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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻下  (28/52) 妙とは十羅刹女なり法とは持国天王なり蓮とは…
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とは広目天王なり経とは毘沙門天王なり、此の妙法の五字は五番神呪なり、五番神呪は我等が一身なり、十羅刹女の呪は妙の一字を十九句に並べたり経文には寧上我頭上の文是れなり、持国天は法の一字を九句に並べたり経文には四十二億と云えり、四とは生老病死・十とは十界・二とは迷悟なり、持国は依報の名なり法は十界なり、増長天は蓮の一字を十三句に並べたり経文には「亦皆随喜」と云えり随喜の言は仏界に約せり、広目天は華の一字を四十三句に並べたり経文には「於諸衆生多所饒益」と云えり、毘沙門天は経の一字を六句に並べたり経文には「持是経者」等の文是なり云云。

       厳王品三箇の大事

第一 妙荘厳王の事

文句の十に云く妙荘厳とは妙法功徳をもつて諸根を荘厳するなりと。

御義口伝に云く妙とは妙法の功徳なり、諸根とは六根なり此の妙法の功徳を以て六根を荘厳す可き名なり、所詮妙とは空諦なり荘厳とは仮諦なり王とは中道なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は悉く妙荘厳王なり云云。

第二 浮木孔の事

御義口伝に云く孔とは小孔大孔の二之れ有り、小孔とは四十余年の経教なり大孔とは法華経の題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大孔なり、一切衆生は一眼の亀なり栴檀の浮木とは法華経なり、生死の大海に南無妙法蓮華経の大孔ある浮木は法華経に之在り云云。

第三 当品邪見即正の事

御義口伝に云く厳王の邪見二人の教化に依り功徳を得て邪を改めて正とせり、止の一に辺邪皆中正と云う是


なり、今日本国の一切衆生は邪見にして厳王なり、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は二人の如し終に畢竟住一乗して邪見即正なる可し云云。

        普賢品六箇の大事

第一 普賢菩薩の事

文句の十に云く勧発とは恋法の辞なりと。

御義口伝に云く勧発とは勧は化他発は自行なり、普とは諸法実相・迹門の不変真如の理なり、賢とは智慧の義なり本門の随縁真如の智なり、然る間経末に来つて本迹二門を恋法し給えり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は普賢菩薩の守護なり云云。

第二 若法華経行閻浮提の事

御義口伝に云く此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり云云。

第三 八万四千天女の事

御義口伝に云く八万四千の塵労門なり、是れ即ち煩悩即菩提生死即涅槃なり七宝の冠とは頭上の七穴なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。

第四 是人命終為千仏授手の事

御義口伝に云く法華不信の人は命終の時地獄に堕在す可し、経に云く「若人不信毀謗此経即断一切世間仏種其人命終入阿鼻獄」と、法華経の行者は命終して成仏す可し是人命終為千仏授手の文是なり、千仏とは千如の法門なり謗法の人は獄卒来迎し法華経の行者は千仏来迎し給うべし、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る


者は千仏の来迎疑無き者なり云云。

第五 閻浮提内広令流布の事

御義口伝に云く此の内の字は東西北の三方を嫌える文なり、広令流布とは法華経は南閻浮提計りに流布す可しと云う経文なり、此の内の字之を案ず可し、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は深く之を思う可きなり云云。

第六 此人不久当詣道場の事

御義口伝に云く此人とは法華経の行者なり、法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり、道場とは十界の衆生の住処を云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり此れを道場と云うなり、此因無易故云直至の釈之を思う可し、此の品の時最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり、此の文までにて経は終るなり当の字は未来なり当起遠迎とは必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可しと云う経文なり、法師品には於此経巻敬視如仏と云えり、八年の御説法の口開きは南無妙法蓮華経方便品の諸仏智慧終りは当起遠迎当如敬仏の八字なり、但此の八字を以て法華一部の要路とせりされば文句の十に云く「当起遠迎当如敬仏よりは其の信者の功徳を結することを述す」と、法華一部は信の一字を以て本とせり云云。

尋ねて云く今の法華経に於て序品には首めに如の字を置き終りの普賢品には去の字を置く羅什三蔵の心地何なる表事の法門ぞや、答て云く今の経の法体は実相と久遠との二義を以て正体と為すなり始の如の字は実相を表し終りの去の字は久遠を表するなり、其の故は実相は理なり久遠は事なり理は空の義なり空は如の義なり之に