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日蓮大聖人・池田大作

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第十三章 ミクロとマクロ・「生命」の不…  

「生命と仏法を語る」(池田大作全集第11)

前後
1  初めての精密検査
 ―― 今回は十日間の入院精密検査、本当にご苦労さまでした。
 屋嘉比 ドクターからは、長年の疲労の蓄積なので、まだ十分に静養されたほうがよい、という話とうかがっています。
 私もドクターの一人として、この際、ぜひお願いします。(爆笑)
 池田 ご心配をかけました。多くの方からも、励ましやご心配をいただき、またご親切なお言葉を頂戴し、感謝しております。おかげさまで大したこともなく、十日間で自宅養生を命じられました。(笑い)
 ―― 初めての入院だそうですが。
 池田 そうです。
 ―― 東京女子医大でしたね。
 池田 そうです。私は、初めて精密検査を受けましたが、心臓血圧研究所の先生方には、たいへんにお世話になり感謝しています。みな素晴らしいお医者さんであることを感じました。
 また病院も、病院でないような感覚を出した、なかなかのシステムで、感銘しました。
 ―― 屋嘉比さん、女子医大は、心臓等の循環器などですぐれていると聞きましたが。
 屋嘉比 とくに二十四時間中、心臓病の患者に、なにがおきても対応できるCCUなどの施設と、医師と看護婦の体制ができているようです。私も、なかなか進んでいる部分を感じます。
 池田 私も、じつはご存じのように、大きな会合がずっと重なり、(一九八五年)十月下旬から、ちょっと疲れがたまっていたのでしょう。また、カゼ気味だったのですかね。一切の行事を終え、岡山で胸に圧迫感を感じたんです。
 それが二、三日つづいたもので、私が信頼しているお医者さんから、女子医大がいいから、きちんといっぺん診てもらったほうがよいと、厳しく言われたのです。
 それで十月の三十一日の午後、ちょっと不快感がぬけなくて入院いたしました。
 ―― ああ、そうでしたか。
 池田 結論としては、多少、成人病の傾向はあるが、根本的には大したことはないということで、また、ご奉公したいと思っております。
 屋嘉比 本当によかったですね。
 私も対談でお会いするたびに、お疲れではないか、と心配しておりました。
 ―― 私は約三十年間、先生のお姿を拝見しております。なにしろ一日の休みもないし、常にいろいろな圧迫がある。
 本当に激務の連続でしたから、初めはわれわれ編集部も、ショックでした。しかし、お元気な姿で、こんなにうれしいことはありません。
 屋嘉比 なにか入院の感想はございますか。(笑い)
 池田 私が入院したのは、心臓血圧研究所の二階です。
 入院すると、すぐ若手の三十代のお医者さん数人と看護婦さんが入ってきて、そのすばやい治療のチームワークには驚きました。真夜中も、廊下を駆け足で働いていたということを聞き、その訓練の行き届いた姿は、私の想像以上のものでした。
 ―― 女子医大は、なんといっても心臓外科の故榊原仟博士が有名ですね。
 池田 そのようです。屋嘉比さん、女子医大はいつごろの創立ですか。
 屋嘉比 今年が創立八十五周年といいますから、明治三十三年ではないでしょうか。当時は東京女医学校と呼んでいたようです。
 池田 いまでこそ、日本一ともいわれるが、初めはたいへんだったとうかがいましたが。
 屋嘉比 おっしゃるとおり、昔は地域の人々から“河田町診療所”とよばれるくらいの規模だったようです。しかし、昭和二十年代、榊原博士が外科教授に就任したあたりから、本格的な設備を備えていくようになりました。
 学閥よりも実力主義であり、人材育成に力を入れてきたことはよく知られています。
 池田 そのへんは私学の強みですね。
 たしかにそういう学風というか雰囲気を、私も感じとることができましたね。
 ―― 榊原博士には、もう十四、五年前になりますか、『潮』に寄稿していただいたことがあります。
 池田 そういえば、岡山での行事を終えた晩、久方ぶりに数人で月下の岡山城を散歩したんですよ。あんなにゆっくり歩けたのは数年ぶりでした。
 そのお城の入口にも榊原病院がありました。
 屋嘉比 それは榊原博士の関係の方がやっている病院です。なにか縁があったのでしょうかね。(笑い)
 池田 看護婦さんもたいへんに洗練され、たいしたもんだと強く感じましたね。
 私のフロアは、たまたま二十四時間体制だったもので、夜中も血圧の検査とか、見回りとか、たいへんな看護でした。
 患者にとっては、天使のようなあの慈愛の行動が、忘れることができない思いでしたね。
 屋嘉比 たしかに患者さんは、医師よりも看護婦さんに親しみを感ずるものなんでしょうね。(笑い)
 池田 医師も看護婦さんも、生命を守るという真剣な姿は、神々しくも感じました。
 いわゆる利害をこえた重労働に、頭が下がる思いでした。
 むしろ看護婦さんこそ、身体を大事にしてもらいたいという、強い思いがしたくらいです。
2  健康の基本は食事と運動
 池田 そこで、私の短い入院体験でしたが(笑い)、今回少々、屋嘉比さんにうかがいたいと思ったことがあるんです。
 大学病院の場合、本当に若いお医者さんが多く、活気がある。これは、どの大学も同じ傾向ですか。
 屋嘉比 病棟の第一線は、二十代後半から三十代です。
 救急の患者が多い大病院は、一週間ぐらい、徹夜、徹夜がつづく場合もあります。体力的にも若くないとつづきませんね。
 池田 すると夜勤明けは……。
 屋嘉比 そのまま働きます。
 池田 それは昔のわれわれと同じだ(笑い)。よく戸田第二代会長は、若い人に、「仕事はなんでも十年頑張りなさい。十年やり通せばなんでもできる」と言われていた。若い医学の最前線の人たちを見ても、今回は本当にそう思いましたね。
 ―― 自分も若い若いと思ってきたが、もう四十代半ばになって、無理がきかなくなった。本当にこれからの人はうらやましい。(笑い)
 池田 検査をする場合、前日の夜八時以降は、どうして食事してはいけないのですか。
 屋嘉比 それは、深夜食事をとると、早朝の血糖値、中性脂肪の値が変わり、正確な検査ができないからです。
 また胃の検査の場合は、食べ物が残っていると、腫瘍と間違えられることもあります。
 池田 頭ではわかっても、辛いのが日常の食事制限です(笑い)。戦前に育った私たちは、「たくさん食べろ、食べた分だけ頭がよくなる」と、よく言われてきたんですがね。(笑い)
 夜は病院の前の通りを、石焼きイモ屋さんの屋台がよく通るんです(爆笑)。そっと買ってきてもらって、食べた焼きイモはおいしかったなあー。(爆笑)
 屋嘉比 食べ過ぎは、中年になったらいちばんいけません。カロリーを摂り過ぎると、肥満や動脈硬化のもととなり、いろいろと循環器の障害をおこしやすくなります。とくに夜食というのは、注意しなくてはいけませんね。
 池田 反省します。(爆笑)
 すると、あとはどういうことに気をつけることが大事ですか。
 屋嘉比 その人によって個人差があると思いますが、基本は食事の問題と、運動をしっかりやることです。
 池田 私は、よく自宅の近くの外苑の森を車で通ります。若い人たちに交じって、中年の人がジョギングをしている姿を見かけ、うらやましく思うのですが。(笑い)
 屋嘉比 これも一概には言えませんが、中年になった場合、散歩などのゆったりした運動を増やせばよいと思います。
 急激な運動は、身体の中の糖分は消費しますが、動脈硬化の原因となる脂肪分は消費しません。むしろ、ゆったりとした運動を持続することが、脂肪を消費します。
 池田 わかりました。それでは年をとると、血圧はなぜ上がるのですか。
 屋嘉比 血圧が上がるのは、主に二つの理由があります。
 一つは、塩分の摂り過ぎなどで、ナトリウムや水分が蓄えられ体液が増加するため。
 もう一つは、血管の抵抗性が高まるためで、主に腎や副腎からのホルモンや、自律神経の影響などによります。
 池田 塩分の話はよく聞きますが、ホルモンや自律神経の影響というのは……。
 屋嘉比 血圧のコントロールについても、脳が重要な働きをしております。
 疲労やストレスなどで神経が過敏になると、脳からの影響で交感神経や内分泌系が刺激され、血管を収縮し、血圧が上がります。
 池田 いろいろ原因があるんですね。
 屋嘉比 近年、アメリカ社会の大問題であった心臓疾患による死亡が減少しております。これは、肉食などの動物性の食事を避け、スポーツの機会を増やすことを、社会全体が努力してきたからといわれております。
 池田 すると、まえにもうかがったことがあるが、食べ物は何がよいですか。
 屋嘉比 やはり肉食や甘い物を少なくし、野菜を多めにとることです。またイワシ、サンマ、サケ、マグロ、サバ、ハタハタなどの魚がよいようです。
 魚は油の成分が肉とは異なり、身体によいからです。
 池田 よくわかりました。ところで屋嘉比さんも、若干太り気味ではありませんか(笑い)。私も運動不足で肥満型になってしまいましたが。(笑い)
 屋嘉比 そうなんです。私は沖縄なもんで、肉が好きで、このまえアメリカへ行ってから、ステーキを食べ過ぎて胃の調子がどうもおかしいのです(笑い)。いつも女房に、「あなたは対談で言っていることとやることが違う」と言われるんです。(爆笑)
 池田 私も同じだ。(爆笑)
3  遺伝を決定するDNAの正体
 ―― さきほど、池田先生が若手医師のチームワークを誉められていましたね。
 このまえ、初の日本人宇宙飛行士が三人決定し、先生も関心をもたれていたので言わせていただきますが(笑い)、この選考基準も、チームワークが重視されておりますね。
 池田 屋嘉比さん、宇宙飛行士には、医学的にはどんな条件が必要なんですか。
 屋嘉比 私も専門家ではないのでよく知りませんが、簡単な資料によると――
 血圧は上は一四〇以下と下が九〇以下
 視力は〇・二以上
 虫歯のない人(笑い)
 便秘でない人
 汗かきでない人
 めまいを経験したことがない人
 等々、相当厳しいですね。
 私は失格です。(笑い)
 池田 アメリカですから、英語も堪能でなければなりませんね。
 屋嘉比 そうです。それとチームワークは、孤独な宇宙船の中での共同作業ですから不可欠です。ですから、人格的にどうか、協調性があるかどうかも、心理テストなどで厳格に調べるようです。
 ―― スカイラブのカー船長たちが、名誉会長を表敬訪問した際、私も同席させていただきましたが、たしかにみな優秀な科学者であり、かつ紳士で、いい人たちばかりでしたね。
 これは不思議と一致しておりますね。
 池田 いや、これはどこの世界も同じです。御文にも「賢きを人」とある。
 ですから、賢明であり、立派な人格になっていくことが、真実の信仰者の証であり、また条件である、と私は思っております。
 ―― よくわかります。
 池田 私も入院中、そばにいた人たちが、心臓や血管の話をいろいろ調べてきては聞かされた(笑い)。そこで、よく入院した患者さんは、両親が同じ病気だったかどうか調べると聞きましたが、屋嘉比さん、本当ですか。
 屋嘉比 そのとおりです。遺伝性が強い病気が多いからです。
 池田 そこで、顔が親に似るとか、肥満型とか(笑い)、われわれの体の遺伝を決定していくのが、いわゆる「DNA」(デオキシリボ核酸)である。
 余談になりますが、一人の人間のなかの、すべての「DNA」をつなぎ合わせると、これまたたいへんな長さになると読んだことがありますが、どれくらいになるんですか。
 屋嘉比 「DNA」は、二重らせん状の微細な繊維構造です。一個の細胞の中の「DNA」のらせんの直径は、わずか五百万分の一センチです。ところが長さは、約一・八メートルもあるんです。
 池田 すると人間全体では、どのくらい……。
 屋嘉比 人体の全細胞が約六十兆個ですから、ほぼ一千億キロ以上と思います。
 この数字は、ちょっと感覚的には想像できませんが、たとえていえば、太陽と地球の距離が一・五億キロですから、そのほぼ七百倍にもなるんでしょうか。
 ―― これはこれは……。われわれの身の丈五尺三寸の身体というのは、本当に不思議なものですね。(笑い)
 屋嘉比 しかも、この人体のDNA分子の記号に含まれる情報量は約五十億。百科事典のおよそ千巻分に相当するという説もあります。
 池田 すると仏法では、わが身を「宇宙即我」「我即宇宙」という生命観からとらえますが……。
 ここでも心だけでなく、肉体的にみても、人間は宇宙大の広がりをもつと考えてもよいですか。
 屋嘉比 そう思います。
 池田 さきほど、宇宙飛行士のお話が出たので、ついでに申しあげますと(笑い)、地球や月ができたのは、約四十六億年前という、われわれの想像を絶するはるか昔である。
 この地球や月の年齢も、「元素」というミクロ(極小)の世界から解明されたものではないですかね。
 ―― そのとおりです。なぜ、そんな遠い過去のことまでわかるかというと、現在あるウランなどの放射性元素を調べて計算すると、大まかな数字が出てくるそうです。
 屋嘉比 宇宙それ自体の解明も、じつはミクロの素粒子論と大きく関係しているようです。
 しかし、このへんはまだまだの分野で、これからの研究の進展が期待されるところですね。
 ―― ミクロの世界のなかに、マクロ(極大)の宇宙の謎が隠されているともいえるのでしょうね。本当におもしろいものです。
 池田 遺伝子工学の成果が、医学の分野で一般的に使われているものはあるんですか。
 屋嘉比 かなりあります。薬では――
 リューマチなどの炎症の治療に用いられる副腎皮質刺激ホルモン、糖尿病治療のインシュリン、小人症治療の成長ホルモン、血友病治療の血液凝固因子
 ――などが実用化されています。
 池田 だいたいわかりますが、まだ、研究中のものは……。
 屋嘉比 ガン、動脈硬化、肝炎、貧血症などの薬品が、盛んに開発されています。
 このバイオテクノロジー(生命工学)による開発のひとつの特徴は、薬品がたいへんに安く手にはいるようになることです。
 ひとつの例として、白血病のL―アスパラギナーゼという薬品は、バイオによる増産化によって、治療の一過程あたりの単価が、一万五千ドルから三百ドルになった(「米国議会OTA資料」)ということです。
 ―― まったくもって人間というのは、次から次へと新しいものを発見し、つくりだしていくものですね。(笑い)
 池田 素晴らしいことです。
 人間の英知は偉大だ。私はいつも思うのです。  この人類の英知を、もっともっと「平和」のために、  「生命」と「健康」のために結集できないものかと……。
 屋嘉比 まったく同感です。先日、「核戦争防止国際医師の会」がノーベル平和賞を受賞し、世界中から注目されました。こうした動きがあることは、一医師としてもたいへんに喜ばしいことです。
 池田 たいへんにうれしいことです。結構なことです。だいたい「核戦争防止国際医師の会」というのは、一般的には知られていなかったのではないですか。(笑い)
 ―― このグループは、米ソを含む、世界四十一カ国、約十四万五千人から構成されているそうですね。私もジャーナリストとして、今後の動きを注目していきたいと思っています。
 ところで南米のアルゼンチンでは、上院で「平和週間設定法」が可決されました。この法案には、池田先生の「平和提言」が引用されていることを聞き、ここにそのコピーを持ってきました。
 屋嘉比 アルゼンチンですか。ちょうど、地球の反対側の国ですね。(笑い)
 池田 私は知らなかったのですが、たしかにその通知は受けました。
 屋嘉比 いや、本当に見てる人は見てますね。

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