Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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兵庫広布35周年記念幹部会 広布の″要″の地を盤石に

1988.3.26 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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19  日々″わが信念の道に悔いなし″と
 このことに関連して御書の一節を拝しておきたい。
 「転重軽受法門てんじゅきょうじゅほうもん」では、涅槃ねはん経で説く「護法の功徳力」の教えに基づき、死身弘法の人の死をこう述べておられる。「地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候」──(過去世の重い宿業によって、実際には未来に受けるべき)地獄の苦しみが、ぱっと消えて死に、人界・天界、二乗界、菩薩界、仏界の利益を得る――と。
 地獄とは、最低のものに縛られた苦しみの境界といってよい。しかし、妙法に生ききった人は、臨終の際、その生命の力を最大に発揮して、地獄の縛をも、ぱっと断ち切り、生命の「上昇」を始める、との仰せである。
 また「一乗の羽をたのみて寂光の空にもかけりぬべし」と。
 妙法という「一乗の羽」の力をたのんで「寂光の空」すなわち、仏界という大いなる常楽の世界へと飛び立っていくであろうとの御指導と拝する。
 この御文に描かれたイメージをお借りし、たとえて述べるならば、死の瞬間、それまで蓄えられきった生命の力によって、あたかもロケットが地上から最大の噴射力で飛び立ち、成層圏を突きぬけて、大宇宙へと飛翔ひしょうしていくように、「寂光の空」なる仏界へと「上昇」しきっていける。
 これが妙法受持の人の絶大の功徳である。その宇宙の「仏国」「仏界」は、広々と清浄にして大歓喜に満ち、何の束縛そくばくもない自由自在の次元である。そこからさらに、次なる使命の人生を、生まれたい場所と時を選んで、生まれたい姿で、再び出発していける。あたかも名飛行士の、自在な着陸の姿とでもいおうか。
 ともあれ、このような素晴らしき三世にわたる常楽我浄の生命こそ、不壊の「金剛身」である。この崩れざる絶対的幸福の″我″を築きあげるための「金剛宝器戒」であり、日々の仏道修行なのである。
 最後に、愛する尼崎、兵庫の皆さまが、宇宙をも動かしゆく妙法の偉大な功徳を満喫(まんきつ)されつつ、「我が人生に悔いなし」「我が信念の道に悔いなし」という、誇らかな一日一日の前進を貫かれますよう、心から念願し、記念のスピーチを結びたい。

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