Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

登れ「大満足」の峰に  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

前後
2  エベレストは今も成長
 佐々木 成長し続けるといえば、世界最高峰のエベレストも、いまだ隆起を続けているそうですが……。
 松岡 ネパールの国立トリプパン大学のシヤルマ博士と、先生との会談(一九九六年二月)では、そのことが話題になりましたね。
 池田 そうです。
 エベレストは、別名「サガルマータ」とも呼ばれますが、これはネパールの言葉で″大空に届く頭″を意味します。
 私も九五年秋、ネパールを訪れ、その雄姿を見ることができましたが、″山の王者″たるにふさわしい巍々堂々たる風格をたたえていた。
 そのエベレストが、毎年一センチずつ上昇している、との研究もあるが、実際は、どうなのか――。
 著名な地質学者でもある博士にうかがったところ、こう答えられました。
 「(エベレストなどを擁する)ヒマラヤ山脈は、隆起と浸食とを比較すると、隆起の程度のほうが大きい。つまり、まだ『成長している』のです」と。
 佐々木 さらに上へ、もっと高く――まさにその名のとおり、天空に届かんとばかりに、今なお隆起し続けるエベレスト。人間も、かくありたいものです。
 池田 ここで忘れてならないのは、何がその世界一の雄姿をもたらしたのか、という点です。
 大木が深い根を張るように、標高八〇〇〇メートルにも達するヒマラヤのような高い山脈は、地下の奥深いところまで根を張っているという。つまり、変成岩の深い層に支えられて山のバランスが保たれている、と。
 すなわち「山が高ければ高いほど、その根は深い」と言われているのです。
 松岡 とかく私たちは、表面の雄姿に目を奪われがちですが、それを支える根を大きく深く張らずして、本物にはなれないことを、ヒマラヤの山々は教えてくれているような気がします。
 池田 「一日一日を丁寧に生きよう」――私はつねにみずからを戒め、人にもそう語ってきました。
 いかに表面は華やかに振る舞い、頑張っているように見せかけても、日々の鍛えなき人は案外ともろいものです。
 これは、信心の世界だけでなく、人生一般にもいえることでしょう。
 まじめと努力に徹した人ほど、強いものはない。どこまでも地道な歩みを貫き通した人に、″人生最終章の栄冠″は輝くのです。
 佐々木 エベレストといえば、その最高峰の威容に強く魅了され、麓にロッジ(山小屋)を建てるなど、ネパールと日本との民間交流に努めている方がいらっしゃいます。
 松岡 松岡東京・目黒区で区副婦人部長をされている、川村良子さんですね。
 副国際部長も務める川村さんは、長らく商社で働いていたのですが、あるとき、″わが人生のエベレストを登れ″との先生の指導を聞いて、つねに向上の人生を歩もうと決意されました。
 その後、仕事で、ネパールに行ったご主人の勧めもあって、一九八〇年一月に初めてエベレストを訪れたのですが、あまりのスケールの大きさに心を打たれて、「この世界一のエベレストを、世界一戦っておられる、世界一尊敬する先生に見ていただきたい」と思い、いつかエベレストを一望できる場所にロッジを建てようと心に決めたといいます。
 池田 私のことはともかく、エベレストの雄姿を見れば、人生観や世界観が大きく変わるのかもしれませんね。
 毀誉褒貶にとらわれ、世間の雑事に一喜一憂する小さな存在など、とるにたらない。
 ネパールで生誕した釈尊も、堂々たるヒマラヤの山々を見て育った。そこから、あの偉大な人格の山容が築きあげられたのです。
 佐々木 川村さんがエベレストを訪れたのが、宗門問題の嵐が吹き荒れるなかで、先生が会長勇退を余儀なくされた翌年のことでした。(一九八〇年)
 あまりにも寂しく迎えた学会創立五十周年。″こんなことが二度とあってはならない″と、川村さんは自身の誓いとして、なんとしても創立六十周年までにロッジを完成させようと決意したといいます。
 松岡 それから、川村さんはネパールに何度も赴き、まず地元のシェルパの人々の信用を勝ち取ることから始められました。
 ロッジを建てる場所に行くのでも、登山客のようにヘリコプターで一足飛びに行くのではなく、地元の人々と同じように吊り橋を渡り、みずからの足で一歩一歩、山を登るよう心がけていたそうです。
 その甲斐あって、標高四〇〇〇メートルほどの、エベレストの麓シャンボチェに、待望のロッジを完成させたのが一九八九年の夏でした。
 佐々木 翌九〇年にご主人を、さらに九一年には母親を亡くされるなど、その後もさまざまな試練を乗り越えながら、現在にいたるまで十五年以上にわたり、川村さんは、日本とネパールとの民間交流のために尽力を続けられています。
 池田 活躍ぶりは、よく存じあげています。
 ロッジの話は、ネパールを初訪問したさいに詳しくうかがいましたが、現地の人々のみならず、多くの登山客にとっても、なくてはならない友好の場となっているそうですね。
 私は川村さんの健闘をたたえる思いで、一句を詠み、贈らせていただきました
 「世界一 高き道場 川村城」――と。
 川村さんは現在、先生が詠まれたように、そのロッジを第一歩として、やがては「世界一高い場所にSGIの青年たちが集う研修道場をつくりたい」と、さらなる夢を実現させようと胸をふくらませているそうです。
 池田「希望すること、これが幸福なのだ」とはある哲学者の言ですが、味わい、深い言葉だと思う。
 戸田先生は、よく「生命力」という言葉を使われましたが、この「生命力」とは、未来を信じる力、そして希望を日々新たにし続ける力の異名ともいえるものなのです。
3  自分にしか歩めない使命の道を
 佐々木そこで、もう一人、「逆境」を「使命」に変えて活躍されている、ドクター部の尾賀幹さんを紹介したいと思います。
 東京・豊島区にお住まいの尾賀さんは、医師の道を歩み始めてまもないころ、右上腕骨の骨肉腫のために、右腕を肩から失うという悲劇に見舞われました。ちょうどお子さんを出産されたばかりの時で、自分の将来よりも、「子どもを、どう育てていけばよいか」と悩まれたといいます。
 松岡 その息子さんが小学校六年生の時に白血病になり、二年間の闘病生活の末に亡くなられた……。
 その後、仏とは、生命とは、と深く見つめ始めたことが入会のきっかけでした。
 尾賀さんは、そこで、一時断念していた医師の道をふたたび歩もうと発心され、「私なりの、桜梅桃李のライフワークを進みたい」と真剣な唱題を重ねた結果、長年のブランクを乗り越え、高齢者などのためのリハビリ医として、仕事に就くことができたのでした。
 池田 「桜梅桃李のライフワーク」――本当に、すばらしい言葉です。
 「第三の人生」の課題をいえば、なによりも自分らしく生きることです。世のため人のために尽くしきって、この一生を総仕上げしよう、という決意こそ大切です。
 桜は桜、梅は梅と、そのままの姿で最高に美しいのです。人間も同じで、だれ一人として「使命」のない人はいません。「希望」さえ失わなければ、その人でしか持ちえない、最高の輝きを放ちながら、堂々と朗らかに、自分らしい人生を送っていくことができるのです。
 佐々木 その後、離婚し、お一人になった尾賀さんですが、たび重なる試練にも、「自分が特別、不幸だと思ったことは一度もない。信心のおかげです」と、話しておられました。
 御書にある、「己心と仏心とは異ならず」との一節を持し、「私が妙法の当体なんだ。それならば、私の人生の主導権が、私自身にある。仏法のとおりに生きれば、必ずや目標は実現できる」と強い確信を抱いて、意欲をもって医療に従事し、以来、多くの患者さんやその家族に、温かな励ましをあたえてこられたのです。
 現在では、そうした経験をふまえ、高齢者の健康、生き方などに関してセミナーを各地で行い、好評を呼んでいます。
4  日々年々に満ちる向上の人生
 池田 人生の痛みを味わったからこそ、患者さんたちにも優しさが伝わっていくのでしょう。
 自身に具わる「仏界」にひとたび目覚めたならば、いかなる苦難や宿命さえも悲しむ必要はない。すべてが「歓喜の中の大歓喜」の人生となっていく。まったく″新しい世界″が、生活に、人生にと開かれていくのです。
 幸・不幸を決めるのは、自分の心です。その心に、限りない「強さ」と「知恵」をわき出させていく! これが仏法の力であり、信仰者としての本当の生き方なのです。″心こそ大切″です。
 松岡 尾賀さんは、医師への復帰を果たしたころ、「人生の最終章は大福運なんだから、安心して頑張ってください」と、先生に激励していただいたことが、その後の人生の大きな支えとなってきたと、述懐しておられました。
 池田 それはよかった。
 ある春のこと、戸田先生が、「大作、厳寒の冬を耐えて、また桜が咲いたよ」と、しみじみ言われたことがありました。
 いつ秋が去り、いつ冬が来たのかも判然としないような、恩師と二人して戦いぬいた日々のなかで、心に染みわたる、魂の言葉でした。
 嵐にも負けず、風にも負けず、そしてなによりも自分に負けずに、来る年も来る年も、自分らしく満開の花を咲かせていく――川村さんや尾賀さんたちのように、新たなる挑戦の道をみずから選び取り、「第三の人生」への道を意気揚々と開いていくならば、やがては、だれにも壊すことのできない、最高の「満足感」を得ることができるはずです。それが正真正銘の、人生の最終章を飾る無上の″宝″となっていくのです。
 大聖人は、五十八歳の御時に、御自身の半生を振り返られて、「月のみつるがごとく・しほのさすがごとく」と仰せになっています。
 私たちも、皓々と輝きを増し満ちゆく月のごとく、また、刻々とみなぎりゆく海原の潮のごとく、一日一日、そして一年一年と、限りなく向上し、成長していける人生を、ともどもに歩んでいきたいものです。

1
2