Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ラムオーバン市長 オーストラリア初のアジア系女性市長

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

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5  苦しむ人を放っておけない!
 シドニーでも、ラムさんが住んだあたりは外国からの移住者が多かった。
 かつては「白豪主義」で有色人種を排斥した豪州。
 とうに政策を変えていたとはいえ、まだ差別はあったとくにアジア系の移住者に対して、ひどかった。
 十六歳で結婚して子どもがいる女の子もいた。しかし満足な公的サービスも受けられない。貧しさから抜け出る道が閉ざされていた。
 まるで、かつての自分たちを見るかのようだつた。ラムさんは心がうずいた。
 ラムさんは心がうずいた。
 難民になりたくてなった人なんて一人もいないわ。どうしてあんな扱いをするの?
 ラムさんは、心境を私に語ってくださった。
 「私は、私の体験を通して、自分と同じように苦しんでいる人を救いたい、できることは何でもしてあげたいと思うようになったのです」
 運命を使命に変えて――ラムさんは決心した。オーバン市の市議会議員選挙に出たのである。当選し、猛然と働き始めた。
 彼女は、不動産会社の仕事ももっていた。平均して、十五、六時間働き、寝るのは三、四時間。寝ないで出ていくこともあった。そのなかで息子さんを産み、娘さんを産んだ。
 議会の終わるのが夜十一時を回る――そんな時は子連れで議会に出て、有名になった。
 いったい、ラムさんを支えていた哲学は、何だったのか?
 ラムさんの信条は「政府とは、どんな規模であれ、民衆に尽くすもの」である。
 「オーストラリアの地方自治体の政治家は、権力者というよりも『草の根の市民』の中から選ばれます。だから、政治家は市民の生活を幸福にしよう』『市民に奉仕していこう』と誓願を立てるのです。ですから、給料は安いですが文句を言いません。人の心のわからない権力者とは違うのです」
 この言葉のなかに、二十一世紀がある。
 民衆と別世界に君臨している指導者ではなく、「指導者即民衆」――民衆の苦労をだれよりも知る人物でなければならない。
 そして、「民衆即指導者」――民衆自身が社会の未来への責任を自覚した聡明な一人でなければならない。
 「しろうと」の初心と「くろうと」の技術を、あわせもった指導者が、求められているのだ。
6  「心の鎖国」続く日本への警鐘
 オーバン市は、市民の五三パーセントが外国からの移住者。中国、ベトナム、フィリピン、レバノン、トルコ、インド、アラブ系等々、まるで「小さな地球」である。
 ラム議員は、移住者のための「アジア福祉センター」を一九九六年に設立。中国の広東市との姉妹交流、湖南(フーナン)省や長沙(チャンシャー)市との友好も進めてきた。
 数々の実績が評価され、九九年、市長に。同国初の「アジア系女性市長」の誕生となった。
 ラム市長の目が、まっすぐに見つめているのは、ただ「人間」である。
 「私は思うのです。文化が違うから仲違いするのではなく、違うからこそ、お互いにない良い面を学びあい、補いあうことが重要ではないだろうかと」
 すぐに「右へならえ」になる日本への大きな警鐘であろう。同質化を強要する「軍隊式の思考」が、いまだに抜けていないからだ。
 在日韓国・朝鮮人の方々の地方参政権すら認められていない。長らく日本に住んで、税金も納めているにもかかわらず。
 これ一つとっても、「日本ほど、ひどい差別社会は少ない」「心の鎖国・知性の鎖国が続いている」と非難されるのは当然であろう。
 2000年秋、人類の祭典オリンピック、そしてパラリンピックが開かれた。メーン会場となったのは、このオーバン市であった。
 ラム市長の奮闘は続いている。
 「私たちは今、歴史を転換させ、進歩させるかどうかの、大事な分かれ道にいるのですから!」
 今、世界のどこでも、「変革」の先頭に、女性が立っている。

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