Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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胡錦濤 国家主席 中国第四世代のリーダー

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

前後
5  「中日の美しき未来」を創価の青年と
 周総理から、鄧小平氏へ、そして江沢民主席へ。開放の軌道は着実に固められてきた。世代から世代へ、魂のバトンをリレーして、中国は見事に離陸し、次第に安定飛行に入りつつある。
 日本の一部には、中国の発展を強力なライバルの出現として警戒する声もあるようだ。しかし、それはあまりにも近視眼的であり、考えが狭すぎるのではないだろうか。もっと前向きに、大きな展望に立って、「お互いの利益になる」よう知恵をしぼるべきであろう。アジア全体の利益を考えずに、日本だけが一人、繁栄し続けようという発想では、結局、日本の利益も守れない時代になっていることを、深刻に自覚すべきであると私は思っている。そして、ともに栄えていくためには、日本は、ともかく「アジアから信用される国」にならなければなるまい。
 初の語らいのとき、胡団長は言われた。「創価学会青年部とともに、『中日の美しい未来』のために努力していきたいのです」と。
 二回目の語らいのとき、胡副主席は言われた。「中日関係はたんに二国間の問題ではありません。アジアと世界全体の平和、発展、安定に深くかかわっています」と。
 それほど大切な日中友好である。では、友好の「前提」となるのは何か。それは公正な歴史認識であろう。
 ある創価大学生が中国に留学した。クラスに日本人嫌いの学生がいた。心を閉ざして、うちとけない。創大生は「日中友好を自分の周りから聞いていかなければ」との思いで接し、努力した。彼が日本に帰国する日、クラスメートは目に涙をためて言ったという。
 「私は、祖父も祖母も日本軍に殺されたのです……あなたに出会えなかったら、一生、日本を恨んだままだったかもしれません」
 一九九九年、創価学会の「日中友好青年交流団」に参加した青年は、吉林(チーリン)省へ行った。日本軍侵略の爪跡が深く残るこの地で、日本語の上手な中国人から聞いた。
 「かつては日本語を学んでいるだけで非難されました。日本と聞くだけで忌まわしい記憶に結びついたからです。私も、つらい思いをしながら日本語を学びました。日本との友好が第一だと思ったからです。歴史観についても、事実に基づくものならば、どんな考え方でも私は受け入れます。しかし日本の一部の人々は、ウソを民衆に教えている。これだけは中国人は絶対に許せないのです!」
 心は見えない。しかし、見えない心が人間を動かし、人間が社会を動かしていく。隣国の人々の心を軽く考えてはならない。
6  アジアの平和と友情の「金剛の橋」を
 急激に変化し続ける中国。舵取りは容易なことではないだろう。
 十八年前(一九八五年)、私は、若き胡錦濤主席に申し上げた。
 「指導者の前途には、重い重い鉛のような黒雲が続き、また、どこまでも尽きない暴風や試練のときがあるものです。しかし、どんなときにも、人民のために毅然として活躍する指導者であってください!」
 胡主席が、そういう名指導者であられることを私は信じている。
 そして日本の若き世代もまた、そういう大指導者となって、平和への信念を断じて貫き、アジアとの友情の「金剛の橋」を築きあげていってほしいと祈っている。

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