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日蓮大聖人・池田大作

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福田赳夫 元総理 日本を”人間大国”へ

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

前後
12  晩年を輝かせた世界との”宝の友情”
 「二十一世紀の人類のために、何かを残したい」という氏の志は、やがて大きく実を結ぶ。
 各国の元首相・大統領らが一堂に会して、世界的な諸問題を討議する「OBサミット」である。
 「今さら『OBサミット』だ、なんて、年寄りの冷や水だとか、遊びだとか言う人もいます。しかし、私は真剣に考えているのです。一つは、豊かな経験を生かして、引き続き政治を見守りたい。また、各国との交流を深めて、少しでも日本と、世界平和のお役に立ちたい。そして、だれに遠慮することもなく、意見を言いあい、献言しようと考えたのです。現役の指導者は、目前の仕事に忙殺されて、長期的に考えられませんから」と。
 昭和五十八年(一九八三年)から始まり、平成十三年(二〇〇一年)までに会合は二十回ほど続いている。
 私が「OBサミット」の発想を称えると、こう言われた。
 「一つ池田先生に申し上げさせていただきたいことは、OBサミットも良いのですが、『青年サミット』が必要なのではないか、ということです。二十一世紀を志向したときに、先生の言われるとおり、新世紀は『青年の時代』だと思います。政治家による思いつきの青年交流ではなく、人間と人間が正面から向かいあう、心と心の連帯をよりいっそう強固にする青年交流で、世界を結ぶことが大切だと思います。創価学会の皆さんが、これを真剣に実行されていることに敬服するものです」
 人間、議員や高い地位を退いた「後」が大事である。人生の総仕上げを失敗する人が多いからだ。
 その点、福田先生の晩年は、輝いていた。その光は、どこから来たか。それは洋の東西を超えてはぐくんだ”宝の友情”だったのではないだろうか。
 長女の越智和子さんが父である元総理から贈られた色紙には「友は、一生の宝」とあったという。
 OBサミットを共に創設した西ドイツのシュミット元首相をはじめ、福田氏には、総理の座を離れた後も、世界に友がいた。
 そのシュミット氏は「日本は、世界に友人の国をもっていない」と警告したが、福田氏も、それを憂え続けた晩年であった。
 学会を大事に思ってくださり、昭和五十六年(一九八一年)七月、北条第四代会長の逝去のさいには、多忙な時間を縫って、通夜にも学会葬にも出席してくださった。
13  「東海天高く 気亦清し」
 最後に、お会いしたのは、平成三年(九一年)の十二月二十日。八十六歳にして、かくしゃくとしたお姿であった。
 「お正月が終わったら、いっぺん奥さま同伴で、四人でゆっくり食事をしましょう。ぜひ、そうしましょう。日程も打ち合わせましょう」
 そう言ってくださった。
 しかし、実現しないまま、時が過ぎ、平成七年(九五年)七月五日、九十歳で亡くなられた。
 いつも二十一世紀、二十一世紀と言われていた福田先生――ぜひ、生きて新世紀を見ていただきたかった。
 強い方だった。明るい方だった。くよくよしない方だった。何があっても、曇りのち晴れ、雨のち快晴と楽観しておられた。
 芳名録に、こう記帳してくださったことがある。昭和六十二年(八七年)の一月二十二日、渋谷の国際友好会館である。
 二人で「日本を、史上かつてない”人間大国”へ」と語りあった午後であった。
 闊達な名筆で、こうあった。
 「東海天高く 気亦清し」
 ――日本の空は明るく晴れ、空気も澄みわたっている――と。

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