、堺に回送させた。その直後には、すべての船に、大阪の港への出入りを禁じている。
 こうして家康は、物資流入のあらゆる経路を次々とふさいだ。この作戦は、かなりの効果をあげたようだ。大阪では一時、米の値段が平時の六倍以上にハネ上がっている。大阪方に与えた、あらゆる意味での圧迫感は、相当のものであったにちがいない。
4  いかなる次元であれ、戦いというものは、常に知恵と知恵との勝負である。相手の動きを、どう読むか。そのうえで、どう手を打つか。この″知恵比べ″を制したものが、栄冠を手にする。これは、時代や社会を超えた、勝負の鉄則である。
 広布の舞台にあっても、指導者は賢明でなければならない。広布の活動はますます多岐に、幅広く展開されている。リーダーはそれに応じた知恵と力をもたねばならない。いずこの分野でも、妙法の正しさを証明し、人々に心からの納得と満足を与えられなければ、もはやリーダーとはいえない。とくにこれからの若い人々にこの点を私は強く申し上げておきたい。
 ともあれ、家康による経済封鎖の決め手となったのが、尼崎であった。経済のみならず、陸海ともの軍事的要地ともなった。家康は、大阪をおさえるうえで、あらゆる意味から、尼崎が″かなめ″の地であることを鋭く見抜き、フルに利用した。
 しかもそれは、大阪攻略だけのためではなかった。江戸時代を通じ、幕府はこの地を重視し、近畿経営の要衝ようしょうとした。ゆえに、尼崎領主には、戸田氏鉄うじかねをはじめ、青山氏、松平氏といった三河以来の信任あつき譜代大名が当てられている。
5  尼崎は、私にとっても、大切な、思い出多き国土である。
 初めて訪れたのは、昭和三十二年の十二月一日。市文化会館で開かれた尼崎総ブロック大会に出席した。以来、数多く訪問させていただき、共戦の足跡を刻んだ。
 また、尼崎支部の結成は、昭和三十五年五月三日、奇しくも、私が戸田先生の後を継いで第三代会長に就任した春季総会の折であった。
 尼崎の″広布の電源地″としての意義の深さは、これまでも何度か、お話ししてきた通りである。関西の歴史においても、関西文化祭の淵源えんげんとなった第一回関西音楽祭や、初の関西婦人部幹部会をはじめ、″常勝・関西″の数々の足跡が、この尼崎に刻まれている。現在も、学会世帯の比率で兵庫第一を誇る、誉れの地域である。
 こうした「世界の関西」のかなめにふさわしい尼崎広布の発展も、皆さま方一人一人が、自らの使命と責任を見事に全うし、尊い汗と労苦で勝ち取ったものにほかならない。その功徳と福運は、子々孫々に至るまで、必ずや無量の光彩を放っていくことは間違いない。
6  御書の「法蓮抄」に、次の一節がある。
 「囲碁と申すあそびにしちよう四丁と云う事あり一の石死しぬれば多の石死ぬ」──囲碁という遊びに「四丁」ということがある。すなわち一つの石が死ぬと、多くの石も一緒に死ぬことである──と。
 囲碁を打つ方は、よくご存じと思うが、「四丁」とは、一つの石が死ぬのを免れようと次々に石を打っても、その頭を抑えられて、結局、逃げようとして打った多くの石が全部死んでしまうことをいう。ここで「死ぬ」とは、相手の石に取り囲まれ、身動きがとれなくなり、とられてしまうことである。
 この御文を通し大聖人は、九界それぞれの「一人」の成仏が、その界の「一切衆生」の成仏をあらわことわりとなることを示されて、法華経の無量無辺の力用を、分かりやすく説かれている。
 囲碁の醍醐味だいごみの一つは、いかに劣勢にあろうと、一つの″急所″に一目を打つことで、一気に形勢を逆転し、攻勢へと転ずる、一種の″逆転劇″にある。
 三百六十一の″目″から成る碁盤の世界にも、絶対に見逃せない″急所″がある。同様に人生万般についても、物事の″急所″を鋭く把握し、その″ホシ″に対し的確に手を打つことが、「勝利」をもたらすポイントとなる。戸田先生は、この点をいつも厳しく教えてくださった。
7  広布の前進において、すべての地域が大切であり、それぞれがかけがえのない国土であることは、言うまでもない。
 そのうえで、我が兵庫は、関西、ひいては日本全国の″ホシ″ともいうべき重要な地である。いわば関東・首都圏における神奈川に匹敵するといえよう。
 また、その兵庫のなかでも、尼崎の皆さまは、全関西の「常勝」の歴史を支えに支え、守りに守ってくださった、誉れの同志である。私は、その涙ぐましい奮闘の姿を、誰よりも知っているつもりである。
 そうした皆さまの見事な活躍に対し、会館等の整備が、これまで余りにも立ち遅れていた。今回、まことに見事なるこの新文化会館が完成し、慶賀にたえない。小さな旧会館を知っているだけに新会館の美しさに驚嘆した。
 これからも、この盤石なる″尼崎城″を中心に、悠々と障魔の軍勢を抑えつつ、新たな常勝の道を、開きに開き抜いていただきたい。
8  正法護持の人に無料の福徳
 次に、「護法」の実践の重要性について、論じておきたい。
 「守護国家論」に、次のような一節がある。
 「在家の諸人正法を護持するを以て生死を離れ悪法を持つに依つて三悪道さんあくどうに堕す可きことを明さば、涅槃経第三に云く「仏・迦葉に告わく能く正法を護持するの因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり」と
 ──在家の人々は、正法を護持することによって生死の苦しみから離れることができる。反対に、悪法を持つことによって三悪道にちてしまう。そのことを明かす文として、涅槃経第三には、次のようにある。「仏は迦葉に言われた。″私(釈尊)はなぜ常住にして不壊の金剛身となることができたか。それは、よく正法を護持してきたからである″」と──。
 続いて大聖人は、こう述べられる。
 「亦云く「時に国王有り名を有徳と曰う、乃至・法を護らんが為の故に、乃至・是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す、乃至・王是の時に於て法を聞くことを得已つて心大に歓喜し尋で即ち命終して阿閦仏あしゅくぶつの国に生ず」已上此の文の如くならば在家の諸人別の智行無しと雖も謗法の者を対治たいじする功徳に依つて生死を離る可きなり」──また、同じ涅槃経に云く。「″有徳″という名の国王がいた。彼は法を護らんがために、この破戒の諸々の悪僧等と激しく戦った。そして自ら満身創痍(そうい)となって、法を守り抜いた。その時、王は、法を聞き終えて、心大いに歓喜しつつ命を終えることができ、『歓喜国』ともいわれる阿閦仏の国に生ずることができた」と。この文の如くであるならば、在家の人々は、特別の知恵や修行はなくとも、謗法者を対治する功徳によって生死の苦しみから離れることができるのである──。
 在家の私どもが、生死の苦しみのばくを離れ、成仏の王道を進みゆくには、特別の知恵や修行が必要なのではない。ただ、正法を護持し、仏道修行に励みゆくことこそ大切であると、大聖人は仰せである。″特別の知恵″が不要と聞いて、ホッとされた方もいるかもしれない。
9  この御指南のままに妙法弘通へ進みゆく、私どもの日々の活動が、成仏への着実な修行になっていることは言うまでもない。
 大聖人は、悪侶等と戦い、謗法者を対治しゆく人に、生死を離れゆく無量の福徳が輝くと仰せである。こうした勇気ある「護法」の実践に生き抜くことが、我が生命を「金剛不壊の宝器」へと完成させゆく直道なのである。たとえ、有徳王のごとく、満身創痍となろうとも、法のために戦えば、三世に崩れざる大歓喜に包まれることは間違いない。
 私も、正法の清流を破壊せんとする悪侶達と戦った。また尊き仏子である皆さま方を守るために、満身創痍となりながら戦った。その正邪がいかなるものであったかは、御聖訓に照らし、また今日の正宗と学会の大発展の姿をみて、皆さま方が最もよくご存じの通りである。
10  「金剛宝器」と輝く生命を
 次に「金剛宝器戒こんごうほうきかい」について申し上げておきたい。このことは、先日、第一回関西代表幹部会の席上でも、若干、触れさせていただいた。
 ただ、大切な問題でもあり、本日は、もう少しくわしく、様々な観点から述べさせていただく。難解な部分は、なるべく、かみくだいてお話しするつもりであり、ご安心願いたい。また、そのため少々飛躍する面もあるかもしれないが、ご了承いただければ幸いである。
 まず「戒」とは何か。これには「防非止悪ぼうひしあく」すなわち「非をふせぎ悪をとどめる」意義がある。「非」とは非法であり、道にはずれることである。「悪」とは悪果であり、人間の苦悩を指す。
 分かりやすく言えば、「戒」とは、仏道修行する人が、生命の正しき″法″の軌道をはずれないように防ぎ、苦しみがもたらされないように暴走をストップさせる、そのための、いわば″防波堤″となる規範である。
 そして「戒」を持つことによって、生命の中にも次第に、「非」と「悪」への″防波堤″が築かれる。これによって修行者は正しき″法″にのっとった自分を築くことができる。これが「戒」の目的である。
 また「戒」は、仏法を修行する者が必ず修学しなければならないとされた「戒・じょう」の三学の一つである。すなわち「戒律」を持つことによって、生命の乱れを防止して、心を整え(「禅定ぜんじょう」)、その澄みきった清浄な生命の中から成仏への「智慧」を生じさせる。これが三学を修める根本の目的である。ゆえに目指すのは、あくまで自身の仏界を自覚する「智慧」であり、「戒」はその手段である。決して「戒」そのものが目的ではない。
 末法の現代においては、「以信代慧いしんだいえ」すなわち「信をもって慧にう」と説かれているように、智慧の修行の代わりに、ただ妙法への「信心」に励むことによって仏の智慧を得、仏界を涌現ゆげんすることができる。ゆえに御本尊を信受し、持ちきっていく、それのみが末法の「戒」となる。これが「金剛宝器戒」である。
 しかし、正法時代、像法時代においては、それぞれの″時″に応じ、″機根″等に応じて、様々な戒が説かれた。仏典には多くの「戒」が説かれているが、大きく分けて「小乗戒」と「大乗戒」の二つがある。
 小乗教は戒律中心であり、実に多様な「小乗戒」が、こまかく示されている。
 たとえば、在家信者が持つべきとされた「五戒」の一つでは、不殺生戒ふせっしょうかいなどが有名である。また出家となると「二百五十戒」「五百戒」、さらに、それらを細分した「三千の威儀いぎ」「八万四千の細行さいぎょう」などを説く。まったく、おぼえるだけでも大変な数である。
 しかも、すべてが「何々をしてはいけない」という「禁戒」である。「あれをしてはいけない」「これもしてはいけない」──「あれもダメ」「これもダメ」。口うるさい幹部ではないが、これでは現代人ならずとも、″ついていけない″と思っても不思議ではない。
 小乗教が民衆から遊離し、時代の変化にも取り残されていった理由の一つも、こうした点にあるといえよう。いわば「小乗戒」は、生命の変革を「外からの制約」を守る実践によって実現しようとした。
 これに対し、「大乗戒」には決定的ともいえる違いがある。すなわち「菩薩戒」という別名通り、諸戒を守るにとどまらず民衆救済へと積極的に打って出る勇猛精進ゆうみょうしょうじんの行動を表とする。不幸の人を救おう! 民衆の苦悩を救おう!──この果敢な「利他」の行動によって、自らの生命の無明をも打ち破ろうとした。
 単純化していえば、「防非止悪」を小乗戒が″悪の禁止″によって実現しようとしたのに対し、大乗戒は、むしろ″善のすすめ″によって成し遂げようとしたといえよう。
 「金剛宝器戒」は、こうした「大乗戒」の根本精神に根ざしつつ、ありとあらゆる衆生の成仏、真実の民衆救済への道を開いた戒である。
 「金剛」とは金剛石すなわちダイヤモンドを意味する。仏法上は、三世にわたって永遠に崩れないものの象徴である。
 「宝器」とは宝のうつわすなわち尊貴なるれものをいう。大乗仏教では、一切衆生の生命は本来、宝のごとく尊き″容器″と見る。まことに徹底した生命尊厳の思想である。
 その中でも「金剛宝器」とは、″宝石の王者″であるダイヤモンドのごとく、尊極そんごくにして不壊ふえの無上の器である。
11  器にも様々な器がある。木の器、土や石の器、ガラスや諸金属の器等々。「金剛の器」以外は、みな強い衝撃にあったり、時間の経過によって、割れたり、ちたりする。
 人間の生命もまた一つの器といえる。世間でも、ある人の度量や資質について、器が大きいとか、小さいとか言うが、仏法では人間の生命は、仏道修行できうる資質をもった「法器(″法″の器)」であるとみる。ゆえに法器を壊す自殺は、罪が大きい。そして一切衆生の生命が、妙法という無上の″宝聚ほうじゅ(宝の集まり)″を内に蔵する「宝器」であると説く。
 そして我が生命を、現実のこの人生で、また三世にわたって「金剛宝器」として輝かせるための戒こそ、「金剛宝器戒」である。
12  「金剛宝器戒」については、梵網経ぼんもうきょう等に説かれ、「金剛宝戒」「一心金剛戒」とも言う。
 伝教大師は、「一心金剛戒体秘決いっしんこんごうかいたいひけつ」の中で次のように述べている。
 「一切衆生の無始の心中にみな性得しょうとく本有ほんぬの金剛宝戒あり、性得本有の戒の中に本来無作むさの三身あり(中略)是の性得本有無作の三身を性得本有の金剛宝戒と名づけ」ると――。
 大要の意味は、″私ども一切衆生の生命には、本来、もともとそなわっている金剛宝(器)戒がある。その戒には無作の三身如来がある。この、生命に本来そなわる無作の三身を、金剛宝(器)戒と名づける″ということである。つまり、私ども衆生に本来そなわる「仏」の生命こそ、「金剛宝器戒」なのである。
13  御本尊信受に一切の「戒」は具足
 末法においては、三大秘法の御本尊を受持しきっていく「信心」の実践が、「金剛宝器戒」となる。
 日蓮大聖人は、「此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内にあに万戒の功徳を納めざらんや」──法華経本門の肝心である、この妙法華経は過去・現在・未来すべての諸仏の、あらゆる修行、あらゆる善行の功徳を集めて五字としたものである。この五字の中に、どうしてあらゆる戒の功徳をおさめないことがあろうか──と断言しておられる。
 「小乗戒」「大乗戒」を修行したあらゆる功徳も、ことごとく御本尊におさまっている。ゆえに、この御本尊を受持することが、そのまま受戒となり、持戒となる。これが「受持即受戒」「受持即持戒」の法理である。
 受持とは″受けたもつ″ことである。″受ける″とは心に信じおさめることであり、「信受」である。″持つ″とは「持続」である。
 何があっても、妙法をいささかも疑うことなく、広宣流布へ、人類の救済へと自行化他の実践を持続し、貫いていく――その中に、自然のうちに「非を防ぎ悪を止める」戒の働きが最高に発揮されていく。
 そして、その鍛えと錬磨のなかで我が生命は、何ものにもおびやかされず、破壊されることのない「金剛宝器」として、光を放ってくる。その「宝器」のなかには、尊き仏界の智と慈悲と福徳が、満々とたたえられ、また生き生きと脈動していく──。
14  「器」である以上、汚れていたり、割れたり、ヒビが入っていては、器としての使命は果たせない。
 汚れた器に、清らかなものを入れるわけにはいかない。ヒビが入り壊れた器では、大切なものを入れてもれてしまう。さらに、くつがえっていたり、口が閉じていたり、汚れた余計なものが、じっていたりしても、清浄な水を注ぐことはできない。
 皆さま方の「宝器」もまた壊してはならない。せっかくの無量の福徳が、どんどん漏れていってしまうからだ。また器が清らかでなければ、たたえられた″幸福″と″歓喜″の深い味わいも、実感できない。
 「宝器」を内から壊したり、汚したりする大きな敵は、信心の「慢心」である。また″名利″の心であり、保身の″エゴ″である。これらによって、我が宝器に傷をつけ、妙法の永遠にして無上の功徳を失っていくことは、余りにも残念なことである。
 また慢心の人の生命は、器の口が閉じているようなもので、どんな温かい真心も、正しい道理も、素直に入っていかない。ゆえに感謝も成長もない。功徳も少ない。
 ともあれ、妙法広布に生きる皆さま方こそ、経典に説かれた「金剛宝器」なのである。人類の中にあって、まさしく″ダイヤモンド″の存在こそ、皆さま方である。
 いかなる地位の人も、財産の人も、名声の人も、それのみでは生命の内実は「金剛宝器」ではない。また、他の小法によっては不壊の「金剛身」を得ることはできない。
 ゆえに無名の庶民であっても、広布に徹する一人の人をこそ私は最大に尊敬し大切にしている。皆さま方も、互いに尊敬しあって前進していただきたい。
 また先日、申し上げた通り、日達上人は、御本尊根本に広布に進む学会の前進に対し、「皆様は一個一個の金剛宝器であり、学会はその個々の宝器を入れるところの一大金剛宝器であります」と仰せになっている。
 日達上人の深い御心と、そこにこめられた重大な意義が感じられてならない御言葉である。
15  大聖人はまた、「此の具足の妙戒は一度持つて後・行者破らんとすれど破れず是を金剛宝器戒とや申しけん」と仰せである。
 「具足の妙戒」とは、仏法の一切の功徳を具足した御本尊を受持するという戒である。ひとたび、この「妙戒」を持ったならば、破ろうとしても永遠に破れない。ゆえに不壊の金剛宝器戒という。
 信心していても、なかには退転していく人もいる。しかし、ひとたび生命に築かれた「金剛宝器戒」の厳たる力用は、時間の長短はともあれ、いつか必ず、その人を再び妙法の軌道へと戻していくのである。
16  臨終に試される信心を蓄えた生命力
 さて、この「金剛宝器戒」を持った人は、いかなる「臨終」を迎えることができるか。
 大聖人は「如説修行抄」で次のように仰せである。
 「二聖・二天・十羅刹女は受持の者を擁護し諸天・善神は天蓋を指しはたを上げて我等を守護してたしかに寂光の宝刹へ送り給うべきなり
 ──薬王菩薩と勇施ゆぜ菩薩の二聖、持国天王じこくてんのう毘沙門びしゃもん天王の二天、十羅刹女が、御本尊受持の者をかばいまもり、諸天善神は天蓋(天にかかるカサ)をさし、旗をかかげてわれわれを守護して、たしかに常寂光の仏国土に送りとどけてくださるのである──と。
 この「如説修行抄」の仰せは、日寛上人の同抄文段でお示しのごとく、法華経「陀羅尼だらに品」第二十六をふまえられてのものである。
 つまり「陀羅尼品」では、ここに仰せの「二聖(薬王菩薩と勇施菩薩)」、「二天(持国天王と毘沙門天王)」、「十羅刹女」の「五番善神」といわれる五者が、それぞれ順番に法華経の行者を守護することを誓っている。
 ちなみに「二聖」のうち、「薬王菩薩」はその名のごとく衆生の重病を消除する働きである。また法華経の会座えざにあっては、常に「迹化の菩薩の上首」として連なっている。また「勇施ゆぜ菩薩」は、その名の通り、一切衆生に布施ふせする力を惜しまない働きである。
 これらの菩薩、諸天は、法華経の会座で、法華経の行者を守護することを誓っており、御本尊を受持し「法」のため、「広布」のために活躍していく人をば、厳然と守護するのである。
 そして、それは、私達が生きている間だけのことには限らない。「臨終」という、今世の生を終え来世への出発を決める、いわば人生の大きな変化を迎える時、まさに、人生の最も重要な時にこそ、諸天善神はこぞって私たちを守護する。大聖人はそのことを、「たしかに」と固く約束くださっておられる。
17  臨終の際の、この諸天善神の働きについて、大聖人はさらに、諸天の力用はことごとく、ほかならぬ私どもの信心の「一念」にそなわっていると御教示されている。
 「二聖」「二天」「十羅刹女」という五番善神の力用についても、すべて妙法華経の五字から出たものであり、妙法を受持した、私どもの生命それ自体に納まると。
 「御義口伝」には「妙とは十羅刹女なり法とは持国天王なり蓮とは増長天王なり華とは広目天王なり経とは毘沙門天王なり、此の妙法の五字は五番神呪ごばんじんしゅなり、五番神呪ごばんじんしゅは我等が一身なり」と仰せである。
 妙とは十羅刹女であり、法とは四天王のうちの持国天王、蓮とは同じく増長天王、華とは広目天王、経とは毘沙門天王であると──。
 大聖人はここで観心の御立場から、二聖のうち薬王菩薩を広目天に、また勇施菩薩を増長天に置きかえて、それぞれ配されている。すなわち、ここでの五番善神は、十羅刹女と四天王のこととなる。これらの善神の尊名はみな御本尊に厳然とおしたためである。
 そして──この妙法華経の五字こそ、五番善神が法華経の行者の守護を誓って唱えた呪文じゅもんの当体である。五番神呪といっても、所詮は題目の力用に含まれると。さらに、妙法五字であるこの五番神呪とは、我等妙法を受持した人の生命それ自体であると明示されている。
 五番善神に代表される全宇宙の諸天善神とその働きは、すべて御本尊に具足されている。同時に、「信心」している仏子の生命にもそなわるのである。
18  この点をふまえて、先ほどの「二聖・二天・十羅刹女は受持の者を擁護ようごし(中略)寂光の宝刹ほうせつへ送り給うべきなり」の御文を拝するならば、次のようにも言えようか。
 すなわち広布に生ききった人は、臨終の際、我が生命の諸天善神等の力用が、一挙に全面的に発動する。そして断末魔だんまつまの苦しみをはじめ、おそいかかる「死苦」から、完璧かんぺきに守りきってくれる。そして内なる一念の力用はその瞬間、外なる大宇宙の諸天善神の発動をも呼び起こす。そして内外相応ないげそうおうして自在の力を発揮し、直ちに「寂光の宝刹」すなわち宇宙の仏界という次元へと、必ず融合していける──との仰せとも拝せよう。
 この意味から、臨終の際の諸天善神の働きとは、信心によって蓄えた我が生命力の″あかしともいえる。
 つまり「死」は一面からみれば、人間が今世における一切の虚飾をはぎとられて、裸のままの「生命」それ自体がもつ真実の″力″で立ち向かわざるを得ない難関である。
 この時ばかりは、権力という″力″も、財力の″力″も、名声や地位という″力″も、また単なる知識や理性の″力″も、すべて死苦を乗り越える真の力にはならない。生命自体の″実力″とでもいおうか、いわば、生命奥底の″底力″こそが試される瞬間なのである。ニセものは通用しない。
 「生」の期間には必ずしも表面化しない、生命内奥の真実の姿が、その時、立ち現れる──。臨終という、この文字通りの″正念場″にあって、ただ妙法の実践の中で我が「生命」自体に積み、たくわえてきた生命力というエネルギーのみが、その絶大の力を発揮する。
 ゆえに、「生」あるうちに、また健康で活躍できるうちに、真剣に、妙法による福徳の貯金を、また生命力の蓄えをつくっておくことが重要なのである。
19  日々″わが信念の道に悔いなし″と
 このことに関連して御書の一節を拝しておきたい。
 「転重軽受法門てんじゅきょうじゅほうもん」では、涅槃ねはん経で説く「護法の功徳力」の教えに基づき、死身弘法の人の死をこう述べておられる。「地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候」──(過去世の重い宿業によって、実際には未来に受けるべき)地獄の苦しみが、ぱっと消えて死に、人界・天界、二乗界、菩薩界、仏界の利益を得る――と。
 地獄とは、最低のものに縛られた苦しみの境界といってよい。しかし、妙法に生ききった人は、臨終の際、その生命の力を最大に発揮して、地獄の縛をも、ぱっと断ち切り、生命の「上昇」を始める、との仰せである。
 また「一乗の羽をたのみて寂光の空にもかけりぬべし」と。
 妙法という「一乗の羽」の力をたのんで「寂光の空」すなわち、仏界という大いなる常楽の世界へと飛び立っていくであろうとの御指導と拝する。
 この御文に描かれたイメージをお借りし、たとえて述べるならば、死の瞬間、それまで蓄えられきった生命の力によって、あたかもロケットが地上から最大の噴射力で飛び立ち、成層圏を突きぬけて、大宇宙へと飛翔ひしょうしていくように、「寂光の空」なる仏界へと「上昇」しきっていける。
 これが妙法受持の人の絶大の功徳である。その宇宙の「仏国」「仏界」は、広々と清浄にして大歓喜に満ち、何の束縛そくばくもない自由自在の次元である。そこからさらに、次なる使命の人生を、生まれたい場所と時を選んで、生まれたい姿で、再び出発していける。あたかも名飛行士の、自在な着陸の姿とでもいおうか。
 ともあれ、このような素晴らしき三世にわたる常楽我浄の生命こそ、不壊の「金剛身」である。この崩れざる絶対的幸福の″我″を築きあげるための「金剛宝器戒」であり、日々の仏道修行なのである。
 最後に、愛する尼崎、兵庫の皆さまが、宇宙をも動かしゆく妙法の偉大な功徳を満喫(まんきつ)されつつ、「我が人生に悔いなし」「我が信念の道に悔いなし」という、誇らかな一日一日の前進を貫かれますよう、心から念願し、記念のスピーチを結びたい。

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