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日蓮大聖人・池田大作

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登れ「大満足」の峰に  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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3  自分にしか歩めない使命の道を
 佐々木そこで、もう一人、「逆境」を「使命」に変えて活躍されている、ドクター部の尾賀幹さんを紹介したいと思います。
 東京・豊島区にお住まいの尾賀さんは、医師の道を歩み始めてまもないころ、右上腕骨の骨肉腫のために、右腕を肩から失うという悲劇に見舞われました。ちょうどお子さんを出産されたばかりの時で、自分の将来よりも、「子どもを、どう育てていけばよいか」と悩まれたといいます。
 松岡 その息子さんが小学校六年生の時に白血病になり、二年間の闘病生活の末に亡くなられた……。
 その後、仏とは、生命とは、と深く見つめ始めたことが入会のきっかけでした。
 尾賀さんは、そこで、一時断念していた医師の道をふたたび歩もうと発心され、「私なりの、桜梅桃李のライフワークを進みたい」と真剣な唱題を重ねた結果、長年のブランクを乗り越え、高齢者などのためのリハビリ医として、仕事に就くことができたのでした。
 池田 「桜梅桃李のライフワーク」――本当に、すばらしい言葉です。
 「第三の人生」の課題をいえば、なによりも自分らしく生きることです。世のため人のために尽くしきって、この一生を総仕上げしよう、という決意こそ大切です。
 桜は桜、梅は梅と、そのままの姿で最高に美しいのです。人間も同じで、だれ一人として「使命」のない人はいません。「希望」さえ失わなければ、その人でしか持ちえない、最高の輝きを放ちながら、堂々と朗らかに、自分らしい人生を送っていくことができるのです。
 佐々木 その後、離婚し、お一人になった尾賀さんですが、たび重なる試練にも、「自分が特別、不幸だと思ったことは一度もない。信心のおかげです」と、話しておられました。
 御書にある、「己心と仏心とは異ならず」との一節を持し、「私が妙法の当体なんだ。それならば、私の人生の主導権が、私自身にある。仏法のとおりに生きれば、必ずや目標は実現できる」と強い確信を抱いて、意欲をもって医療に従事し、以来、多くの患者さんやその家族に、温かな励ましをあたえてこられたのです。
 現在では、そうした経験をふまえ、高齢者の健康、生き方などに関してセミナーを各地で行い、好評を呼んでいます。
4  日々年々に満ちる向上の人生
 池田 人生の痛みを味わったからこそ、患者さんたちにも優しさが伝わっていくのでしょう。
 自身に具わる「仏界」にひとたび目覚めたならば、いかなる苦難や宿命さえも悲しむ必要はない。すべてが「歓喜の中の大歓喜」の人生となっていく。まったく″新しい世界″が、生活に、人生にと開かれていくのです。
 幸・不幸を決めるのは、自分の心です。その心に、限りない「強さ」と「知恵」をわき出させていく! これが仏法の力であり、信仰者としての本当の生き方なのです。″心こそ大切″です。
 松岡 尾賀さんは、医師への復帰を果たしたころ、「人生の最終章は大福運なんだから、安心して頑張ってください」と、先生に激励していただいたことが、その後の人生の大きな支えとなってきたと、述懐しておられました。
 池田 それはよかった。
 ある春のこと、戸田先生が、「大作、厳寒の冬を耐えて、また桜が咲いたよ」と、しみじみ言われたことがありました。
 いつ秋が去り、いつ冬が来たのかも判然としないような、恩師と二人して戦いぬいた日々のなかで、心に染みわたる、魂の言葉でした。
 嵐にも負けず、風にも負けず、そしてなによりも自分に負けずに、来る年も来る年も、自分らしく満開の花を咲かせていく――川村さんや尾賀さんたちのように、新たなる挑戦の道をみずから選び取り、「第三の人生」への道を意気揚々と開いていくならば、やがては、だれにも壊すことのできない、最高の「満足感」を得ることができるはずです。それが正真正銘の、人生の最終章を飾る無上の″宝″となっていくのです。
 大聖人は、五十八歳の御時に、御自身の半生を振り返られて、「月のみつるがごとく・しほのさすがごとく」と仰せになっています。
 私たちも、皓々と輝きを増し満ちゆく月のごとく、また、刻々とみなぎりゆく海原の潮のごとく、一日一日、そして一年一年と、限りなく向上し、成長していける人生を、ともどもに歩んでいきたいものです。

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