Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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革命に殉じ生涯戦う カストロ キューバ国家評議会議長

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  「背広姿が、よくお似合いですね」
 「いやぁ、いつもの服(軍服)だと、平和のために戦っているということが、なかなか理解されませんので」
 カストロ議長は、照れたように微笑んだ。身長一八八センチ。巨体から、何とも言えぬ人間くささが発散している。
 青地に白いストライプ(縞)のネクタイに私がさわって、「文化大臣のほうが、ネクタイの選び方は、うまいかもしれませんね!」と言うと、ハルト文化大臣も、キューバのカメラマンたちも、はじけるように爆笑した。
 カストロ議長も笑いながら、
 「ネクタイのことは、よく知らないんです」
 「それでいいんです。人民のことを知っていることが偉大なんです」
 ハバナ市の革命宮殿。別室に案内されると、取材陣もいなくなり、テーブルをはさんで議長や同席の閣僚方と向きあった。
 こちらは私と通訳の二人のみ。
 午後七時半を回っていた。
 一九九六年の六月二十五日である。
 議長は二ヵ月後(八月十三日)に七十歳の誕生日を迎えるところであった。
 トレードマークのひげに、白いものが、まじっている。
 「戦い抜いてこられましたね」。私は感慨深かった。
2  カストロ青年が、バチスタ腐敗政権を倒して、「モラル(倫理)の革命」の勝利を告げたのが三十二歳。(一九五九年一月)
 「公職がほしくて革命をしたわけではない」と、首相も大統領も他の人にまかせたが、うまくいかず、首相にならざるを得なかった。
 三十七年間、革命の船長として嵐につぐ嵐の海に、舵を取り続けてきた。
 今、その胸に去来するものは何だろうか。
 強気の人である。
 北の巨人──世界一の強国アメリカを向こうに回して、一歩も引かない。アメリカによる軍事侵略もあった。経済封鎖も続いた。悪宣伝もひどかった。″カストロ暗殺計画″は数えきれない。
 叩かれ、叩かれ、しかし絶対に負けず、頭を下げなかった。
 議長の性格の一番きわだった特徴は、「断じて屈服しない」という点だとされる。
 「彼(=少年時代のカストロ)は、彼よりも年上で体も大きい一人の若者と喧嘩したが、その時もはや動けなくなる迄殴られた。翌日彼は、その敵に向っていった。そして再び仲裁される迄殴られた。
 三度目の時も結果はそう変ら、なかった。しかし相手の少年は、もうやる気が無かった」(ハーバート・マシューズ『フィデル・カストロ』加茂雄三訳、紀伊国屋書店)
3  精神性の継承が重要
 「私は楽観主義の人間です」。議長はつねづね、そう語る。
 キューバの山中でゲリラ戦を始めたとき、同志は、わずか十二人しかいなかった。そんな勢力で、アメリカの支援を受けた独裁政権を二年後に倒せるなどと、他のだれもが信じなかった。
 その後も、いかなる絶望的な闇も、この革命家から希望の炎を奪い去ることはできなかった。
 議長あってのキューバであり、キューバ革命であった。
 しかし──議長なきあとは、どうなるのか。
 率直が、私の信条である。
 「カストロ議長、後継者は、どうなっておりますか」
 私は、アメリカの要人の中にも、議長の理想への戦いに敬意を表している人もいる事実を伝えるとともに、理想の松明を受け継ぐ人を育ててほしいと話した。
 もちろん、議長が、この問題を考えていないはずがない。
 それでも──否、だからこそ、人間としての友情から、私は語っておきたかかった。
 何より、二十一世紀にも生き続けていくキューバの国民のために。
 「東洋の格言に『創業は易く、守成は難し』とあります。新しく創り上げることは、むずかしいようでも、まだ、やさしい。でき上がった事業を受け継いで守り、完成させていくほうが、ずっとむずかしいという意味です。
 大事なのは第二代であり、なかんずく第三代です。三代まで固めれば、恒久性ができます。後は、ずっと続いていきます」
 私は、日本の徳川幕府や企業の例も引いた。
 「三代までで決まる──それではソ連は、どうなりますか?」
 カストロ議長は、ソ連の崩壊を指摘した。もっともである。
 この政変によって、キューバの経済は壊滅的打撃を受けた。ソ連型社会主義とは違う独自路線を進んでいたものの、経済の結びつきは圧倒的であった。
 それが突然、なくなってしまった。
 「革命以来の危機」の痛手から、私が訪れたときも、まだ立ち直ってはいなかった。ここぞとばかりに、新たなキューバ叩きも始まっていた。私は答えた。
 「ソ連の歴代の指導者は、政治性の判断によって選ばれたのではないでしょうか。人物で選ぶよりも、政治的観点が優先していたと私は思います。そこには師弟がありません。精神性の継承がありません」
 だから硬直してしまった。時代とともに変化し、発展できなかった。
 民衆のため、弱者のためという原点の精神が脈々と受け継がれていかなければ、いかなる革命も保身となり、やがて反動となる。
 原点の精神が不滅なら、いくらでも柔軟に知恵がわくはずである。

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