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日蓮大聖人・池田大作

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福田赳夫 元総理 日本を”人間大国”へ

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

前後
11  「昭和の水戸黄門」となって全国へ
 総理退陣の半年後、福田氏と、お会いした。昭和五十四年(一九七九年)の六月三日である。
 その一カ月ほど前、私は会長を勇退していた。勇退のさい、福田氏からは、人づてに「これから、いよいよ世界の優秀な学者や指導者に会っていかれるのでしょうね」という励ましをいただいた。
 お会いした元総理は「総理・総裁は辞めたが、政治家を辞めたわけではありません。『昭和の黄門』として全国を駆けめぐりたい」と、意気軒昂であられた。
 私も「創価学会の水戸黄門」となって、全国の功労者の皆さまのお宅にうかがいたいと願っていた。
 「不肖わたくし”地球福田”は……」と、ユーモラスに言われていたが、とくに人口問題は、口をすっばくして語られた。
 「二十一世紀中に、世界人口は今の約二倍になるといわれています。何も手を打たないと、食糧不足、土地不足、環境破壊、資源の枯渇、教育の破壊、人口移動の拡散等々、人類がいまだ経験したことがないような大乱世になります。今、世界は”資源有限時代”に入っています。これまでのような奔放ないき方では、人類は行き詰まってしまう。これは、百年の大計に立つ政治家の責任ですが、今、このことを真剣に考える人は残念ながらおりません」
12  晩年を輝かせた世界との”宝の友情”
 「二十一世紀の人類のために、何かを残したい」という氏の志は、やがて大きく実を結ぶ。
 各国の元首相・大統領らが一堂に会して、世界的な諸問題を討議する「OBサミット」である。
 「今さら『OBサミット』だ、なんて、年寄りの冷や水だとか、遊びだとか言う人もいます。しかし、私は真剣に考えているのです。一つは、豊かな経験を生かして、引き続き政治を見守りたい。また、各国との交流を深めて、少しでも日本と、世界平和のお役に立ちたい。そして、だれに遠慮することもなく、意見を言いあい、献言しようと考えたのです。現役の指導者は、目前の仕事に忙殺されて、長期的に考えられませんから」と。
 昭和五十八年(一九八三年)から始まり、平成十三年(二〇〇一年)までに会合は二十回ほど続いている。
 私が「OBサミット」の発想を称えると、こう言われた。
 「一つ池田先生に申し上げさせていただきたいことは、OBサミットも良いのですが、『青年サミット』が必要なのではないか、ということです。二十一世紀を志向したときに、先生の言われるとおり、新世紀は『青年の時代』だと思います。政治家による思いつきの青年交流ではなく、人間と人間が正面から向かいあう、心と心の連帯をよりいっそう強固にする青年交流で、世界を結ぶことが大切だと思います。創価学会の皆さんが、これを真剣に実行されていることに敬服するものです」
 人間、議員や高い地位を退いた「後」が大事である。人生の総仕上げを失敗する人が多いからだ。
 その点、福田先生の晩年は、輝いていた。その光は、どこから来たか。それは洋の東西を超えてはぐくんだ”宝の友情”だったのではないだろうか。
 長女の越智和子さんが父である元総理から贈られた色紙には「友は、一生の宝」とあったという。
 OBサミットを共に創設した西ドイツのシュミット元首相をはじめ、福田氏には、総理の座を離れた後も、世界に友がいた。
 そのシュミット氏は「日本は、世界に友人の国をもっていない」と警告したが、福田氏も、それを憂え続けた晩年であった。
 学会を大事に思ってくださり、昭和五十六年(一九八一年)七月、北条第四代会長の逝去のさいには、多忙な時間を縫って、通夜にも学会葬にも出席してくださった。
13  「東海天高く 気亦清し」
 最後に、お会いしたのは、平成三年(九一年)の十二月二十日。八十六歳にして、かくしゃくとしたお姿であった。
 「お正月が終わったら、いっぺん奥さま同伴で、四人でゆっくり食事をしましょう。ぜひ、そうしましょう。日程も打ち合わせましょう」
 そう言ってくださった。
 しかし、実現しないまま、時が過ぎ、平成七年(九五年)七月五日、九十歳で亡くなられた。
 いつも二十一世紀、二十一世紀と言われていた福田先生――ぜひ、生きて新世紀を見ていただきたかった。
 強い方だった。明るい方だった。くよくよしない方だった。何があっても、曇りのち晴れ、雨のち快晴と楽観しておられた。
 芳名録に、こう記帳してくださったことがある。昭和六十二年(八七年)の一月二十二日、渋谷の国際友好会館である。
 二人で「日本を、史上かつてない”人間大国”へ」と語りあった午後であった。
 闊達な名筆で、こうあった。
 「東海天高く 気亦清し」
 ――日本の空は明るく晴れ、空気も澄みわたっている――と。

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